ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

仏独旅行の思い出 ケルン

2016年09月24日 10時30分39秒 | 旅行
仏独旅行の最終地はケルンだった。大聖堂を見るため。結局、大聖堂と周辺の繁華街を歩き回っておしまいだった。











覚えているのはトイレが有料で金額の多いコインを入れても釣銭が出ないこと。日本人の目から見ると言語道断に思えるが、トイレ無料でトレットペーパーありの日本の方式がいつまで続くものだろうか?

トイレ有料、救急車有料の時代が来るように思える。

繁華街を歩く。





日本の繁華街と違って地味である。買い物の楽しみがないように思えるが、これがドイツなのだろう。


ケルンからフランクフルトに行き、フランクフルト空港から成田に戻る。行きと違い、帰りは飛行時間が短く感じられた。(実際偏西風に乗るから飛行時間は短い。)行きと帰りでは心理的な感覚が異なる。行きはモタモタ、帰りはスイスイである。

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仏独旅行の思い出 ライン川下り

2016年09月24日 10時03分56秒 | 旅行
仏独旅行の最終日は、フランクフルトからリューデスハイムに向かい、ライン川を下る。有名なローレライを通過する。





船からは古城を見ることができる。優雅な景色に見えるが、これらの城は通行料を徴収するために建てられたという。いわば税関である。城は多数で、物流の阻害になったことは間違いない。そう思えば見方も変わる。











ローレライには期待していた。学校で歌ったあの歌の舞台である。

しかし、日本人の目から見ると、どこが急流なのかと思う。普通の流れではないか。





ドイツ人にはこれで急流なのである。日本人から見ると、普通の流れである。これが急流なら、日本の川はすべて急流である。

こういう川の流れを見慣れている外国人には日本の川はすべてに見えるらしい。

終点で下りてケルンに向かう。




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仏独旅行の思い出 ハイデルベルク

2016年09月22日 15時06分00秒 | 旅行
仏独旅行、ドイツ国内は、ローテンブルクからハイデルベルクへと向かう。市内をネッカー川が流れ、古城で有名である。





ハイデルベルクというと、すぐ戯曲「アルト・ハイデルベルク」を思い出してしまう。日本でもこの戯曲はポピュラーとなった。日本初演は松井須磨子の出演というから古い。

この戯曲はアメリカでロンバーグが「学生王子」というミュージカルにした。「学生王子のセレナード」はマリオ・ランツァが歌い、大ヒットした。ランツァのCDを持っているが、大変な美声の持ち主である。











本来なら、古城へ上り、街を見下ろしたいところだが、時間がなくてかなわなかった。


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仏独旅行の思い出 ローテンブルク

2016年09月21日 11時41分03秒 | 旅行
ローテンブルクはドイツ・ロマンチック街道の町のひとつである。ロマンチック街道という名は日本人観光客向けにネーミングされたという。

この街を見ると、ドイツの街の特徴がよくわかる。周囲が城壁で囲まれている。日本人の感覚でいうと「城」である。





城門をくぐり街に入る。





中世のお伽の国に来たような気分になる。ドイツ人は頑固で古いものを存続させる。









中世の服装をした男たち。日本ならサムライ姿といったところか。





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仏独旅行の思い出 続き

2016年09月19日 21時25分15秒 | 旅行
フランス・ドイツ旅行はまだ続きが残っている。

ノイシュバンシュタイン城を観光した後、ヴィース教会を観光する。外側から見ると、なんということはない教会だ。







このヴィース教会は内部の美しさで有名らしい。内部はロココ様式で華麗である。

しかし、肝心の内部の写真がない。間が抜けているが、間抜けな証拠として残しておく。

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引越し

2016年09月19日 21時19分53秒 | 雑感
引っ越しました。

感想……70歳を過ぎたら引越しはしない方がいい。荷物の廃棄、荷物の整理でストレスが高じる。

楽にできるようで実際は大変である。

それに季節を選ぼう。暑いときは疲れがたまる。高齢になれば日時は自由だから、涼しくなってからだ。10月下旬~11月が望ましい。春ならば4月がいい。

ネットはADSLから光ファイバーに変えた。NTTに来てもらって設定してもらった。光ファイバーにしたものの、速さは大して変わらない。動画をDLするなら違いはあるだろうが、動画をDLする予定はない。

料金は倍以上になってしまったので、これは失敗だった。

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仏独旅行の思い出⑧ ノイシュバンシュタイン城

2016年09月08日 05時28分05秒 | 旅行
ノイシュバンシュタイン城はドイツ観光の定番である。

もっとも私が行ったときは前面は補修中で下からは見られたものではなかった。このことは旅行会社からあらかじめ言われていたのでさほど落胆はしなかった。

城の美しさよりも周囲の風景の美しさに目を見張る。













肝心のお城だが、改修が終わったためかどうか、新しく、何かディズニーランドのような気がした。









ヨーロッパの景色には共感するところが少なかったが、ここは違う。












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仏独旅行の思い出⑦ ストラスブール観光

2016年09月07日 09時54分26秒 | 旅行
高速鉄道で、パリからストラスブールへ。ストラスブール観光。とはいえ、街中を歩いて、大聖堂を見ただけだけどね。





