ひと雨ごとに、冬がきます。
日が暮れるのも、ずいぶんと早くなりましたし。
毎年、この季節になると、時が経つ早さに驚かされます。
それだけ、日ごろ安穏としているのですが。
時の経つ早さというと、息子の育つ早さでもあります。
先日、気がついたら次男も私の背丈を超えていました。
視線を合わせると、妙に上向きになるから気がついたのです。
うーむ。
複雑だ。
思えば私も親父の背は超えています。
おそらく、似たようなことを感じただろうと思います。
子どもを育てて得たもののいちばんは、
親が何を考えていたのか、おぼろげながらであれ感じられるようになったことだと思います。
さて。
模型を作るときに、下調べに夢中になることがあります。
実車の細かいディテールもさることながら、
どんな運用についていたのかも気になるところですね。
過去の配置表をまとめて車歴表を作り始めると、時が経つのを忘れたりします。
で。
気になったのは、国鉄の蒸気機関車C59形。
わりとスマートな印象の旅客機だと思います。
戦前から戦後にかけて173輌が量産され、とくに戦後型は我が国最長の蒸気機関車でした。
電化前の東海道、山陽本線で特急、急行列車の牽引に当たった機関車ですが、
軸重が大きかったために地方線区への転用が利かず、どちらかというと短命に終わりました。
従台車を改造して軸重を減らしたものが、C60形となります。
模型は、マイクロエース製品です。
実車のイメージをどこまで伝えているかは、やや微妙ではありますけれども。
私が生まれたときには、すでに3輌だけが呉線に生き残っていたC59形です。
どう、電化に追い詰められていったのかが気になりました。
というわけで、1955(昭和30)年の配置区別に見た履歴表です。
東海道本線の全線電化直前ですね。
青字はC60形。
東海道本線の電化完成で、余剰が発生し、
東北本線(宇都宮、白河、仙台)や鹿児島本線(門司港、鳥栖)に転出します。
また、C60形に改造の上で青森や鹿児島にまで分布を広げます。
山陽本線の姫路電化、岡山電化では、そろそろ転用先が限られてきた気配で、
C60形への改造はさほど多くありませんね。
広島電化、下関電化では、ほとんどがそのまま廃車となったことが判ります。
模型の42号機も、広島第二機関区が最終配置でした。
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日が暮れるのも、ずいぶんと早くなりましたし。
毎年、この季節になると、時が経つ早さに驚かされます。
それだけ、日ごろ安穏としているのですが。
時の経つ早さというと、息子の育つ早さでもあります。
先日、気がついたら次男も私の背丈を超えていました。
視線を合わせると、妙に上向きになるから気がついたのです。
うーむ。
複雑だ。
思えば私も親父の背は超えています。
おそらく、似たようなことを感じただろうと思います。
子どもを育てて得たもののいちばんは、
親が何を考えていたのか、おぼろげながらであれ感じられるようになったことだと思います。
さて。
模型を作るときに、下調べに夢中になることがあります。
実車の細かいディテールもさることながら、
どんな運用についていたのかも気になるところですね。
過去の配置表をまとめて車歴表を作り始めると、時が経つのを忘れたりします。
で。
気になったのは、国鉄の蒸気機関車C59形。
わりとスマートな印象の旅客機だと思います。
戦前から戦後にかけて173輌が量産され、とくに戦後型は我が国最長の蒸気機関車でした。
電化前の東海道、山陽本線で特急、急行列車の牽引に当たった機関車ですが、
軸重が大きかったために地方線区への転用が利かず、どちらかというと短命に終わりました。
従台車を改造して軸重を減らしたものが、C60形となります。
模型は、マイクロエース製品です。
実車のイメージをどこまで伝えているかは、やや微妙ではありますけれども。
私が生まれたときには、すでに3輌だけが呉線に生き残っていたC59形です。
どう、電化に追い詰められていったのかが気になりました。
というわけで、1955(昭和30)年の配置区別に見た履歴表です。
東海道本線の全線電化直前ですね。
青字はC60形。
東海道本線の電化完成で、余剰が発生し、
東北本線(宇都宮、白河、仙台)や鹿児島本線(門司港、鳥栖)に転出します。
また、C60形に改造の上で青森や鹿児島にまで分布を広げます。
山陽本線の姫路電化、岡山電化では、そろそろ転用先が限られてきた気配で、
C60形への改造はさほど多くありませんね。
広島電化、下関電化では、ほとんどがそのまま廃車となったことが判ります。
模型の42号機も、広島第二機関区が最終配置でした。
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