小布施の北斎館の前には雰囲気のある広場と大木そして栗菓子の小布施堂がありました。それらの間にある道が都会の路地のようで風情がありましたから、歩いていきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/d6/bae96d9a4427ca61a9e41abb91e7c3de.jpg)
その路地の突き当たりに高井鴻山(たかいこうざん)記念館の入り口がありました。高井鴻山はここ小布施の豪農商で、鴻山の祖父が天明の大飢餓に倉を開き窮民を救い、その功績が幕府に認められ「高井」の名字と帯刀を許されたそうです。
鴻山は若い頃から江戸に遊学したため、佐久間象山や葛飾北斎とも親交が厚く、北斎を小布施に招いて、描画の手助けや手ほどきを受けたりしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/f7/0cc74ad72e573ccc75e5ca2cb3d5afee.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/f1/4bfb8451ca99857648215df4f4c65699.jpg)
そんな高井鴻山記念館には北斎が寓居した碧漪軒(へきいけん)があります。
また隣接する翛然楼(ゆうぜんろう)ニは2階から床下へ極秘に逃げられる秘密の抜け道も作られていました。これは鴻山を尋ねてくる幕末の志士たちを匿い、いざというときは逃がすための工夫で、鴻山の交友の広さを物語るものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/f2/ff72a8f4f4604f8840226c735c91a7fc.jpg)
田舎の豪農商が文化・芸術だけでなく、国政にまで広がる視点を持ち得たことにはとても感服しました。高井鴻山なくして小布施の北斎はあり得なかったでしょう。
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その路地の突き当たりに高井鴻山(たかいこうざん)記念館の入り口がありました。高井鴻山はここ小布施の豪農商で、鴻山の祖父が天明の大飢餓に倉を開き窮民を救い、その功績が幕府に認められ「高井」の名字と帯刀を許されたそうです。
鴻山は若い頃から江戸に遊学したため、佐久間象山や葛飾北斎とも親交が厚く、北斎を小布施に招いて、描画の手助けや手ほどきを受けたりしました。
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また隣接する翛然楼(ゆうぜんろう)ニは2階から床下へ極秘に逃げられる秘密の抜け道も作られていました。これは鴻山を尋ねてくる幕末の志士たちを匿い、いざというときは逃がすための工夫で、鴻山の交友の広さを物語るものです。
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