ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔忘却からの帰還〕 【なぜメールは人を感情的にさせるのか】 小林正幸 ダイヤモンド社

2012年04月24日 | 〔忘却からの帰還〕
【なぜメールは人を感情的にさせるのか】 小林正幸 ダイヤモンド社


著者は私より一ひとまわりは違う四十代の心理学者。
不登校や閉じこもりがちの子どもたちとメールのやりとりを通じて、カウンセリングをする。
だから、内容はすべて自分の経験をもとにして綴られる。
ハウツー本ではない。

「10分以上、直接人と会話をしない人の割合が50%」という東大出版会の調査があるそうだ。
人間関係が希薄になっているいまの状況を示す好例だが、この本は、不登校児童に対するメールを通じて、そのことを考える。
子供たちとのメール交換では彼らには転移感情を見せる顔、見せたくない顔を隠し続けるケースに出会う。
メールは五感を通じての対面ではない。
自分に都合よく、自己をさらけ出す必要も生まれない。
メールのやりとりは、全人格的なつきあいではない。
著者はこれをキューレスメディアと指摘する。

世代によって異なるメール利用の世界の中で、その世代の特徴を彼はこう考える。
若者の連帯で社会変革を目指した我々五十から上の世代から、「連帯して社会を変えたってどうしようもないじゃないか」の連合赤軍以後の四十代、その個人の世界を深く追いかけてきた三十代。

連帯を体験するどころか「甘え、甘えさせる」「世話をする世話をさせる」という人間社会の泥臭い体験もない世代が親になる。
余計なお世話の身構えで、社会や人間関係に関わりたくはない。
そうした上下関係を経験しない世代が、不登校児童を扱えにくくなっている。
副題は「Eメールの心理学」となっていた。
著者の指摘は簡明だが、子育て、孫育てに、あれこれ考えさせられた一冊となった。
(2002年 7月2日 読了)



■■
あれから10年。
いま、メール社会はどう変わっているのだろう。
会社勤めはとっくに終えているから、メールはあまりしない。
スマホも必要性は感じない。
家のパソコンで十分の人生だ。

頻繁に使う相手はCメールのかみさん。
「いま、●●の所だ これから帰る」などひとこと電話と内容は同じ。
絵文字もたまに添えて。

【菜園】
本日は昨日から一転し、初夏を思わせる陽気となった。
セル苗で育てた春菊を畑に移植。
コカブの追加セル苗も移植。
晴れの日が続きそうで、さあ、これからが忙しい。



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