坂東三十三観音霊場第27番札所の円福寺をお詣りする。
銚子駅から銚子電鉄に乗り、”かんのん”で下りる。歩くと、すぐに坂東三十三観音の看板が見えたので、そちらでご朱印を貰った。しかし、そこは本坊で、観音堂は別にある。案内板で気がついた。
観音堂へは数分歩く。信号も渡らなければならない。本坊と観音堂は分断されてしまっている。
左に五重塔があった。
二子神社参拝後、田園都市線で溝の口駅で下車する。新城神社と二子神社のご朱印を貰うため、溝口神社へ行く。
溝口神社の兼務社は他にまだ3つ(御嶽神社、久地神社、久本神社)あり、いずれのご朱印も溝口神社で貰えるが、暑さがひどく、他は断念した。
溝口神社は溝ノ口の繁華街とは反対方向の西口にある。表通りに面していないのでわかりにくい。
ノボリに伊勢神宮を勧請したとある。祭神は、天照大神である。
ここの社額は東郷元帥のものである。ご朱印もそれをうつしたものだ。
東急田園都市線・二子新地駅から徒歩5分、二子神社を参拝する。普段は無人の神社で溝口神社が管理する。
二子新地駅から左に向い、突き当たりをまた左に向うと、鳥居が見える。
奥に社殿が見える。多摩川の土手の前である。
もともとは神明社だった。祭神は、天照大神である。
境内の右側に岡本かの子文学碑がある。珍妙なオブジェだと思うが、息子の岡本太郎の作品である。岡本かの子は二子の旧家に生まれたのだ。
ご朱印は、溝口神社で。
南武線・武蔵新城駅から歩いて10分、新城神社を参拝する。溝口神社の管理する社で、普段は無人である。
祭神は、五十猛命と天照大神で、先日お参りした(末長)杉山神社と同じである。
境内に集会所があり、ヨガのレッスンをしていた。
ご朱印は、溝口神社で。
甲府市に鎮座する武田神社を参拝する。
甲府駅を下りると、武田信玄公生誕500年のカウントダウンの案内を見る。オリンピックは終わったはずなのにナンなのか不思議に思ったものだ。
武田信玄は1521年11月3日に生まれたのだ。本来なら今年の11月3日は大賑わいだが、コロナでどうなることやら?
武田神社は、武田信玄の居館・躑躅ヶ﨑館跡に創建されたものだ。武田信玄は城をつくらなかった。
武田神社の祭神は、武田信玄(公)である。
甲府駅正面の道を真っ直ぐ歩けば到達するが、ずっと坂になっている。最初はなだらかで、最後はやや急になる。甲府駅から歩くのは結構キツい。帰りは下り坂だから楽だ。
駅から武田神社行きのバスに乗る。1時間に2本あり、00分と30分にでるのでバスの時間も覚えやすい。
武田神社正面の道。甲府駅に通ずる。坂になっているのが分かる。
社殿。茅葺きだった。
新作八幡宮の西に鎮座する(末長)杉山神社を参拝する。川崎、横浜には杉山神社が多い。普通は区別するために地名をつけるが、ここのご朱印は杉山神社だけ。メモでもしておかないと、あとで困る。
高津区末長二丁目に鎮座する。最寄りの駅は溝ノ口駅。バスで4分ほど。「末長」で下車する。
隣接して明鏡寺がある。明治以前は神社ー別当寺の関係だったのだろう。多宝塔が見えた。
御神木のシイの木。
神職さんは掃除の最中だった。野川神明社も掃除の最中だった。緊急事態宣言下ではお参りする人も少ないのだろう。
神社はこういう状態だが、これがいつまで続くのかというと、見通しが立たないのが恐ろしい。あと1年、2年と続くかもしれないのだ。
(末長)杉山神社のご祭神は、五十猛命と天照大神である。天照大神の弟が素戔嗚尊でその子が五十猛命であるから、叔母ー甥の関係になる。祭神が五十猛命というのは珍しい。出雲に五十猛神社があり、近くに山陰本線の五十猛駅がある。太田駅の近くである。お参りしたときのことを思い出した。
五十猛命は日本全国に樹木を植えたという木の神様である。杉山神社にふさわしい。
高津区に鎮座する新作八幡宮を参拝する。溝ノ口駅からバスで「新作」下車。
目の前が市営新作団地である。高齢者が多いようで、丘の上にあるから買物はどうするのかと他人事ながら気になる。上り下りが大変だ。道は狭く曲がりくねっている。
社殿は小さい。氏子さんが管理する神社らしい。
社務所は古びていて、散らかっている。声をかけたが誰もいないようである。呼び鈴があったので押して暫くすると、老女がやってきた。氏子さんだろう。丁寧にお辞儀をした。
