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初秋の風に 小鬼百合 萩の花ゆらゆら揺れる夢農園

2011-09-04 17:11:21 | インポート

夢農園(野菜作り

小鬼百合

Img_4186_2Img_3972_2って、30センチ以上降りました。農園を初めImg_4233_2てからこんなに 多く降ったのは、初めてでした。200本以上あった球根も凍りついて腐ってしまい、今年は、数が少なくなってしまいましたが、毎年のように綺麗に咲いています。農園の周りにユリを植えているので、チョウチョも多く飛んでいます。1か月ほど楽しめます。

白ユリImg_4188_2

Img_4258 白いユリの花が大好きで、険しい山に行って球根を採取してきました。白い百合の花は可憐で 清楚な感じがして美しいです。道ばたに何本も植えていたのですが。1本だけ咲いていました。

農園の花壇には、今、1本ずつ順番に咲いて来ています。雨と風が吹いていますが、しっかりと花をつけていました。笹百合は丹波の方に、旅行に行ったときに宿の人が、色々な花を持ち帰り出来る様にテーブルに用意してありました。その中に笹百合がありました。ユリが好きなので貰って帰り、池の側に植えました。貰ったときは蕾でしたが、可憐に咲いていました。

ホウセンカとムクゲImg_4169

Img_4002ホウセンカは去年は一本植えました。赤い花を付けています。今年は何本も増えて花壇一杯に増えてきてビックリしています。ムクゲは植え替えをして今の場所に植えました。今年は多く花を付けています綺麗です。

トマトとミニトマト

Img_4209_2トマトは力を入Img_4181_2れて作っていますが、中々うまくいかず何時も病気に悩まされていました。 今年は、今までの経験を生かして早くから土を作って準備をしてきました。六月ごろはアブラムシがついたり、うどんこ病にかかったりしていました7月頃には、苗が枯れたりして2本植え替えしました。どうなる事かと心配していましたが、毎日手入れをしてきた結果7月に入り10本の木に全体で100個以上のトマトの実がつきました。8月に入り毎日20個以上のトマトが収穫できるようになってきました。畑で作業をしていて、のどが渇いたらトマトの丸かじりをしていました。甘くてとてもおいしくて中々夏にしか味わえない楽しみです。ナスビ

Img_4255_2 Img_4210_2 今年は、2種類のナスビを植えました。ナスビは成長が悪くて大きくならずだいぶ遅れていました。7月の後半になって採れるょうになってきて京なすは小さく切って塩をして少し重しをして置いておいて洗ってから醤油をかけて食べました、ちょっと歯ごたえがあってとてもおいしかったです。

ニガウリとひょうたん南京

Img_4212Img_4202_2 5月4日に苗を買ってきて植えました。6月に入っても植えたときと同じ大きさで成長が見られ ませんでした。苗もひょろ、ひょろしてもう駄目かなと思っているうちに少しずつ伸びてきていました。7月に入って暑くなってきてぐっと伸びてきました。沖縄で作られている野菜ですから、やはり暑くないと出来ないようです。今年も9月ごろから大きくなっていきます。普通の南京とは違い、生るのが1カ 月遅れるようです。農園に行くたび観察していますが゛、最近になって実が付いてきています。

Img_4165穫物

Img_4182

Img_4261_2

例年にない沢山採れました。嬉しい悲鳴です。もう一度、晴れの日が続くと収穫出来るといいです。

木わさびとぶどう

Img_4216_2 木わさびは、人Img_4191_2に戴きました。初めて木わさびは、食しました。半分食べて半分土に植えました。すごく成長して大きくなっていたのですが、虫が付いて枯れていましたが、消毒をして悪い葉は取り除いて今は少し大きくなってきています。根が増えて3本に増やしました。どのように大きくなるのか、まだ分かっていませんが、楽しみにして育てています。ぶどうは家のベランダで栽培していました。今年、初めてぶどうがなりました家族で試食しました。特別に美味しかったです。

ピーマン

Img_3875_2 Img_4176_2 ピーマンは、ナ スビと同じ時期に植え付けをしました。最近になって沢山採れるようになってきました。昨日の収穫は、30個も収穫できました。一本の枝に10個も実が付いて枝が折れていました。凄いです、持ち帰り丸焼きにして味醤油をかけて食べました。これが一番好評です。

法隆寺  概要

Img_4268_2Img_4270  法隆寺は飛鳥時代の姿を現代に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院です。創建は推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。法隆寺のImg_4280_2 Img_4286_2 建築物群は法起寺と共に、1,993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

創建   

法隆寺は、「日本仏教興隆の祖である聖徳太子が創建した寺院です」とするが、一般的・常識的理解である。聖徳太Img_4287 Img_4290 子は謎の多い人物であり、20世紀末頃からは「聖徳太子は実在しなかった」とする言説が盛んになっているが、これには反論も出されている。『<聖徳太子>の誕生』のモデルとなった厩戸王という人物の存在と、その人物が斑鳩宮及び斑鳩寺を建てたことは史実と認められている。

Img_4296_2存する法隆Img_4312_2寺西院伽藍は聖徳太子存世時のものではなく、7世紀後半ー8世紀初の建立でImg_4316_2まれているImg_4318_3 としても、そのモデルとなった厩戸王によって7世紀の早い時期、斑鳩の地に仏教寺院が営まれたことは史実と認められている。

通説によれば、推古天皇9年(601年)、聖徳太子は斑鳩の地 に斑鳩宮を建て、Img_4327この近くに建てられたのが法隆寺であるとされる。金堂のImg_4322_2「東の間」に安置される銅像薬師如坐像(国宝)の光背銘には「用明天皇が自らの病気平癒のため伽藍建立を発願したが、用明天皇がほどなく亡くなったため、遺志を継いだ推古天皇と聖徳太子があらためて推古天皇15年(607年)、像と寺 Img_4333と。現Img_4293_2在の温泉郡中Img_4317_2島(愛媛県)町。

前述の金堂薬師如来像については

    1、像自体の様式や鋳造技法の面から、実際の政策は7世紀後Img_4315_2半に下るとImg_4345_2みらImg_4357れること

  2、607年当時、日本における薬師如来信仰の存在が疑問 視されること

  3、銘文中の用語に疑問がもたれること

Img_4335 Img_4346_2 という理由から、Img_4348文字通り607年までさかのぼる制作とはみな されていない。また、金堂の中央に安置される本尊は「623年に聖徳太子の冥福のため止利が造った」という内容の光背銘をもつ釈迦三尊像であり、これより古い薬師如来像が「東の間」に安置されて脇仏のような扱いをされている点も不振である。

Img_4319

Img_4341_2  このように、若干の不明点は残るものの、法隆寺の創建が7世紀前半の聖徳太子存世時にさかのぼることは、発掘調査の結果等からも明らかである。皇極天皇2年(643年)。蘇我入鹿が山背大兄王を襲った際に斑鳩宮は焼失したが、法隆寺はこの時は無事だったと考えられる。

夢農園(小屋造り)

最近は、雨が多くて仕事が進んでいないようですが、両開きの窓が付きました。窓を開けると金魚がいる池が見えます。風がよく通って最近は寒くなってきて閉めています。床張りが出来上がって室内で、食事が出来るよ う になりました。 涼しくてゆっくりと休Img_3910_4憩が出来るようになりましImg_3866_2Img_3885_3 Img_3928_4た。