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 晴天の空にウグイスの声を聞く 夢農園

2014-03-31 12:27:57 | インポート

夢農園(野菜作り)

Dsc05891Dsc05888   今年も、野菜作りを始めました。昨年は、早くから寒波がやってきて、植えている野菜も大きくなっていません。厳しい冬も終わり、啓土に入り、色々な植物が芽吹く時期に入ってきました。エンドウ豆は、寒い時期を超えて、少しずつ大きくなってきているようです。去年から植えている野菜は赤カブラ、白カブラ、水菜、白菜は全部抜いてしまって、次の野菜を植えるために、畑を耕 して準備をします。サニーレタスは、そのまま植えて大きくしていきます。ジャガイモは3月26日に植えました。平地と違い温度が低いので、早くに植えることができませんでした。

チュウリップ・万年青

Dsc05893Dsc06540_2Dsc06539  チュウリップは、去年から植えています抜かずにそのまま大きくしています。今年も、知り合いの人に、何個か貰いました。それを、大事にして植え付けをして、今、芽を出して大きくなってきています。色の種類は多種ですが、咲くのが楽しみです。

万年青は、毎年1月、2月頃に赤い実を付けて、とてもかわいいです。植えたときは1株でしたが、どん、どん増えてきてチェリーの所に植えていましたが、陰になるので植え替えました。

郡山城(盆梅展)

Dsc05740Dsc05733Dsc05748   大和郡山に春を呼ぶイベント「大和郡郡山 盆梅展」土の温かみのある鉢に古木にほのかに咲いている梅は、それぞれの鉢毎にそれぞれの世界があり、市内愛好家により大切に丹精込めて育てられた大小約120点の盆梅が展示されていて、白い漆喰の壁訪れる方々の心を和ませてくれます。

概要

Dsc05754Dsc05751  10世紀後半、郡山衆が雁陣の城を築いたという記録が郡山城の初見とされる。奈良時代には楽園が営まれていた。郡山城は、秋篠川と富雄川の中間に突き出た西京兵陸南端上に位置する。平山城または平城として明智光秀や藤堂高虎らが普請に携わり、筒井順慶や羽柴秀長らの主導によって改修された。奈良は良質な石材が乏しいかったため、奈良一帯の各戸に五郎太石20荷の提供をDsc05755 Dsc05759 義務付け、寺院の石地蔵や墓石、仏塔なども微発され石垣石として使用された。中には、平城京羅城門のものであるといわれる磯石が使われていたり、八世紀頃の仏教遺跡です「頭塔」(奈良市)の石仏が郡山城の石垣の中から見つかっている。17世紀初頭、増田長盛が改易された後一時廃城となるが、水野勝成入封時に徳川幕府よって改修を受けた。その後譜代大名が歴代城主を務Dsc05760 Dsc05765 め、柳沢吉里が入封後は柳沢氏が明治維新まで居城とした。

沿革

「雁陣之城」

Dsc05767Dsc05769  この城の築城時期は、1162年(応補2年)の『東南院文章』に、

郡山者件狼唳之輩帳雁陣之城  ー東南院文章

とある。「狼唳之輩」とは郡山衆を指しており、雁陣の城築いていると記載さDsc05775 Dsc05780 れている。この当時の城は盛り土と柵をめぐらした環濠集落のようなものでありました。また1300年(正安2年)には「郡山庄」が独立しており、この時から「郡山」という名が現れた最初となります。郡山城の最初攻城戦は、永正3年(1506年)の夏、赤沢朝経軍が大和国に侵攻して、各諸城を落城していった。この時、宝来衆、西京衆、生馬衆、そして郡山衆らを称して西脇州とDsc05783 Dsc05784 して郡山城に立て篭もった。同年8月24日赤沢朝経軍は数千の兵力で取り囲みみ、郡山城兵も城を出て戦ったものもあったが、圧倒的勢力の赤沢朝経軍は、多くの武将が討ち取り、その中には宝来九朗なども含まれた。『多聞院日記』に、

郡山城没落

  ー多聞院日記 永正三年八月二十三日条と記されている。

Dsc05788Dsc05789その後郡山衆は、筒井城を本拠に地に持つ筒井氏に与したり、越智氏に属したり離合集散を返してきたが、1559年(永禄2年)松永久秀が大和国に侵入してくると、当時郡山城の城主であった郡山辰巳は松永久秀軍に属して筒井氏から離反していく。

筒井順慶時代

Dsc05819Dsc05790  筒井城の戦いで筒井城が松永久秀軍に属すると、郡山城は福住中定城はと共に筒井順慶軍の拠点となっており、元亀元年(1570年)3月から元亀2年(1571年)8月まで松永久秀、松永久通親子の攻撃をうけていた。松永久秀軍はは、郡山城の四方に付城を築き、時間をかけて攻める攻城戦を行っていた。同年8月4か辰位置市城に出軍した。

Dsc05820Dsc05792  その後、筒井順慶が織田信長の援助を得て、天正8年(1580年)11月大和国守護となると郡山辰巳は殺され、家来衆はそのまま筒井順慶に組み込まれた。

郡山城に行く

天候は晴れでした。まだ寒くてコートを着て梅を見に出かけました。郡山城に行くと大和郡山に春を呼ぶイベント「大和郡山 盆梅展」盆梅展実行委員会が開催されていました。樹齢 約150~200年  入場料を払って中に入っていくと少し薄くらい中、屏風の前に、古木に梅の花が見事に咲いていました。丹誠込めて、何年もかけて育てられた梅に、花を付けるように育てるのは、並たいていな事ではないと思います。立派に咲いていました。一本、一本見ながら写真を撮りました。一鉢、一鉢大事に育てられているのが分かりました。梅の種類も豊富で見応えがありました。郡山城の広場にも、梅が何本も綺麗に咲いていて歩いていても気分爽快でしたでした。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こっちは、元気にやってます! (ともか!!)
2014-04-01 14:18:03
こっちは、元気にやってます!
いなくなってさみしい?
またかえるからね~
返信する
ともちゃんコメント有り難う。 (ムーミン)
2014-04-03 20:47:23
ともちゃんコメント有り難う。
いなくなってから毎日農園にいっています。
今日は、苺とエンドウ豆、レタスを買ってきて、耕して植えましたよ
忙しくして、1日終わっています。
ともちゃんもがんばってね。
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