ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

御朱印巡り 奈良 宇太水分神社

2019年06月30日 10時13分23秒 | 旅行

石上神宮から宇太水分(うだのみくまり)神社へ。この神社の名前をまともに読める人はほとんどいないだろう。

本殿が横に3つ並んでいるという珍しい形で、国宝に指定されている。

鳥居から入る。

拝殿。茅の輪はもう枯れていた。

特別拝観料を払うと、本殿内部に入場可能である。

神社は、古市場町にある。昔ながらの街並みであるが、観光資源にする気はないようである。

<御朱印> 単に「水分宮」とだけ筆書きされている。「宇太」は印判で押されている。宇多水分神社は大和を囲む4つの水分宮の一つである。宇多水分神社は実は、上社、中社、下社と3つあるが、今回参拝したのは中社である。

 


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御朱印巡り 石上神宮

2019年06月29日 08時55分31秒 | 旅行

奈良の寺社巡り、1日目は丹生川上神社三社をまわった。奈良のホテルに宿泊した翌日、まず石上神宮を参拝した。朝8時半からの特別参拝に参加した。

石上神宮は奈良でも屈指の古社だが、どういうわけか、今までお参りしたことがなかった。

特別参拝というのは、通常、拝殿に上がり、お祓いを受け、玉串を捧げればオシマイと思っていたが、石上神宮は違った。

「神拝詞」を全部唱えたのだ。神拝詞=(祓詞+大祓詞+十種祓詞+ひふみ祓詞+神拝詞+称詞)である。見たこともない言葉が並んでいるので往生した。特に大祓詞は長い。

拝殿は瑞垣で囲まれている。

拝殿は国宝である。

<御朱印>

 


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御朱印巡り 丹生川上神社・下社

2019年06月28日 09時07分57秒 | 旅行

丹生川上(にうかわかみ)神社・上社を参拝したあと、下社へ。バスで約1時間ほどかかった。

下社について気がついたことは、地形が中社と似ていることである。社殿の配置も似ている。

丹生川上神社・下社は丹生川沿いにある。

手前が拝殿、本殿は回廊を上がった中腹にある。

拝殿で説明を受けたが、神職さんではなく、アルバイトだったと思う。

神馬(しんめ)がいた。白馬、黒馬がいる。白馬は雨乞いの時、黒馬は長雨の時に奉納されたという。

境内。

<御朱印>

旅行の初日は、丹生川上神社三社をまわった。三社巡りが最優先のツアーだったからである。宿泊地は奈良中心部だった。


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御朱印巡り 丹生川上神社・上社

2019年06月27日 09時58分58秒 | 旅行

丹生川上神社(中社)から上社へ。バスで約50分ほど。もっとも道路工事で遠回りしたので、本来なら、もっと時間が短縮されていたはずである。

丹生川上神社・上社については、ダム工事のため、20年前に移転したものである。現在は丘の中腹にある。

場所的には、大滝ダムが建設されたことでも分かるとおり、深い渓谷である。明治期にここを丹生川上神社としたのも納得できる。

拝殿。宮司さんの説明では、寒川神社と同じ会社が建設したという。ミニ寒川神社のように見える。

遙か下に大滝ダム湖が見えた。

<御朱印> 御朱印紙が用意されていた。宮司さん夫婦しかいない神社である。予め枚数を連絡しておいたのである。

 

ところで、宮司さんは、以前は寒川神社の神職さんだった。話によると、全国の神社でご祈祷が一番多いのは寒川神社であるという話だった。これは意外だった。

現在の宮司さんが赴任してきたときは、この上社は神社を維持するのが困難な状態だったという。上社・下社とも、宮司不在の時もあったらしい。丹生川上神社三社の一つだが、それでもこういう状況に陥るということだ。

 


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御朱印巡り 丹生川上神社(中社)

2019年06月26日 11時17分37秒 | 旅行

丹生川上(にうかわかみ)神社三社巡り、まず中社を参拝する。中社は東吉野に鎮座する。

中社というが位置関係を示すものではない。中社が一番東側にある。

もともと所在が不明だった丹生川上神社を明治期に確定するとき、まず現在の上社を丹生川上神社とした。ところが、現在の下社から抗議があって、現在の下社を本社、上社と奥宮とした。”本社ー奥宮”の二社だった。

