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春を待つ春一番 鶯の声 夢農園で聞く

2012-03-09 17:36:38 | インポート

 夢農園(野菜作り) 

フキノトウDsc00309_2Dsc00306

  雪解けを待たずに顔を出す春の使者。一番早く出てくる山菜です。独特の香りとほろ苦さが春を感じさせます「春の皿には苦みを盛れ」と言います。冬の間にたまった脂肪を流し、味覚を刺激して気分を引き締めて1年の活動をスタートさせます。

去年は1月29日にフキノトウの芽を見ましたが、今年は3月5に芽を見ました。今年は植物が芽を出すのがおくれています。寒さが何時までも厳しい年です。春はすく゛そこに来ています。

葛城市相撲館

Img_4862Img_4869かつらぎしすもうかん)は、奈良県葛城市(旧北葛城郡當麻町)にある市立の博物館、「けはや座」とも呼ばれ、平成2年5月開館、館内では相撲に関する資料が約12000点あります。館内には本場所で使われるのと同じ土俵が作られています「けはや物語り」という独自のミニ映画が上映されています。直 ぐ近くに相撲の開祖・当麻蹴速の塚があります。

概要

  相撲の開祖である「当麻の蹴速」を伝承するとともに、市民の文化及び心身の向上並びに観光の拠点として地域の振興及び活性化を図ること。

Img_4872麻の蹴速

Img_4868_2 当麻の蹴速(たいまのけはや、たぎまのけはや、タエマクエハヤ、当麻蹶速、生年不明-垂仁天皇7年7月7日)は、垂仁皇 の時代に勇名をはせたと伝わる人物です垂。

解説       Img_4897Img_4896                                               「日本書記)によれば、大和国の当麻邑(たいまむら、現奈良県葛城市當麻)に住み、強力を誇って生死を問わない勝負をする者を欲していたため、これを聞いた垂仁天皇が出雲国から勇士であると評判Img_4903い、蹴速の土地は没収さImg_4902れて、勝者の野見宿禰の土地なったと言われています。。

「蹴速」という名前は、蹴り技の名手であったこ とを示すために名付けられたと推測されています。また、葛城市當麻には蹴速の 塚と伝わる蹴速塚がある。後世野見宿禰と共に相撲の神とされ、両者が相撲を取った地であると伝える奈良県桜井市の穴師坐兵主神社の摂社、相撲神社に野見宿禰とともに祀られている。地元の奈良県葛城市當麻には、蹴速の屋敷跡があると言う地元伝承が残っています。

土俵

Img_4890Img_4885こちらに展示している土俵は平成2年、日本相撲協会呼び出しの秀夫さんにより作られました土俵を新しく補正しました。この土俵は、40トンの赤土を使用し、大たたき、小たたきという特殊な道具で固めています。5㍍70㎝四方の中に勝負土俵ががあり、勝負土俵の直径は4㍍55㌢あります。

Img_4873Img_4863 土俵の中段にある俵を踏み俵と言います。踏み俵は、正面に1つ、東西に3つ、向正面に3つあります。正面は、審判委員長1名が座るので1つ、東西は審判委員長1名と控えの力士2名、向正面は、審判委員2名と控えの行司が座りますので3つの俵を必要とします。

Img_4892Img_4886  正面、向正面、東西に1つずつ突き出ている俵があります。これを徳俵と言います。これは昔の名残をそのまま残しているだけで、その昔は寺の境内など外部で本場所が行われました。

雨のImg_4874日は土俵のImg_4903_3 りました。それらを吐き出す為には俵を1つ外にだすと非常に便 利なため外に突き出しました。

今はすべて案内で本場所がおこなわれているため不必要となっていますが、昔の形式をそのまま残しています。

相撲神社Img_4866Img_4865_2

( 相撲神社の由来)むかし、すいにん天皇という天皇の時代に、奈良県の當麻のけはやという、力持ちの男の人がいました。當麻のけはやは、とても力が強く、角を折ったり、曲がった鉄を伸ばすことが出来るほどでした。。當麻の蹴速は、自分の力が強いので、まImg_4878わりのひとに、こういいました。周りに自分Img_4871ほどの力持ちはいないだろう。なんとかして、力持ちに会い力比べをしてみたい。天  皇はそれを聞いて「當麻の蹴速に並ぶほどの力持ちはいないか?と家来に聞くと、一人の家来が言いました。」

出雲の国にImg_4913_2、野見宿ねという力持ちがいると聞いています。このImg_4887人と、當麻の蹴速と力比べをさせてみたらいかがでしょう?」すぐ に、つかいをおくり出雲の国から野見のすくねをつれて来て、當麻の蹴速と力比べをさせました。その力比べをした場所この相撲神社です。

神社には、力比べをImg_4894した、土俵があり、カタヤケシと呼ばれていImg_4895ます。これが日本の国技である相撲のはじまりといわれています。  力比べをした野見のすくねと當麻のけはやですが、野見のすくねが勝ちました。野見のすくねは、 その後も天皇に使えて、天皇の政治の手助けに力をつくしたと言います。

Img_4891このImg_4883神社はその野見のすくねと當麻の毛は矢という二人の力持ちと日本で最初に相撲が行われた場所として祭られ、昭和37年10月には、横綱大鵬がこの神社におとずれ土俵入りをしたこともあります。土俵の直径は4㍍55㌢土俵の上は、こけた時、あぶないので、土で出来ていています。

相撲館は、市民まつりの時に無料で公開されていました。私たちも市民祭りに出かけて、地方から来て出店している店で、美味しい物を買って食べたり、店を見て回ったりしました。相撲館は始めて見に行きました。相撲館の中を見て回っていると中にも入れることが分かり、始めて見ることが出来ました。古い資料や写真、手形12000点もあり、一点、一点見て回りました。普段見たくても見られない物が見ることが出来て嬉しかったです。写真も何枚も取ってきました。土俵には靴を履いたまま上がっても良いようになっていました。女の人が靴で上がっておられるのを見て少しびっくりしました。枡席の所では、昼の食事をされていました。この日は、相撲館は自由にできていました。相撲の歴史が解って楽しかったです。

相撲は八百長事件があり、見に行く人も減っていく中、今年は、貴乃花親方が、頑張って宣伝して廻っておられます。日本の国技の相撲をもり立てていきたいです。私たちも行きたいとおもっています。

えんどうまめとかぶら

去年の11月11日に種蒔きをして水肥料を上げて育てていました。早くから寒くなり見に行くことも出来ませんでした。雪が降ったり、霜が降りたりする中、少しDsc00206ずつ大きくなって来ています。

Dsc00204かぶらは、もう終わりに近づいてきています。収獲も少なくなってきています。スープにしたり、煮物にして頂きました。

金魚

Dsc00242_2Dsc00223  去年、夏に20匹池に入れました。今年は寒く池も氷って金魚もどうしているかなと、心配していましたが、今月に入って農園に行ってみると、少し暖かいくなって来たのか、見えるところに出てきていました。元気でよかったです。

夢農園(縁側造り)

Img_4624 Img_4654 23年10月5日から縁側造り を始めました。8 日に防水シートを貼る作業をImg_4479行ってきました。寒さが厳しくて、今年になっても気温が上がらないので作業が遅れています。やっと土が氷らなくなって来ました。もうすぐ春が来るのをまつています。