峠おやじの「たわごと」

峠、自転車、キャンピングカー、野菜、園芸、時事ネタなどをぼやいてます。

大河ドラマ館のあと(岐阜歴史散歩)

2020年03月16日 | 歴史
岐阜大河ドラマ館を見終わったあと、近くのレストランで食事をしました。信長本店というところです。
お店の様子食事内容も過去にアップしましたのでここでは書きません。

食事のあと、近所を歴史散策しました。岐阜公園に常駐しているボランティアガイドさんに頼んで色々詳しい解説を受けながらの散策です。まずは信長本店と名和昆虫博物館との間にある道を西へ向かいます。すると水路にかかる橋にこんな看板が据え付けてありました。



なになに、百曲通(ひゃくまがりどおり)とな。
下の地図にもあるように稲葉山城(岐阜城)天守に登城するには大手道の七曲(ななまがり)と百曲がありました。
百曲り登山道の麓が名和昆虫博物館の東にあたるのです。

そのあと日本三大大仏のひとつ、岐阜大仏に行きました。三大大仏とは言わずと知れた奈良東大寺、鎌倉長谷、そして岐阜正法寺の乾漆仏の大仏ですね。



そして大河ドラマ館でも複製が展示されていた斎藤道三の自画像のある常在寺に行きました。お寺の前は長年通勤時に通っていたのに恥ずかしながら一度も入ったことはありません。そのためだけに今回参加したといっても過言ではありませんでした(^^ゞ

お寺の本堂のなかに複製は展示してありました。本物は痛みが激しいため非公開だそうです。複製すら写真禁止ということで遠くから写すにとどめました。解説はお寺の壁に掲示してある看板を写したものです。




ちなみに常在寺があるのは先ほど紹介した七曲通に面しています。お寺の反対側には竹中半兵衛の屋敷跡で松尾芭蕉が「奥の細道」の途中で来岐したとき、長逗留(1ヶ月)をした妙照寺があります。結びの地、大垣からはさっさと桑名に行ってしまったのに対して、岐阜には鵜飼見物などで1ヶ月も滞在したとボランティアガイドさんは誇らしげに説明されてました。

次に常在寺の少し西にある梶川堀です。



お城の守りのひとつとして、稲葉山城(岐阜城)にも堀が作ってありました。それがこの梶川堀です。前述の七曲通は西へ行くと本町通りですが常在寺付近では梶川町という町名になっています。斎藤道三・織田信長の時代、梶川堀から東は武家屋敷、西は商工業者などの町屋が広がっていたそうです。




そこから北へ進むと民家横に上のような看板が立ててありました。以前自転車で辿った御鮨街道の出発点にあたります。いままで文献で調べて出発点を勝手に解釈していたので正式な看板を確認できて良かったです。

長くなってきたので続きます。


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コメント (2)
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