ここからの眺め。武蔵小杉の高層ビル群が目立つ。
下に見えるのが第三京浜。背後に東京のビル群が見える。
川崎市宮前区に鎮座する野川神明社を参拝する。川崎の古寺である能満寺、影向寺の近くにある。バス停は能満寺で下車する。
いずれの寺社も南武線の武蔵新城・溝ノ口の南にある丘陵地帯にある。
江戸時代は韋駄天社だった。ご朱印に”いだ天神”とあるのは、そのため。神明社と合祀して野川神明社となった。社殿は普通、祭神は天照大神。
社殿の左側に韋駄天尊像がある。ランナーのお参りが多いとか。
このあたりは、丘の上である。
東京都世田谷区下馬に鎮座する駒繋(こまつなぎ)神社を参拝する。東横線・祐天寺駅から1キロほどの距離にある。
前日に駒留八幡神社をお参りしたが、この二つの神社は蛇崩川(スゴイ名前だね。)沿いにあった。蛇崩川は今では暗渠になっていて、その上を緑道に整備している。
赤い太鼓橋を渡る。太鼓橋があるのは、この下を蛇崩川が流れていたからである。
祭神は、大国主命である。
1056年に源義家が奥州に向う途中、この地に祀られていた子の神に武運を祈ったとされている。
ということで、ご朱印に、子の神とあり、源義家の武者絵が押してある。
非常事態宣言中で、参拝する人も稀らしく、どの神社でも呼び鈴を押さなければならない。
東急世田谷線・若林駅で下り、駅前を通る環七通りを右に歩く。世田谷通りの交差点を過ぎると、駒留八幡神社がある。
このあたりは「駒」だらけで、駒沢もあるし、駒場もある。馬事公苑もあるから、かっては馬の育成地だったのだろう。
急用の場合は松陰神社に連絡してくださいと張り紙があった。松陰神社の管理社であるようだ。
もっとも呼び鈴を押すと、神職さんが出てきたので、松陰神社へ行くことはなかった。
六所神社参拝後、松原駅から終点の下高井戸駅まで乗車。
菅原神社は住宅地の中に鎮座する。地図で見ると、分かりにくい。新宿方向へ歩き、二つ目の踏切を右に曲がる。高い樹木が見える。神社は鎮守の森を目指して歩けばいい。
神社名から分かるとおり、天神社である。
東急世田谷線の神社をめぐる。すでに松陰神社や世田谷八幡宮は参拝し終えている。
世田谷線は市電並みの路線だが混雑していた。緊急事態宣言などどこ吹く風である。
まず松原駅に鎮座する六所神社を参拝する。駅から徒歩5分。文字通り鎮守の森で迷うことはない。電車からも見える。
祭神は大国魂命である。府中の大国魂神社から勧請した。大国魂神社は一宮~六宮を合祀し、かっては六所神社と呼ばれた。
世田谷には六所神社が三つある。先日は、等々力にある六所神社を参拝した。区別するために鎮座地を付す。ここは赤堤の六所神社である。
(付記)
祭神は、由緒書きにもあるとおり、大国魂命だが、ご朱印は大国主命になっている。因幡の白兎の印判が押してあるので間違いない。大国魂命と大国主命は違うはずだが、どうなっているのだろう。
用賀神社を参拝後、田園都市線に乗り、次の駅の桜新町駅で下りる。神社の方向に迷う。地下鉄から下りると、いつものことだ。
桜神宮は「神宮」である。神社ではない。古式神道である。新興宗教のような気がしたが、明治初期の創建であるから、歴史がある。
礼拝も「二礼四拍手一礼」で、出雲大社と同じだ。この参拝作法については社務所に説明書があった。
桜神宮と呼ばれているが、神社標は「神習教本祠」である。神道十三派の一つである(らしい。)
朱印は直筆。習字の大会に出品したいような字である。他に限定朱印がある。こういう所は、女性に人気がある。
田園都市線・用賀駅で下り、用賀神社を参拝する。田園都市線は混んでいた。東京都は緊急事態と云うが、守る人は余りいない。コロナ禍も1年半もたつと、慣れがでる。
用賀駅から歩くが、地下の駅なので、まず方向が分からない。目の前が世田谷ビジネススクエアという高層ビルである。地図で確認して右方向へ歩く。
用賀神社の一帯だけ、樹林になっていた。
社殿から見ると、神明社系統である。
祭神は応神天皇、天照皇帝神、菅原道真である。こういう祭神は、色々な神社を合祀したからである。
もともとは神明社で、八幡社、天神社を合祀したという。神社名も地名をとって用賀神社とした。
ご朱印の「用賀」は左の線がない。こういう漢字はない。理由があるはずだが尋ねるのを忘れた。