大正期に入り、精密な研究の結果、従来、蟻通(ありとおし)神社と呼ばれた現在の中社が丹生川上神社ということになった。

その結果、従来の本社は下社、奥宮は上社となった。

普通、丹生川上神社中社と呼ばれる神社は、自分の神社を中社とは呼ばない。単に丹生川上神社と呼んでいる。宗教法人の登録名も「丹生川上神社」である。

茅の輪の準備ができていたが、まだ通れないようになっていた。

拝殿。

本殿は丘の中腹にあるが、樹木に遮られて、よく見えなかった。

 境内の状景。

見た目、とりたててここが水利の神様を祀るにふさわしいとは思えなかった。

摂社の丹生神社。丹生とは水銀関連の用語で、弘法大師と深い縁がある。高野山の登り口に丹生神社がある。

神社の手前を流れているのは高見川で、昔は丹生川と呼ばれたという。

神社の先で四郷川が合流している。

そして、日裏川が東の瀧として流れ落ちている。

あえて言えば、この瀧が瀧神のように思えたのだろう。今はパワースポットとなった。

<御朱印> 先に記したように普通「中社」と呼ばれて上社・下社と区別しているが、神社自身は単に「丹生川上神社」としている。

 

朱印帖に御朱印をもらったが、旅行会社の案内では、個人で朱印帖に朱印をもらうのはやめてもらいたいと注意書きがあった。

それがたまたま添乗員が寺社参りツアーのベテランだったので、ツアー客の要望に応えた。

奉職する人が少ない神社だと、団体ツアーの御朱印は対応できない。

次に丹生川上神社へ行くツアーで、朱印帖に御朱印をもらえるかどうかは添乗員次第である。


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御朱印巡り 丹生川上神社三社

2019年06月26日 08時46分58秒 | 旅行

丹生川上(にうかわかみ)神社、上社、中社、下社の三社をまわった。三社巡りの専用の御朱印紙がある。

丹生川上神社は、奈良県は吉野山の奥に鎮座する水の神様である。奈良時代から、干魃の時、長雨の時と、その都度朝廷から勅使が派遣された由緒ある神社である。明神大社に名を連ねる。

有名な神社であるが、ともかく鎮座地が不便で、個人では行きにくい神社である。

個人旅行の時は、行きやすい神社を選ぶ。有名だが、行きにくい神社は避ける。

神社は山岳信仰と関連しているので、山の頂上や深山幽谷に鎮座するものも多い。行くのを諦めてしまう神社も多い。

丹生川上神社もその一つだったが、旅行会社がツアーを企画した。多分、アンケートで要望が多かったのだろう。

ツアーの企画が発表されて、翌日に申し込んだが、その時にはすでに催行が決定していた。で、今回のツアーは総勢40名という、この種の企画には珍しい大所帯の旅となった。普通は、20名に届かない。

行くのが難しくて諦めていた人が多かったのだろう。その後のパンフレットを見ると、追加設定もされて、8月にまた催行される。

丹生川上神社は上社・中社・下社と三社あるが、もともとは一つの神社だった。応仁の乱、及び戦国時代になると、水の神様どころの話でなくなり、いつしか忘れられてしまった。

明治時代に入り、明神大社ということで、丹生川上神社を確定しなければならなくなり、調査があった。

最初に、丹生川上神社とされたのは、現在の丹生川上神社上社である。しかし、丹生川上神社下社から抗議があった。下社は丹生川に川べりにあったからである。

そこで丹生川上神社下社を本社、上社を奥宮とした。

ところが、大正時代に入り、当時、蟻通神社と呼ばれた神社の宮司が詳細な研究を重ね、蟻通神社が古代の丹生川上神社であると主張した。

しかし、結論は出ず、上社、中社、下社の三社が丹生川上神社ということになり、現在に至っている。

 


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御朱印巡り 船橋大神宮

2019年06月25日 09時39分39秒 | 旅行

中山法華経寺を参拝後、京成中山駅から京成本線で大神宮下駅まで乗車。船橋大神宮は駅から徒歩5分。

<御朱印> 船橋大神宮は通称で正式には「意富比(おおひ)神社」である。延喜式内社である。

駅から社殿までは以下の如し。

 

船橋大神宮は、日本武尊伝説の神社の一つである。よって、紀元20年に創建されたという。

延喜式内社であるので、古社であることは間違いない。


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御朱印巡り 中山鬼子母神

2019年06月24日 15時05分36秒 | 旅行

中山法華経寺。祖師堂の右を横に行き、鬼子母神堂へ。

江戸三鬼子母神の一つである。入谷鬼子母神、雑司が谷鬼子母神と並ぶ。

御堂は鬼子母大尊神堂という。「鬼」の上の点がない。入力できないので、普通の「鬼」を使う。

一番奥に鬼子母神堂があり、自由には入れる。

<御朱印>


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御朱印巡り 中山法華経寺

2019年06月24日 09時49分58秒 | 旅行

<御朱印> 「大祖師殿」である。

祖師殿。御朱印は、画面右にあるボックスような場所でもらった。靴を脱がなければならない。

 

