夢農園(野菜作り)
土筆
土筆(ツクシ)は、シダ類トクサ科の「スギナ」の胞子茎です。トクサは今から約五億年もさかのぼった古生代から、すでに地上に繁茂していたそうで、その親戚のツクシ(スギナ)は、言わば生きた化石なのかも知れませんね。「Equisetum arvense」と言い、英語では「Horsetail」と呼んでいます。日本語の「土筆」といい、英語の「馬の尻尾(しっぽ)」といい、まさにツクシを言い表すには的を得ていると思います。ツクシの生える時期、その年の陽気による場合と、日照時間によって毎年同じ時期に生えてくる場合があり、前者は暖かい地方で2月下旬~3月中旬に、また後者はちょうど桜が咲く時期に合わせて3月下旬~4月上旬に生えてきます。しかし、陽気につられて生えてくるツクシは、長い間地表近くで春の到来わ待っているためか、ツクシの頭の上半分がすでに惚(ほう)けて胞子を放出し枯れています。
今年夢農園では、少し遅れて土筆が出ていました。気がついたのが4月に入ってから見つけました。土筆が出てるよーと言って感動しました。
農園では、温度が低くて霜が降りる日が3月に入っても続き、ジャガイモを植える時期を見計らっていましたが、3月の中頃にやっと植えることが出来ました。イモの種類は、男爵、メークイン、アンデスレッド、わせ白、紫いも、と種類も色々と植えてみました。3週間たちますが、まだ芽を出してきていません。良い天気の日には水を上げています。
平野神社(ひらのじんじゃ)は、京都府京都市北区にある神社です。式内社(名神大)で、旧社格は官幣大社。
歴史
延暦13年(794年)、桓武天皇による平安京遷都にともない、平城京で祀られていた
今木神・久度神・古開神は大和国平群郡の式内・久度神社に祀られた。比売神は承和年間より祀られるようになったものです。
『文徳天皇実録』によれば、仁寿元年(851年)、今木神に従二位、久度神・古開神に従四位、比売神に正五位の神階が授けられ、その中で当社のことを「平野神宮」記述している。
その後も神階は昇って行き、貞観元年(859年) には今木神に最高位の正一位の神階が授けられている。延喜式神名長には「山城国葛野郡 平野祭神四社」と記載され、名神大社に列していた(2005年まで鳥居の扁額には「平野大社」と銘記されていました)。
また、祭神について「平 野大神」「皇大御神」という称号も使用されていました。例大祭の平野祭には皇太子が奉幣する定めになっていました。
また歴代天皇の行幸も円融天皇か ら後醍醐天皇までの17帝21回を記録するなど天皇家の崩崇敬も厚くそれに伴い、源氏、平氏、大江氏、菅原氏などの公の氏神にもなった。中世は二十二社の一社となった。神紋は桜で、今も桜の名所として名高い。平安時代の中頃花山天皇によって境内に数千本の桜が植えられたのが起源で、
寛和元年(985年)4月10日に臨時勅祭が開かれ平野桜祭りとして今に残る。
平野神社は、西暦794年に奈良から京都へ都が遷ったのと時を同じくして、今のこの地に鎮座しました。
平野神社では、四柱の神様うをお祀りしていま す。それぞれの神様を総合して『平野皇大神』とお呼びします。
伊勢神宮など五つの神社しかないように、大変格式の高い神様です。
寛和元年(西暦985年)4月10日平野臨時祭として、花山天皇により臨時の勅祭が行われたのが始まりです。
「幾世の春を床しく匂えよ」と、仰せられ、舞楽 『東遊』や競べ馬などが催されました。世に「北山御幸」というのは、この平野の臨時の勅祭のことです。
この桜花祭は午前の神事に続き、午後は騎馬 や織姫達の神幸列が氏子地域に繰り出し、
その行列は時代絵巻の様で、氏子の住んでいる町内を練り歩きます。
概要
平野神社は元々奈良の平城京に在った田村後宮皇后様の御殿の中にありました。皇城は都の災いを鎮め、お守りをしていました。794年に奈良から京都へ都が遷ったのと時を同じくして、今この地に鎮座しました。
794年に垣武天皇のお引っ越しと同時に平安京に遷ったのです。
こんな風に遷都と同時に、神社ごと一緒に移ってきたのは沢山ある京都の神社の中でも平野神社だけなのです。それほど宮廷と密接に関係を持っていたということなのでしょうか、広さは 150㍍四方、約8000坪あります。鬱蒼とした神社の森に囲まれています。
元々はもっと広く、室町時代に建立された金閣寺を含めた2㎞四方という広い範囲が平野神社の境内だったのです。
平安時代から鎌倉~室町~桃山~江戸と公家社会から武家社会に移り行く歴史の流れの中、平野神社の様子も随分と変わってしまいました。
昭和になってからも西大路通を広くする為に西側が削られ、今の大きさになりました。江戸時代初期に再建された重要文化財の社殿を中心に京都御所から移築した御門や社務所などがあります。
4月10日の桜花祭に行ってきました。素晴らしい天候で、神社に着いたら人、人で通ることも出来ないぐらいの人出でした。桜も満開で、ここの桜は、巨木の木が多かったです。しだれ桜も綺麗に咲いていました。なんだか解りませんがパンダの置物も桜の下に置かれていました。美しく化粧をして午後は騎馬や織り姫達の神幸列の氏子さん達が繰り出し、行列をして町内を練り歩きました。神前の中では琴や、三味線、笛、の演奏もありました。桜の咲いている中で琴演奏は風流でした。沿道にはお店が沢山出ていて、良い匂いがしていました。タケノコや椎茸の焼いたのが売られていました。珍しいのでタケノコの焼いたのを買って食べてみました。新タケノコは味付けして焼いてありました。美味しかったです。
夢農園門作り
去年から、少しずつ石を運んだり、土地を掘り起こしたりして手を掛けてきてい ました。石段は、石を置いて、コンクリートで固めて形作りをしてきました。段の所に草も植えました。近隣の人にも褒められるような門が出来 上がってきています。
このたび東日本大震災により被災された皆様 ご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。1日も早い復興をお祈り申し上げます。
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