ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

【天保期の方々】 (6) 【化政・天保の文人】 滝沢馬琴 杉浦 明平 NHKブックス

2009年02月24日 | 【天保期の方々】
【天保期の方々】 (6) 【化政・天保の文人】 滝沢馬琴 
                    杉浦 明平 NHKブックス


32年前の1977年。  
著者が、NHKテレビで話した内容に、2年をかけて手を入れて世に出したのがこの本。

 ● 28年かけて里見八犬伝
この大著、98巻106冊。 400字詰めで6400枚の分量というのだからすごい。

● てて親は貧乏旗本ご用人
父親は江戸深川で実収400石の旗本用人だったから20石くらいの扶持。
暮らしはきつい。兄も出奔したが五男の馬琴もこれに習った 。


● 俳諧師、医者のまねごと、占い師
このどれもあたらず芽もでない。
40歳まではあらゆるこに手を出した感じ。
ただこれらの経験が、ものがきとしての引き出しの多さにもつながっていたようだ。

● 飯田町 下駄屋伊勢屋の婿となり
馬琴は入婿となった。
この下駄屋さん、家作だけで年間20両が入ってくる。
ただ女房は年上で眇目の独眼竜。
2年後には下駄は廃業して手習い師匠に。


● 京伝の居候になり代作も
読本、黄表紙、合巻などを手がけた。

● 住込みの手代となって蔦重へ
この蔦屋重三郎という人は草双紙出版屋耕書堂を経営。
 吉原大門の前に書店を開き、はじめは吉原細見(店ごとの遊女案内書)の販売、出版などをやっていた。

● 京伝も蔦屋もともに発禁刑
寛政3年(1791年)には山東京伝の洒落本・黄表紙が摘発され重三郎には過料、京伝は手鎖50日という処罰を受けた。
 災い転じて福となそう。
馬琴は戯作界に進出 した。
筆名の曲亭馬琴には、調べてみたら二葉亭四迷のような由来があった。
二葉亭の場合は「クタバッテシメエ」親にと言われた自嘲からと記憶するが、曲亭馬琴は「廓で誠」とし、遊女に誠を尽くす野暮天というもじりが隠されているという。 曲亭は遊里、馬琴はマコト。
阿久悠が「悪友」としたことと同じようなことだ。



● 神田明神下に作家の居を移し
「八犬伝」で一代の文豪と名は高まり、明神下の八十坪の屋敷に息子の宗伯らと同居。
秋葉原の芳林公園にはこの住居跡の標柱が立っている。
当時、八丁堀与力は500坪、同心クラスは200坪の屋敷だそうだから原稿料で稼ぐ作家といってもその内実はとても苦しい。

● 八犬伝 コメ百俵分稼ぎ
馬琴は原稿料で生活した作家の第一号となる。
宗伯は松前藩藩医で稼ぎ、飯田町からは家賃の一部が入ってくる。
宗伯は落語・「明け烏」の若旦那時次郎のような無類の堅物で通っていたらしい。
酒も女も大の苦手で遊びもまったくしない。
孤高で口やかましそうな父親馬琴の影響もあったかも。
馬琴は北越雪譜を著した鈴木牧之に宛「市中にて無疵にそだてあげ申し候」と書いた。
宗伯はストレス、ノイローゼで死んでしまう。

 ● 老骨で背負う一家の生活苦
堅物息子が急逝。69歳がんばらねば。
8歳の孫の太郎、2人の幼女もいる。

● 書画会や蔵書を売って株を買い
株といっても孫の太郎の将来を思っての御家人株のこと。
天保7年、両国の万八桜で大盛況のサイン会。
出席者に崋山、種彦、国貞ら。
これで孫の太郎の将来に鉄砲同心株を買うことができた

● 見えぬ眼で八犬伝を校閲し
八犬伝には文化11年(1814年)から天保13年(1842年)までの28年を費やした。
馬琴 「天保十一年庚子日記」(1840)    
◯ 六月十三日 
”老眼、此節弥かすみ、細字稿本出来兼候間、昼時より、予作文にて、お路に教へ書せ、二丁半、二の巻の終迄、是を綴る。
◯ 十月廿二日 
〝当三四月頃、佐藤正?がきて、贈りこしたる八犬士画賛の歌并に扇面画賛一本、白石小塚縮図の抄録等、今朝直し、書之。衰眼かすみて、見えかね、只手かげんのみ也〟


 
 ● 失明後、著述はお路の代筆で
目の状態は、いよいよ悪化の一途をたどる。
板下写本や板本、書状に至るすべてを、息子の嫁のお路に読んでもらわないとらちがあかない。
原稿も口述筆記に頼る以外ないところまで悪化した。

● 最終巻 肝を冷やすも咎めなく
「八犬伝」最終巻の時、天保の改革がはじまった。
春水は手鎖で家主預け、田舎源氏の種彦は自殺。
だが八犬伝にはなんらのお咎めもなかったという。

● 嘉永元年 八十二歳の幕を閉じ
馬琴が亡くなったのは嘉永元(1848)年の11月6日。
南総里見八犬伝完成から7年の歳月が流れた。
その辞世の句。

世の中のやくをのがれてもとのまま かへすはあめとつちの人形

嫁と孫とに看取られたが、苦しく口やかましい生涯のはずだったと著者は結んだ。

● 八犬伝 東映映画の思い出も
土浦には、銀映座という小さな映画館があった。
ここでは東映時代劇がかかっていたので 子どもたちは小銭を握っては走って館に向かった。
昭和29年、この銀幕に八犬伝が登場。
東千代之介、中村錦之助が主演で月形龍之介、 大友柳太郎、悪役の権化のような吉田義男が脇を固めた。
八犬士が持っていた合図の玉、「仁、義、忠、孝、礼、 智、 信、」までは浮かんできたが、もう一つの玉が思い出せない。
ともかくこの玉を持った八犬士が紆余曲折をとって一堂に会するわかりやすい大ロマンの映画だった。








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