鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

鳥瞰ニュースとは名ばかりで・・・(その6) モチベーション

2011年01月18日 17時35分32秒 | 随筆或いはエッセイ
先に(その4)で書いた人事不省の友人が亡くなった。全くの絶望的状態だったが、意識は戻らなかったものの二週間以上持ちこたえたあとで力尽きた。意識が戻らない或いは意識不明ということを言うけれど、医学的な使い方と、そうでない場合とでかなり違いがあるのではないかと思われた。会話が成立せず意思表示とみなされる動作はなくても、意識は時々戻っていたのではないか。意志は不断に発揮されていたのではないか。そのように想われた。

高齢で体力が無いという理由で外科的手術を全くしなかったのは、始めからサジを投げていたのではないか。小さく呻いていたじゃないか、呼吸が荒くなったり静かになったりしてたじゃないか、まばたきをしてたじゃないか、つないだ機器がピーピーなってたじゃないか・・・。あんなに生への執念を燃やして頑張っていたのだから、もっと細やかに診て看てやってくれたらよかったのにと想ったりするんである。家族へは十分にインフォームド・コンセントを行っていたのだろうし、割りに合わないかも知れないけれど、医者は恨まれる存在なのだなということを今更ながら想った。

人が亡くなると、その人との関係性や想いがついと浮力を得ておもてに現れてくるようだ。もう何もして上げられないという残念さと、その人との未来はもう無いという固着意識のようなものが働いて浮かび上がってくるのかも知れない。遺族に課せられたセレモニーを手伝うことができないか、供養に何を奉げようか、故人を偲んでせめて想いを分かちあえないか、ただ冥福を祈るしかないのかなどをそれぞれが考える。

通夜としてのセレモニーが終って参列者がぞろぞろと帰る。故人の奥さんと息子さんとお孫さんが出口で見送る。その三人が儀礼的な雰囲気を微塵も感じさせず誠に誠を表していて哀しいのであった。そして参列者も立ち止まってはそれぞれの挨拶の仕方で想いをあらわすのだが、哀悼を示すというのはこういうことなのだなというシーンもあり、受付にいた私はこの歳になって初めてのような感動を覚えたのだった。

私はせいぜい通夜の受付をやる位しかできない。次の日の告別式は断れない仕事があって欠席を決めていたから情け無い人間だ。感情的情緒的表出に遺伝的欠陥があるのかも知れない。親の葬式で私のきょうだい五人は誰も泣かないので、義理の親戚が『誰も泣かないね・・・』と遠慮なく言ったものだ。感情の表出はうまくなくても弔意は何らかの形で出したいと想う。そんな歳になったのかも知れない。

漫画のヒーローのタイガーマスク伊達直人を名乗っての寄付がニュースになっている。独りの慈善行為が呼び水となって、善意を引き出すというのはすばらしい。性善説を強く感じる出来事だ。自分が気持ちよく生きていくためのモチベーションということなのだろうと想う。亡くなった人への供養という想いからの行為も、自分が気持ちよく生き延びるためのモチベーションということなのだろう。

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3 コメント

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誕生日が近づくと、センチになるんでしょうか? (sukebo)
2011-01-19 08:19:38
友人の告別式で、白い歯を見せて笑って話をしている友人に怒りを覚えた。30歳ぐらいのとき、ボクは悲しんでいるのに・・・「弔問外交」が営業で身に付き、でも親族にはあの時の自分の気持ちを「思い出すように」身を引き締めています。
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sukeboさん (とんび)
2011-01-20 00:50:20
>白い歯
似たような経験があります。皆がおもいおもいのたむろの仕方で待ち時間を過ごしてる時に、自分がいる輪の中から、笑い声が発せられるとあわてます。自分の発言がその元だったりすると、なおのことバツが悪いです。弔事には笑い上戸で陽気な人とは話をしないのが無難だな・・・と思うわけです。
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宇和海さん (とんび)
2011-01-22 00:38:29
夢の中には郷里も両親もよく出てきます。
目覚めた後に涙こそ流さないものの人並みな悲しみを悲しんでいるのです。
などと言い訳をしたりして・・・。
寝ていて見る方じゃない夢は、まだそこそここそこそ見ています。
そのうち夢見爺などと呼ばれるのかも知れません。
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