ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

【平成23年 弥生の七五】 東日本大地震 3月28日~3月31日

2011年04月19日 | 2011 暮らし雑感
3月29日
余震は続き、原発事故の放射能問題はなにひとつ先が見えないが、いつも通りの普通の生活に戻ろう。
畑に辛味ダイコンの種をまく。
レタスをセルに播種し、ダリアの目だしも行う
庭畑のブロッコリー花蕾を収穫しそのあとを整地する

pm4:00
原発4号機の中央制御室の照明が点灯
これで1-4号機のすべての中央制御室が点灯した。
最初の一歩か。

池上彰さん出演のテレビ
統合任務部隊として自衛隊の今回の活躍に感謝、頭が下がる。
陸自 7万人 海上 一万5200人 航空 2万1300人
ヘリ217機 飛行機 326機 艦船 53隻 戦車2両


3月30日
● 液状化 宅地にぽっかり穴を空け
読売埼玉版を読む。

久喜の住宅地 液状化被害
    旧栗橋町造成 住民ら市の責任追及

市が土地区画整理事業として造成、99年に完成した新興住宅地が
今回の地震で130戸に液状化の被害。配管が壊れ水が出ない世帯もあり、市と住民の主張おりあわずの様子が記されていた。

埼玉のホウレンソウ、小松菜などの産出額は全国1位。
その出荷価格が三分の一になっている。
風評被害の最たるものともいえる。
近くの農家のおばさんのSさんは私の指南役。
そのSさんは巨大地震の11日、那須塩原に近所のおかみさんらと旅行中。
当地は震度6。
温泉にも入らず直ちに脱出。
今市の辺りでも半倒壊家屋が目立った由。
だんなさんとは連絡が取れなかったが東京の息子とようやく連絡がついて迂回して無事が伝わったとのこと。

● 双葉町 畳で寝るは20日ぶり
双葉町の1000人を超える人々が加須の廃校の県立高校へ移る。
畳が運び込まれ50箇所の仮設トイレが設けられた。 
入浴は近くの公営施設を利用。
苦しい避難生活だが先ず畳の上で寝られることになったことの報にホッとする。

● 連帯も風評もある海の外
原発事故の影響で海外にも風評被害がひろまっている。
農産物をはじめ工業製品の輸出にも放射能を心配する声がある。
一方、アメリカ赤十字からの義捐金は100億円とのニュースもあった。
諸外国からの義捐金や連帯のメッセージも多い。
だが、風評被害は国内を越え海路を越えひろまっている。
長い間の鎖国もあって、精確で正確な情報を発信することに国も我々も馴れていない。


3月31日
カミさんにヨガを教えている女先生と立ち話。
富岡町から避難している人々に、ストレッチ体操を教えるボランティアをしているとのこと。

久しぶりに孫もきた。
娘の孫たちとジョイフルに行き自転車では扱えない農業資材、肥料など1年分を購入する。
手伝ってくれた御礼にオムライス、チンジャオロースなどを作る。
今日で弥生も終わる。

● 弥生とは 巨大地震にサリンまで
桜咲く弥生の季節は時に激烈な思い出を添える。
カルト新興宗教団体のオウム真理教が東京の地下鉄で起こした無差別テロ事件は16年前の95年3月20日だった。
「死の灰」が流行語となったビキニでの米水爆実験で第五福竜丸の船員23名が被曝したのは1954年(昭和29年)3月1日のこと。
久保山愛吉さんが「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言を遺して亡くなったニュースは当時10歳の記憶としても強烈なものが残って今になっている。
3月弥生は今日で終わり。
巨大地震に大津波、出口の見えない原発事故の収拾策、魚にも野菜にも風評被害が広がり、各企業の生産力は眼に見えて落ちている。
日々のニュースはまずこのことから伝え続けられて暦が変わっていく。
すでに桜は葉桜に向かっている。
この2011年3月の記憶は高校生、中学生、小学生、幼稚園の5人の孫たちにどう刻まれていくのだろうか。






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