やはり、大聖堂は目立つ。キリスト教徒ではないので有難味は全然感じなかったが。外国人が日本のお寺を見ても同じように思うはず。







大聖堂の中は美しかった。ステンドグラスが素晴らしい。



日本にはない? 日本のお寺は庭園ですよ。あちらの教会には庭園がない。



街中を再び歩く。





ヨーロッパ文明を石の文明とはよく言ったものである。川辺に出てホッと一息する。水と緑が恋しい。



ストラスブール観光は早々に、ドイツのシュトゥットガルトに向かう。仏独国境はシェンゲン協定で自由に往来できる。神奈川県から東京へ行くのと変わりがない。


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仏独旅行の思い出⑥ パリ~ストラスブール

2016年09月06日 09時25分58秒 | 旅行
モン・サン・ミシェルを観光した後、地元のホテルに宿泊。個人営業のコテージにようなホテルだった。モーニングなど、台所で食べるような家族的雰囲気だった。

パリ~モン・サン・ミシェルは日帰り旅行も可能で、そのようなスケジュールをたてるツアーもあるようだ。強行軍になることは間違いない。

宿泊したホテル。



ここからパリへ戻る。途中で休憩。フランスでは運転時間が5時間以上だと、間に45分以上の休息をとらなければいけないルールになっているらしく、暇を持て余した。



パリに着く。ここから高速鉄道でストラスブールへ向かう。日本と勝手が違うのは、荷物はポーターが運ぶことで、きちんと運ばれるかどうか不安になった。電車の荷物棚に適当に置かれていた。



駅前。



パリから高速鉄道でストラスブールへ。途中の景色は農村の田園風景が続く。フランスが農業国であることを改めて知る。

ストラスブールに到着。仏独国境の町である。フランス領になったり、ドイツ領になったり。ドイツ領の時はシュトラスブルグであるが、現在はフランス領で、ストラスブール。

ストラスブール駅前。




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仏独旅行の思い出⑤ モン・サン・ミシェル

2016年09月05日 11時22分23秒 | 旅行
北フランスにあるモン・サン・ミシェルを観光する。定番の観光地である。海のピラミッドを言われている。

どういうわけか、私は錯覚し、サン・モン・ミシェルと覚えていた。間違えやすいでしょ。

パリ空港の審査官に「どこへ旅行しますか」と日本語で聞かれたので「サン・モン・ミシェル」と答えた。そうすると、「ノン、モン・サン・ミシェル」と言われたので、それ以後は間違えることはない。

モン=山である。モンブランはモン(山)ブラン(白い)の意味である。モン・サン・ミシェルはモン=山、サン=聖人、ミシェル(人名)で、聖ミシェルの山という意味である。ここは山のように見えるのだ。


修道院だが、厳しい気候、厳しい修行で、大方の修道僧は30歳前後で死んだという。

私が行った2012年には改修工事中だった。もともとは潟の中にあり、満潮時には歩いて渡れなかった場所である。

そこに土盛りし、土手を作って道を通したのだが、こうなると、海の水が流れなくなり、環境が変化し劣化した。

海水が流れるように橋をかける工事に最中だった。

モン・サン・ミシェルを称して、あれは江の島だといった御仁がいる。確かに江の島をスケールアップすれば、モン・サン・ミシェルになるかもしれない。


モン・サン・ミシェル

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仏独旅行の思い出④ ジルベニー庭園

2016年09月04日 09時49分51秒 | 旅行
パリからもン・サン・ミシェルへ行く途中、ジルベニー庭園に立ち寄る。クロード・モネの自宅の庭である。モネの自宅は今では博物館になっている。

フランスの陽光の元、緑と花が滴るように美しかった。

ジルベニー庭園

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仏独旅行の思い出③ ヴェルサイユ宮殿

2016年09月03日 11時10分57秒 | 旅行
フランス旅行にはヴェルサイユ宮殿が欠かせない。











これが宮殿だ。

この後帰国して皇居の宮殿を見たが、気が抜けたことを覚えている。












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仏独旅行の思い出② セーヌ川・エッフェル塔

2016年09月02日 10時52分25秒 | 旅行
仏独旅行、ルーブル美術館のあとはセーヌ川遊覧である。

写真は何枚かあるが、映っている建物が何の建物だったかはわからない。日本語のガイドがなかったからである。数国語のガイドがあったが、アジア代表は中国語である。

日本人観光客の影は薄くなった。4年前にすでにこうだったのだ。















エッフェル塔が見えたが、パリの街並みからいうと、エッフェル塔はかなり異端である。



セーヌ川遊覧を終わり、エッフェル塔へ行く。途中、凱旋門前を通る。通過しただけ。



エッフェル塔。周辺は整備されている。東京タワーやスカイツリーとは違う。全体の景観を保つように配慮されている。

日本には全体を配慮する発想がない。継ぎ足し継ぎ足しで作っていく。


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仏独旅行の思い出①

2016年09月01日 09時16分26秒 | 旅行
ヨーロッパを旅行したのは2012年である。2回行った。12時間という飛行時間に参ってしまった。今なら、ビジネスクラスなら行けるかもしれないと思うが、治安状態が不安で、無理して行くこともないだろう。

パリまで飛行して、パリの街を見る。映画で見慣れた光景である。











ルーブル美術館。お上りさんらしく、何を見たのか、思い出せない。





ダヴィッドの「ナポレオンの戴冠式」の絵の大きさに驚いたことは覚えている。絵の大きさ・小ささは画集ではわからない。


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