ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

ぶらり漫歩 千葉市 登渡(とわたり)神社

2022年10月28日 19時56分51秒 | 旅行
千葉市中央区登戸(のぼと)に鎮座する登渡神社を参拝する。新京成線の新千葉駅でおり、徒歩5分。

登戸といえば、川崎市にも登戸があるが、こちらは「のぼりと」と読む。千葉市は「のぼと」と読む。いずれにしても、登り口の意味である。

地名から分かるとおり、ここは江戸湾の登戸浦に面した地域である。登渡神社も海に面していた。葛飾北斎の描くところによれば、海辺に鳥居が立っていた。今では埋め立てられ、海岸線からは距離がある。



社殿。江戸時代の創建で、もともとは寺院だった。社殿が寺院風なのはそのためである。妙見信仰の寺院で、明治になり、神社となった。妙見信仰のお宮だったところは、祭神を天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とするところが多いが、ここも同じである。一番最初に出現した神である。


境内から千葉の町を見る。高台にあることが分かる。


江戸時代は寺院だった。真言宗の寺院だったようである。駐車場に大師堂があった。



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ぶらり漫歩 千葉市 寒川神社

2022年10月25日 08時09分25秒 | 旅行
千葉市にある寒川神社を参拝。寒川神社と云えば、相模國一之宮の寒川神社がすぐに思い浮かぶ。千葉市にもあるとは思わなかった。

相模の寒川神社と同族の集団が創建したものらしい。創建年代は不明。延喜式内社に比定されている。

JR外房線の本千葉駅から徒歩で10分ほど。




江戸時代は、神明社だった。明治になり、再び寒川神社となった。ということで、祭神は天照大神。もちろん、相模と共通する寒川比古命、寒川比売命も祭神である。



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ぶらり御朱印漫歩 東京都足立区 大鷲(おおとり)神社

2022年10月22日 07時09分01秒 | 旅行
足立区花畑に鎮座する大鷲神社を参拝する。来月には酉の市が多くの神社で開かれるが、酉の市のもとになったのが、ここである。600年以上の歴史がある。

交通の便は悪い。東武スカイツリーラインの谷塚駅からバスに乗るのが一番良さそうだ。つくばエクスプレスの六町駅からもバスがある。

毛長川ぞいにあり、鎮守の森が遠くからでも分かる。





御朱印は、控え室で待った。なかなか、雰囲気のあるところだった。



庭園もある。近くの人のお詣りが絶えなかった。



酉の市は混むかというと、昼間は空いているという話だった。

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ぶらり御朱印漫歩 東京都小金井市 貫井(ぬくい)神社

2022年10月21日 09時27分35秒 | 旅行
国分寺駅からバスを利用し、貫井神社を参拝する。東京経済大学の近くに鎮座する。

非常に美しい神社で、神社に庭園があると云うより、庭園の中に神社があると云った方が適切だ。

ここは国分寺崖線で、湧き水の豊富な地域である。東には滄浪泉園、西には殿ヶ谷戸庭園と東京を代表する名庭園がある地域である。



朱塗りの太鼓橋を渡ってお詣りする。



祭神は、市杵島姫命と大己貴命である。市杵島姫命は宗像三女神の一柱で、弁財天に比定されている。


池。紅葉の季節は美しいだろう。お詣りするなら、紅葉の季節に。


国分寺崖線は湧き水が豊富で、ハケと呼ばれている。




氏子さんが応対してくれたが、今年の紅葉は遅いのではないかと云っていた。

ここも中央線のご朱印めぐりの一社だが、どれだけの参拝者があったかをきくと、昨日までで2200名だという答えだった。

貫井神社の創建は、1590年。湧き水の出る当地に弁財天を祀ったのが始まり。明治8年に厳島神社と改称した。その後、他の地域の貫井神社を合祀し、貫井神社と称するようになった。

今年になって、御池と境内を整備した。だから、現在のような姿になったのは今年である。



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ぶらり御朱印漫歩 東京都国分寺市 本町南町八幡神社

2022年10月20日 08時14分24秒 | 旅行
国分寺駅で下りると、改札前に中央線のご朱印めぐりの横幕があった。駅にも目立つポスターが貼ってあった。どのぐらいの人が巡っているのだろう?

