10数年前から面白半分にひげを伸ばしているのですが、
前々から1本だけ、白いのがありました。
それはそれで目立っていたのですけれども。
これが、ごく最近になって急に数が増えました。
で、ひげを全体的に見ると、何んともまだらに見えてしまう…。
もともと“ずぼらな”たちなのですが、もうちょっとまめに手入れをしないといけません。
さて。
ずーっと、半ば死蔵状態にある製品のひとつ。
TOMIXのブラスモデル、キハ35系4輌編成。
古のエンドウ製品をコピーしたような製品ですが、
台車の構造に内枠方式を止めましたので、かなり走行性能は良くなりました。
紙箱を開けると、スポンジで保護されています。
なんとなく、手仕事的。
で、車輌が透けて見えるのです。
高級感?
どうかなぁ。
わりと重さのあるブラスモデルが4輌、鎮座しています。
ディテールは、現在の水準からみれば甘いです。
間違っている、という人もいるでしょう。
屋根肩のカーブなんか、どう見ても実車とイメージが違うし。
しかしながら、厚みのある塗装で仕上げられた光沢感と金属感には、
独特の味があります。
「これが判らないと大人じゃないな~」
そんなことを、言いたくなってきます。
KATO製品のほうが精密感にあふれているのは事実ですが。
で。
車番が、気になってきたのです。
最近、キハ35系全車の履歴を追いかけていたものですから。
ちなみに実車は413輌が量産されるのですが、JRに継承されたのは163輌。
国鉄最後の1986(昭和61)年度の1年間に130輌余りが、
その前の3年間でも100輌余りが廃車されています。
ロングシートが嫌われたわけですが、経年20~25年での凋落が激しい系列でした。
いまのキハ40系は、長持ちしていますね。
模型を追っていきます。
まずキハ35 901。
1963(昭和38)年4月に東急車輌で新製、千葉区に配置されます。
房総電化完成によって職場を失い、高崎へ。
八高線や川越線が、今度の職場です。
1987(昭和62)年2月、国鉄分割民営化直前に廃車されました。
碓井鉄道文化むらに保存されているのは、みなさまご存知の通り。
キハ35 907も、キハ35 901と似たような経歴です。
新製が5月、高崎への移動も同じころ。
ただし、JR化後まで生き延びまして、1990(平成2)年5月の廃車。
相模線電化で追われた8輌が転入してきたため、経年の高いこの車輌が廃車となったのです。
キハ35 41は…。
これも1963年4月の新製。
たまたまの一致でしょうか?
メーカーは富士重工。
新製配置区は千葉で、数年経たずに木更津区に移動します。
同じように房総の電化完成で高崎に移動しますが、1985(昭和60)年10月に廃車。
川越線電化で、余ってしまったのでしょう。
40~42の3輌が同じように落成したのですが、42だけは木更津を離れずJR化後まで残りました。
キハ30 15は、この製品では動力車です。
1963年3月の新潟鉄工製。
やはり新製配置区は千葉ですが、1969(昭和44)年ころに一時木更津にいました。
これまた同じ時期に高崎に移動して1987(昭和62)年2月の廃車。
みごとに経歴が揃っています。
メーカーでも、調べたのでしょうね。
千葉区の所属表記を、インレタで入れてやりました。
ちなみに、エンドウ製品はキハ35 61。
千葉と成田を経て、同じ時期に高崎に移動してますから、揃っています。
おもしろくもなんともないくらいに。
千葉から東唐津や福知山に転じた車輌もあるのですがねぇ…。
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