ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

【忘却からの帰還】 「風船爆弾」 新潮文庫 鈴木 俊平

2013年05月01日 | 〔忘却からの帰還〕
「風船爆弾」 新潮文庫 鈴木 俊平

 風船を利用した爆弾があったことは少年時代に母から聞いた。
この本は目次も小見出しもなく、淡々と戦時下の事実が発掘され、それを時系列に追っている。
解説の三國一朗は、筆者を気鋭の作家として1行の紹介をしているだけで、思えば不思議な本だ。
ただスミソニアン博物館におさめられている風船爆弾の写真など数葉があり、冒頭から興味が湧いた。

 退陣間近な東条内閣が10万発の風船爆弾製造を命じる。
いつのまにか全国の家庭の食卓からコンニャクが姿を消し、コウゾなど和紙の原料とともに調達される。
千葉・一宮、大津、勿来が放球基地として選ばれ、コンニャクを接着剤として和紙の風船爆弾が高度1万キロメートルの高さを保持したまま米本土に向う。

結局、280地点に風船は落下し、なかには山火事をもたらしたものもあった。死者はわずか6名が確認されているだけだが、風船内部に細菌などを積み込まれたらと米側は驚愕し、厳重な報道管制を敷いた。
日本側も石井部隊などの実績をもとにペスト菌などを撒くことを考えたこともあったが東条も受け継いだ梅津もそこには踏み切れない。

風船は11月からの偏西風を利用し、上昇して時速200キロと新幹線なみのスピードで米本土に向ったとされている。

 軍事機密として仙台までの常磐線には鎧戸を落とさせたり、作業所として国技館や国際劇場が選ばれ、大津では海水を利用して水素ガスを需給するなど高度な技術力を見せ、米側も風船を撃ち落せたが飛ばしている基地所在までは、どうしてもつかめなかったという。
事実が読む側を少しも飽きさせない。
それを語る文も上手い。










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