ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

インバル=都響 「大地の歌」

2017年07月18日 08時39分47秒 | 雑感
2017年7月17日、東京芸術劇場で、エリアフ・インバル指揮=東京都交響楽団のマーラー「大地の歌」のコンサートを聴く。

プログラムの前半は、マーラーの交響詩「葬礼」だった。これは実は、交響曲第2番の第1楽章の初稿に当たる。交響曲の作曲が頓挫し、第1楽章だけを交響詩「葬礼」として出版しようとしたが、出版はできなかった。その後、この「葬礼」は改作されて再び交響曲第2番第1楽章となった。

その後、交響詩「葬礼」は忘れ去られ、初演されたのは1983年で、楽譜が出版されたのが1988年、この曲が作曲されてから100年後のことだ。

15日にジョナサン・ノット=東響の「復活」を聴いたばかりである。改作されたとはいえ、「葬礼」とは大きな異動はない。同じ曲を聴く感があった。

ノットとの比較になってしまうが、インバルの方が振幅が大きい。大家の風格がある。都響の音も分厚かった。

後半が「大地の歌」。独唱は、アンナ・ラーション(コントラルト)、ダニエル・キルヒ(テノール)だった。

第1楽章が始まったとき、これはマズいと思った。ダニエル・キルヒの声が通らない。膜を通して聴くようである。オーケストラは雄弁で鳴り響いている。オケに声が負けている。これではダメかもしれない...

第2楽章。アンナ・ラーションに期待。こちらは十分な声量で仕草も堂々としている。深々とした声が素晴らしい。

経歴を読むと、アンナ・ラーションはキャリアが長く、キルヒはまだ新人らしい。横綱と前頭の組み合わせでした。

インバルの指揮は、大胆、明快だった。第6楽章のオーボエもフルートもあんなに楽しく吹いていいのかと思うぐらい印象的だった。ホールを出てからもメロディーを何度も口ずさんだぐらい。行進曲のようにきこえた。

インバルも80歳。やりたいように指揮できるのだろう。

アンナ・ラーションは目の覚めるような真っ赤なドレスでまぶしかった。世をはかなむような「大地の歌」とは似合わなかったかもしれない。これでは久米の仙人で、もう少しこの世にいたいと思う。女性に囲まれて……

この曲の最後は、「我が心はおのれの最後を待ち受ける。だが、大地はいずこも春ともなれば花を咲かせ新たな緑に覆われる。永遠に……永遠に……」である。

ある意味、ロマン的な厭世であるが、我々が現在知るところの科学的知見では、こうではない。地球(大地)はやがて熱して緑も花もなくなる。地球は太陽に飲み込まれ消滅する。やがて、太陽もなくなり、最後には宇宙もなくなり、ビッグバン以前に戻る。


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