(補足)

葛飾八幡宮を参拝後、京成八幡駅から京成中山駅まで乗車。

駅から門前町が続いているようだが、面影は乏しい。門前町も維持するのが難しい時代になった。

仁王門。

仁王門の前に日蓮上人像。

中山法華経寺は日蓮宗の大本山である。

仁王門を通ると、左右に塔頭が並んでいた。

境内。

 

私が行ったのは、鬼子母神目当てだった。


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御朱印巡り 葛飾八幡宮

2019年06月23日 10時31分30秒 | 旅行

葛飾八幡宮を参拝。

<御朱印>

社殿。

 

(補記)

葛飾八幡宮は、千葉県市川市に鎮座する。神社名から言うと、葛飾区に鎮座すると誤解しやすい。

葛飾はもともとは下総国の一郡だったので、千葉県でもおかしくない。東京の葛飾区、千葉県西部、埼玉県南部の一帯が葛飾だった。

まぁ、横浜に住む私にとっては縁がない土地である。乗り換え案内でどういうルートで行けばいいのか調べた。神保町経由で都営新宿線で行くのが最も早い。終点の本八幡(もとやわた)駅で下りる。

新宿線の本八幡駅から京成八幡駅まで歩き、踏切を越え、成田方向へ歩く。踏切前に葛飾八幡宮があった。京成八幡駅の近くである。

古社の趣がある。随神門は風格十分。

参道。

神門。

社務所は神門の左横にあった。

寛平年間(889年~898年)に宇多天皇の勅願により、下総国総鎮守八幡宮として創建された。

(追記)

京成八幡駅。ローカル駅である。

遠くに高層ビルが見えた。ここに高層ビルかと思うが、総武線・本八幡駅前は繁華街である。

 

ところで6月22日の日経新聞夕刊によると、永井荷風の終焉の地は京成八幡駅の近くだった。こういう所で亡くなったのかと思う。もっとも永井荷風が亡くなったのは1959年で60年前だ。当時は、多分、田園地帯ではなかったのか。

 

 

 

 


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平成22年御朱印巡り 東京十社 白山神社

2019年06月22日 15時04分38秒 | 旅行

根津神社を参拝したあと、白山神社まで歩く。これで十社参りも完結である。

白山神社は、アジサイの名所として知られている。

 

<御朱印>

このときは直筆で書いてもらったが、その後に御朱印紙に変ったという話を聞いた。

 

東京十社の花は以下の通り。

亀戸天神社→藤

根津神社→ツツジ

白山神社→アジサイ

王子神社は飛鳥山公園の桜。


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平成22年御朱印巡り 東京十社 根津神社

2019年06月22日 09時51分14秒 | 旅行

王子神社参拝のあと、南北線で東大前駅まで乗る。ここから根津神社まで歩く。

根津神社はツツジの名所だが、4月1日では全く季節外れである。

社殿。

<御朱印>


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平成22年御朱印巡り 東京十社 王子神社

2019年06月21日 14時34分32秒 | 旅行

赤坂氷川神社を参拝したあと、六本木一丁目駅まで歩き、ここから南北線で王子駅まで乗る。

王子神社は駅前の丘の上にある。

写真はこの3枚しかない。飛鳥山公園の桜の方に気持ちが行っていたのだろう。

<御朱印>

 

王子神社のお参りはそこそこに飛鳥山公園へ向う。4月1日に出かけたのも飛鳥山公園の花見のためである。

飛鳥山公園は次の1万円札の主人公のゆかりの地である。

 

もっとも東京十社の残りの二つをお参りすべく急ぎ足だった。


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平成22年御朱印巡り 東京十社 赤坂氷川神社

2019年06月21日 14時04分22秒 | 旅行

東京十社巡り、赤坂の日枝神社から歩き、赤坂氷川神社につく。

氷川神社は多いが、東京十社に数えられるのは、赤坂氷川神社である。間違えて他の氷川神社に行ってしまったことがある。

赤坂氷川神社の道路の向かいはアメリカ大使館職員宿舎である。

境内の雰囲気は都心とは思えない。蛇が生息しているように思える。

社殿前が狭すぎて撮影困難な神社である。

御朱印をもらい、早々と立ち去る。

<御朱印>

 

 

 


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平成22年御朱印巡り 東京十社 日枝神社

2019年06月20日 10時10分58秒 | 旅行

平成22年4月1日。残りの東京十社を巡る。都内の桜の開花に合わせて巡ったものである。

まず、日枝神社。撮った写真を見ると、かなり雑である。何度も行っているのでいい加減になった。

<御朱印> 


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