ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

利尻島 仙法志御崎公園

2015年03月31日 10時21分43秒 | 日記
利尻島。仙法志御崎公園。天気がよければ、湾の向こうに利尻富士が拝める絶好のビュースポットだが、天気が悪く叶わなかった。

利尻富士の山裾だけが見えた。






岩だらけの荒涼とした御崎を見る。








枯れ草が救いである。パタゴニア・フィヨルドでは、草木一本もなかったのだから。


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利尻島 オタトマリ沼

2015年03月31日 10時03分07秒 | 旅行
礼文島から利尻島へフェリーで渡る。

礼文島が平坦なら、利尻島は、中央に利尻富士が聳え、その山裾に人が居住する。九州の屋久島と同じ構造である。

オタトマリ沼へ。

天気が悪く、利尻富士は拝めなかった。


















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みなとみらい 花

2015年03月30日 19時12分40秒 | 日記
みなとみらい。運河パークから赤レンガ倉庫へ行く原っぱ。いつもは殺風景なところだが、綺麗に花が植えられていた。

すっかり花のシーズンになりました。














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礼文島 スコトン岬

2015年03月30日 16時27分41秒 | 日記
礼文島の北端は、スコトン岬である。日本最北端の地という。

とにもかくにも、寒かった。風が身体の芯までしみ通った。












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礼文島 猫台・桃台

2015年03月30日 16時15分56秒 | 日記
稚内から礼文島へ。フェリーである。

猫台・桃台へ。

荒涼としている。礼文島は花の島として有名だが、3月ではそれも望めない。「ともかく礼文島へ行った」ということである。











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3月の猿払

2015年03月29日 11時54分20秒 | 旅行
宗谷岬から猿払に行く。何もないところだけど。何もないのがいい。

みんな、退屈して、何かを求め過ぎ。そして、疲れちゃう。

あとに残るのは虚しさ。















都会人は、何もない豊かさを知らない。









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3月末の宗谷岬

2015年03月29日 11時53分57秒 | 旅行
3月下旬の宗谷岬。暗いし、寒いし…。





間宮林蔵像。ここまで来たとはエラいものだ。


こういう所に育ち、住めば、別の人生観を持っただろう。

結局、自分は、都会の人生観しか持てなかった。今さら変えることは不可能である。

他の生き方、他の考えに思いが及んだ。










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お墓

2015年03月29日 11時35分34秒 | 日記
四国八十八カ所霊場を巡ったのは、父が死んだ年である。父の死が促したのである。

霊場廻りから戻ったあと、お墓を改築した。そういう気分だった。

人が死ぬと、生き残った者は、何か、負い目を感じる。負い目を払拭したい気になる。周忌はそのためにある。



お墓を改築したが、この墓がどうなるかというと、見通しがない。

私は未婚で、子供がない。父と母と私の3人で終わりそうだ。

今思えば、父と母は仲が悪かった。父は小心で、それが母には不満だった。

母は自爆するように若くして死んだ。もっとも母の姉妹もいずれも若死にで、血統的なものかもしれない。

いずれにしても、父は生活能力がなく、母の死後に病んだ。入退院の繰り返しだったが、最終的には93歳まで生きた。

私は父以上に生活能力がなく、自堕落生活であけくれ。昔なら、40歳までに死んでいたことだろう。

その3人が同じ墓に入る。皮肉である。

今は、あとに何も残したくないと思っている。樹木葬とか、散骨の方がふさわしい。

墓地、霊園というが、数百年後に残るものはほとんどないだろう。

自分の人生をすべて抹消したいと思う人も多くなるだろう。

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桜 さぬき空港公園

2015年03月28日 15時45分41秒 | 日記
第1回目の四国遍路を終え、高知から高松空港に戻る。本来なら高知空港の方が近いが、席がとれなかったのだろう。

高松空港の目の前にさぬき空港公園がある。桜が美しかった。

飛行機を待つ間に散策した。

思えば、桜が満開の第1番札所・霊山寺に始まった旅である。桜で始まり、桜で終わった。運が良かった。





























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雨のお遍路 第36番・青龍寺

2015年03月28日 15時38分06秒 | 旅行
四国八十八カ所霊場第36番札所は青龍寺である。

青龍寺の近くに明徳義塾高校があり、横綱の朝青龍は明徳義塾に在校していたとき、青龍寺に通ったという。

四股名を朝青龍としたのはそのためだと先達さんが説明した。








雨に濡れた階段は怖い。








第1回目の四国遍路の旅は終わったが、帰りの羽田便は高松空港発だった。高知から高松空港まで行く。

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雨のお遍路 第35番・清滝寺

2015年03月28日 15時22分54秒 | 日記
四国八十八カ所霊場第34番札所は滝寺である。

雨が段々ひどくなり、バケツをひっくり返したような雨になった。




あとあと考えてみると、四国のお遍路では、ここの大雨が一番ひどかった。

ひどい天候も修行のうちである。たとえ大雨、強風、台風でも、お勤めする。それがお遍路である。








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春のお遍路 第34番・種間寺

2015年03月28日 15時13分11秒 | 旅行
四国八十八カ所霊場第34番札所は種間寺である。低い塀の向こうは田畑である。畑の中でお勤めするような気分になるので、記憶に残る。





雨が降るとお勤めも早くなる。

早々にバスに戻るが、雨に濡れると、バスの中も大変である。







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春のお遍路 第33番・雪蹊寺

2015年03月28日 10時12分58秒 | 旅行
四国八十八カ所霊場第33番札所は雪蹊寺である。

雪蹊寺の名前の由来は、長宗我部元親の法号に由来する。となりに元親を祀る秦神社がある。



雨もひどくなり、早々に立ち去った。




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春のお遍路 第32番・禅師峰寺

2015年03月28日 10時03分51秒 | 日記
四国八十八カ所霊場第31番札所は禅師峰寺(ぜんじぶじ)である。

ここは強く記憶に残る札所である。というのは、境内に奇岩があるから。お寺からの海の眺めも素晴らしいという。遠く、桂浜が見えるという。あいにくの雨模様で見通しが悪かった。
















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春のお遍路 第31番・竹林寺

2015年03月28日 09時51分35秒 | 旅行
四国八十八カ所霊場第31番札所は竹林寺である。

竹林寺が所在する五台山公園は、高知市の有名な観光地である。以前に観光したことがある。

お遍路で巡拝したときは、あいにく雨模様だった。







雨に濡れた緑が美しい。ここは苔寺でもある。









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