ご朱印めぐりに載っている本町南町八幡神社を訪れる。ちなみに、ここはご朱印めぐりの期間だけしか御朱印がない。通常の御朱印はやっていない。通常の御朱印は目下検討中と云う張り紙がしてあった。

西部多摩線沿いにある。目の前が線路である。国分寺駅方向を見る。高層マンションが建っている。どこもこういう光景になってしまった。高層マンションなど愚者の塔にしか思えないが、時代が変ってしまったのだろう。


本町南町八幡神社は昭和26年(1951年)に創建されたものである。もともとこの地域には本村八幡神社があったが、遠距離なので、この地に分祀したものである。




境内は、やや殺風景。幹線道路沿いや市街地の中心地は、防災上の観点からこうなっているのだろうと思う。



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ぶらり御朱印漫歩 東京都日野市 八坂神社

2022年10月19日 07時46分28秒 | 旅行
日野駅前に鎮座する八坂神社を参拝。日野は新撰組のふる里である。日野の寺社巡りという案内図もあったが、今回は駅前の八坂神社にとどめた。

日野駅前を甲州街道が通っている。


甲州街道に面して、八坂神社がある。江戸時代の案内図では、牛頭天王社と記されている。


境内は、やや殺風景。


社殿は、おかしな形をしているが、これは古い社殿を保護するための建物で、江戸時代の社殿が中にある。


祭神は、素戔嗚尊である。



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ぶらり御朱印漫歩 東京都日野市 若宮神社

2022年10月18日 07時16分30秒 | 旅行
中央線・日野駅でおり、若宮神社を参拝する。中央線沿いにあるが、線路沿いの道がなく、少々迂回する。


日野駅から歩いているときは気がつかなかったが、ここは高台に位置する。




茅の輪が置いてある。


祭神は、仁徳天皇。

戦後に豊田地区の他の4つの神社を合祀した。



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ぶらり御朱印漫歩 八王子市 日吉八王子神社

2022年10月17日 07時49分36秒 | 旅行
中央線・西八王子駅でおり、日吉八王子神社を参拝する。場所は住宅地の中にあり、わかりにくい。日吉町にあることは分かっていたが、ぐるぐるとまわってしまった。




祭神は、國狭槌尊(くにさつちのみこと)という。馴染みのない神様である。

ご神像がつくられたのが940年。社殿は1595年に建てられた。


すみに延命地蔵尊のお堂がある。昔の名残なのか。



社務所は境内になく、無人の神社のように思えるが、案内がある。


ここ。↓ 



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ぶらり御朱印漫歩 横浜市保土ケ谷区 橘樹(たちばな)神社

2022年10月16日 07時47分30秒 | 旅行
(保土ケ谷神戸)神明社から天王町駅に戻り、反対側の洪福寺松原商店街に向う。旧東海道沿いに展開する商店街である。

