鉄道模型・色差し三昧

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飯田町と甲府の客車をまだまだ調べる

2015年12月21日 | 車歴表三昧
今年も、残すところ10日余りとなりましたね。
みなさま、年末年始のご用意はいかがでしょうか?
進んでいますか?

大掃除は?
ワタシは、まだです。
あ、風呂場だけは進んだかな。
年賀状は??
これもまた、ワタシは、まだです。
目途立たず。
お買い物は???
まだですよ、ワタクシ。
かくして、年末はどんどん過ぎてゆきます。

まだ10日あるから…などと、思ってしまうのですよね。

さて。
中央東線ではどんな客車が走っていたのか、把握すべく表計算ソフトに打ち込み。
いちおう、飯田町(東イイ)と甲府(東コフ)に配置されていた営業用車輌に限ることにしました。
しかも、1960(昭和40)年以降のものだけです。
中央東線の客車ラスト10年間ということになります。
じつは、この時代のローカル用客車の運用範囲がまったく分かりません。
松本(長モト)にも多数の配置があったのですが、収拾がつかないので割愛しました。
まずは、新宿口に出ていたであろう車輌を把握しようかと。

形式車番が黄色地のものは、KATOが客車セットに含めたという車番です。
同じ形式内での順序は、転入転出が早いものから並べました。

読みにくいかと思います。
試しに画面ズームを250~300%くらいにしたら、ようやく読めました。


基幹形式はスハ32、オハ35、スハフ32、オハフ33、オハフ61形式といったところでしょうか。
わりと入れ替わりが激しくて、10年間中央東線に居続けたのは、オハフ33形のうちの3輌だけです。

スハ32形は、主に飯田町の配置です。
1970(昭和45)年ごろを境に、すべてが置き換わりました。
暖房車の仕様をやめるため、電気暖房設置車を転入させたのです。
スハ32 656は、マニ36形式に改造されたのち、この中で唯一JRに引き継がれました。

オハ35形は、飯田町、甲府とも多数配置されていました。
やはり、電気暖房設備のために同じような入れ替わりがあったといえますね。
飯田町に最後まで配置されていたグループは、スハ32の置き換え用に転入したと読めます。

甲府のオハフ33形が途中で入れ替わったわけは、電気暖房の有無ではないようです。
状態によるのでしょうか?
錦糸町(千キウ)にオハフ33形を供給するため、少し新しい同形式を尾久(東オク)から調達したようにも見えます。

オハユ61形式は、全11輌の少数派。
ほかには都城や和歌山にいたそうです。
鋼体化客車ですから台車などは古いのですが、わずか12年弱で活躍の期間を終えました。

電気暖房設置に伴うオハニ61形式の置き換えには、スハニ32形式が充てられました。
車体は古くなりましたが、シートピッチは拡がったわけで、得したのかな?

転入前の旧区は、尾久(東オク)、水戸(水ミト)、高崎(高タカ)などが目立ちます。
近いからでしょうか?
なかには大分(分オイ)のようなものもありますね。

転出先で遠いのは函館(函ハコ)、札幌(札サウ)、早岐(門ハイ)などしょうか?

国鉄って、大きかったんですね。
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