肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『ブロークン・フラワーズ』、観ました。

2007-01-31 21:24:22 | 映画(は行)


 『ブロークン・フラワーズ』、観ました。
中年、独身、お金持ち、盛りを過ぎた女ったらしのドン・ジョンストンのもとに
届いた差出人不明の手紙は、彼の知らない19歳になる息子の存在を告げていた。
おせっかいな隣人ウィンストンに背中を押され、ドンは手紙の手がかりを求めて、
アメリカ全土に散った20年前の恋人たちを訪ねることに…。 
 良くも悪くも“ジム・ジャームッシュ”らしいロードムービー。シュールな笑いと
気だるいような時間の流れ、そして、シーンとシーンを繋ぐ“特徴的な余白”の
使い方。例えるなら、それは車のハンドルでいうところの“あそび”みたいなもの。
普段から急(せ)かされて生きることに慣れてしまった我らには“不思議な
落ちつき感”を与えてくれる。しかし一方で、一向に思わせぶりなヒントばかりで
明確なる解答が見えてこない“のんびりした展開”は、観る人によっては“ある種の
じれったさ”を感じるのかも。まぁ、知らない人には、そういうのも全部含めて
“ジャームッシュ”だと思って受け入れるしかない(笑)。人生の空虚感だとか、
心に吹くすきま風だとか・・・、オイラ的にはこれはこれで理解出来ないことは
ないのだけどね。
 さて、物語はある日突然、主人公の元へ差出人不明の手紙が届き、果たして
その差出人は誰なのか、順々にかつての恋人たちに再会していくというもの。
勿論、そこには全てのジャームッシュ作品、共通テーマとなる“自分さがしの
旅”が根幹にあって、元カノたちとの再会を通して、これまで“自分が歩んできた
人生”を見つめ直していくわけだ。ただ、ここで注目したいのは、彼との再会を
歓迎する者、一定の距離を置こうとする者、怒りをあらわにする者…、それぞれ
反応は様々だが、唯一、共通している事がひとつある。それはその娘であったり、
その秘書であったり、その夫であったり、その用心棒であったりが邪魔をして、
なかなか2人きりになれないのだ。つまり、彼女たちはすでに“あの頃”と違った
“今”を生きていて、もう昔の日々には戻れないってこと。もはや彼にとって、
手紙の主が誰だったのかとか、自分に隠し子が居たとか居ないとか、そんな事は
どうでも良い。過ぎ去った過去は消すことはできないし、先々(未来)を考えたって
仕方ない。ならば、真実を受け入れ、“今”を大切に生きるしかないのだと。いや、
むしろ、それはこう考えることが出来ないか‥。この主人公がそのまま“ジム・
ジャームッシュ自身”だと。かつて若き日の絶頂期から新しいスタイルを探す形で
模索して、本来のフォームを崩していたジャームッシュ。しかし、今作では再び
“自身のルーツ”に帰って、見失っていた自分を取り戻したかのように思えてくる。
ラストシーン、ひとり路上に立ち尽くした主人公は、もしやジャームッシュ自身…。
これから何処に進めば良いのか分からない。確かなことはただ一つ、“今”を
信じて、“自分らしく”生きていくしかないのだと。

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