旧東海道。神奈川宿から保土ケ谷宿に至る道で、一直線に延びている。


途中に、橘樹神社がある。


橘樹神社というと、日本武尊の妻・弟橘比売(おとたちばなひめ)命を祀っていると思うところだが、ここは違う。

このあたりは、かっては橘郡であった。その地名に由来する。


注連柱が立っている。すぐ汚れるので注連縄は渡さないようにしましたと神社の人は云っていた。



祭神は、素戔嗚尊である。京都の祇園社(八坂神社)を勧請して創建された。1186年のことである。

当初は、牛頭天王社とか天王社と呼ばれた。相鉄線の駅名の天王町はこの神社に由来する。

境内に不動尊の社がある。


隣に庚申塔が並んでいる。


もともとからこの橘樹神社にあったものではなく、市街地開発のため撤去されたものが、行き場がなく、ここに移されたものである。

橘樹神社を参拝後、洪福寺松原商店街に向う。


横浜でも指折りの商店街で、日曜日ということもあり大混雑していた。八百屋と魚屋が多いのが珍しい。近くに住んでいたら、生鮮食品は、スーパーで買わず、ここで買うね。

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ぶらり御朱印漫歩 横浜市保土ケ谷区 神明社

2022年10月15日 07時13分06秒 | 旅行
横浜市保土ケ谷区神戸(こうど)町に鎮座する神明社を訪れる。

相鉄線の天王町駅でおりる。天王町駅の目の前に横浜ビジネスパークの高層ビルがあるが、その背後に鎮座する。周囲は神戸町というが、神明社に由来する。



二本の柱が立っているが、注連柱である。ここから先が聖域である。本来は、ここに注連縄を渡すが、風雨に曝され、すぐ汚れてしまうので、注連縄をつけない神社もある。


祭神は、天照大神。


神明社から横浜ビジネスパークを見る。高層ビルがあると、神社の雰囲気がそこなわれるが、ここはまだ比較的に無難である。神社の清浄さは失われていない。


由緒書に「伊勢神宮領榛谷御厨総鎮守」とある。現在地に遷座したのは1225年である。

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ぶらり御朱印漫歩 神奈川県海老名市 弥生神社

2022年10月14日 09時00分03秒 | 旅行
相模国分尼寺蹟から弥生神社へ歩く。国分尼寺蹟近くの高台にある。





明治42年(1909年)に近隣の4社を合祀して創建された神社である。明治42年は神社の合祀政策が強力に推進されたようである。

講座などのワークショップ活動が行われるようになって、若い人が訪れるようになっている。

眼下に海老名市を見る。高層マンションが建つようになって、風景が変ってしまった。


対面が丹沢山系である。



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相模國分寺跡 / 国分尼寺跡

2022年10月13日 09時50分50秒 | 旅行
相模國分寺を訪れたあと、近くにある史蹟相模國分寺跡へ向う。


広い芝生で覆われている。子供の遊び場になりそうだ。國分寺がどういうものであったかは、ネットで再現されたCGが公開されている。


回廊跡。周囲は回廊で囲まれていた。



七重塔跡。


海老名駅前のVINA WALKの中庭(海老名中央公園)にこれを3分の1に縮小したものが建てられている。


國分寺跡から国分尼寺跡へ向う。600メートルほど離れている。




相模國分寺の謎は、この地に建立された理由が分からないことだ。國分寺は国府の近くに建てられるものだが、相模の国府は東海道線の大磯駅と二宮駅の中程にあったとされている。海老名では遠すぎる。

このことを相模國分寺のお坊さんにきいたが、それは謎なんですね、という返事だった。

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ぶらり御朱印漫歩 海老名市 相模國分寺

2022年10月13日 09時42分46秒 | 旅行
10月8日、相模國分寺を訪れる。本尊が薬師如来で、寅年御開帳の日だった。

寺の入口にある大ケヤキ。老木で、やっと生きながらえている状態だ。




現在は、高野山真言宗の寺院である。




相模國分寺というが、もともとの國分寺は南北朝時代の戦乱で焼失し、被害を免れた薬師堂を現在地に移した。江戸時代に再興されたが、明治、昭和と火災にあい、現在の本堂は平成6年に再建されたものだ。

天平時代の國分寺の境内は、史蹟相模國分寺跡として保存されている。どういう様子だったかは、CGで再現されたものをネットで見ることができる。

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ぶらり御朱印漫歩 八王子市 子安神社

2022年10月12日 06時54分20秒 | 旅行
高尾山の帰りに、八王子に立ち寄る。駅近の子安神社参拝。名前の通り、安産、子育ての神社である。759年の創建というから、約1260年前である。古社である。


境内は細長で、やや狭苦しい。横に結婚式場の葵会館があるので、こうなった。


ご祭神は、木花咲耶姫である。


拝殿右前に木花咲耶姫命の像がある。珍しい。


おみくじ所。華やかムードである。


葵会館前の池。東郷会館を思い出した。




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ぶらり御朱印漫歩 高尾山薬王院

2022年10月11日 15時48分36秒 | 旅行
関東三天狗の一つ・高尾山薬王院を参詣する。天狗といえば深山幽谷に出現するものだが、高尾山は人気観光スポットで人出も多く、神秘性がない。

平日に訪れたが、観光客で賑わっていた。今からこんな状態なら、紅葉の季節はどんなことになるだろうか。それ相応の覚悟が必要だ。

ケーブル口から薬王院までは1キロほどある。徒歩で15分かかる。

浄心門を通る。


ミシュランで三つ星になったグリーン・スポットで、空気は清浄である。


「南無飯縄大権現」の石標がある。薬王院の本尊は飯縄大権現である。不動明王、歓喜天、迦楼羅(かるら)天、叱枳尼(だきに)天、弁財天の五相を合体したものという。


境内前。以前はここにそば屋があった。


仁王門。ここにお坊さんが立っていた。縁日だった。我々は、普通、高尾山薬王院と呼んでいるが、実際は「高尾山薬王院有喜寺」というらしい。文献で知ったのである。有喜寺とは知らなかった。仁王門で、お坊さんに確認したところ、宗教法人名は「高尾山薬王院有喜寺」で間違いないといわれた。知らないことってあるもんですなぁ。


境内は狭い。


天狗寺だけあって、天狗の像があちこちにある。大天狗と小天狗がある。

大天狗。↓


小天狗。↓ 小天狗の像は、天狗とカラスが合体したものに見える。


本堂。ちょうど、お護摩が始まる時刻だった。ここは、ホラ貝を吹きながら、僧侶が本堂へやってくるのだ。


天狗のお面。天狗寺である。


関東三天狗も残りは、迦葉山弥勒寺だけだが、沼田と水上温泉の中間にある。日帰りはきついかもしれない。

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