肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『ツリー・オブ・ライフ』、観ました。

2012-03-19 14:05:20 | 映画(た行)

監督:テレンス・マリック
出演:ブラッド・ピット、ショーン・ペン、ジェシカ・チャステイン
※第64回カンヌ国際映画祭パルムドール

 『ツリー・オブ・ライフ』、観ました。
1950年代半ば、オブライエン夫妻はテキサスの田舎町で幸せな結婚生活を
送っていた。しかし夫婦の長男ジャックは、信仰にあつく、男が成功するためには
「力」が必要だと説く厳格な父と、子どもたちに深い愛情を注ぐ優しい母との間で
葛藤する日々を送っていた。やがて大人になって成功したジャックは、自分の
人生や生き方の根源となった少年時代に思いをはせる……。
 この頃、ふと自問自答する――、我が子の育て方は正しいか、自分は
父親としてどうあるべきか、そして家族の未来について――。勿論、この映画を
観たからといって、その答えが出るはずもない。いや、そもそもにおいて、
その問い自体に“(明確な)答えなど存在しない”のだから。この映画では、
“神の存在”を暗示させつつ、子にとっての親、また、親にとっての子、その
両者の関係がどうあるべきかを説いている。個人的に、これまでテレンス・
マリックといえば、その映像に酔うことはあっても、そのストーリーに深く
感銘を受けることはなかった。が、今作では、“神”という崇高な対象を、
身近な“ホームドラマ(親子の絆)”に重ね合わせて描いてくるとは、まさか
予想だにしなかった。
 さて、上にも書いたように、映画はいわゆる“ホームドラマ”の形態だが、
その背後には、地球上にある生命の誕生から営み、今に至る命から命への
繋がりに至るまで、“神の存在”を印象付けて構成されている。そう書いてしまうと、
どこか“宗教色”の強いものを想像してしまうが、むしろ、これは“哲学”に近い。
ここでの“神”は、《創造者》としてのそれであって、作り出した世界の営みには
深く(全く?)関与しない。この世に“生”が誕生し、やがて何の前触れもなく
消えていく――。神は我らに(命を)与え、そして奪い去る。なぜ?、どうして?、
与えたのになぜ奪う??、その、我々の問い掛けに、神は答えない。《すべては
あるがままに》、それが“神の意思”であるかのように。
 映画終盤、道(人生)に迷い、大人になった長男ジャックは、子供の頃の
自分に案内されて、荒野に置かれた“一つの扉”の前にたどり着く。その扉は
“生”から“死”に繋がる入り口だろう。そして、そこを潜ると、先には“永遠の
世界”が広がっている。いつか自分もその場所に――、30年後か、50年後か、
もしかしたら明日かも……。でも、その時までは――、生きるしかない。
ふと見わたせば、この世界はキラキラした“輝き”に満ちている。だからこそ、
今、この瞬間を懸命に生きるのだ。
 ならば、自分は我が子にどう育って欲しいのか――、映画の中の父親のように
“強い人間”に?、それとも片や母親のように“心優しい人間”に?、いや、違う。
この映画を観終わった今、(我が子に対して)切実に思うこと――、
ただ“無事”でいて欲しい。そして、どうか《己に正しく、自分の思ったとおりに
生きて欲しい》。そう思うことが、“父”として…、“(我が子の)創造者”としての
責任だと思うから。

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