大阪の海は昔、難波津と呼ばれるところがあって、海外からの人・物の交流が盛んで大阪は昔から国際交流の中心だったというのが、大阪はったり歴史史観なんだが、それじゃあ、天満あたりがその場所なんかいなあ、と思いつつも、なんか違和感を感じていたのは大阪城と天満の天神さんがずれているからなのであった。だが、ぼんやり地図を見ていて気付いたのだが、素直に考えてみたら、神崎川が河内湖のアウトレットの北川岸の地形を今に残しているんじゃなかろうか、と。
で、早速確かめてきたのだ。きっと、今の神崎川の2~3倍の幅の海峡だったに違いない。だから、大阪城や難波宮跡があたかも岬の突端にあるかのようなイメージは作られているが、嘘である。森ノ宮~大阪城のラインの東は河内湖に面しており、そこから、一直線に生駒や柏原を経て奈良に行くことができる。
つまらんこだわりかも知れんが、大阪を理解する上でぜったいはずせないポイントである。大阪を美化しすぎたり、誇大化してはいかんのだ。
で、早速確かめてきたのだ。きっと、今の神崎川の2~3倍の幅の海峡だったに違いない。だから、大阪城や難波宮跡があたかも岬の突端にあるかのようなイメージは作られているが、嘘である。森ノ宮~大阪城のラインの東は河内湖に面しており、そこから、一直線に生駒や柏原を経て奈良に行くことができる。
つまらんこだわりかも知れんが、大阪を理解する上でぜったいはずせないポイントである。大阪を美化しすぎたり、誇大化してはいかんのだ。