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今年も、夢農園を4月から再会して野菜も順調に育っています。

2012-05-26 17:29:19 | インポート

夢農園(野菜作り

Dsc00842_24月の中頃に、野菜の苗を買って植え付けしました。どうしても、植えたかったズッキーニが何処の店に行っても見つからず、やっと探して、見つけたのが黄色のズッキーニでした。黄色のズッキーニは、初めて植えます、黄色い苗があるのもしりませんでした。珍しい黄色と青色のズッキーニを二本手に入れて、畑に植えました。今は、黄色い小さな実がいくつかついています。早く収獲出来る様に肥料の入った水を上げています。大きくなるのが楽しみです。

大根、かぶら、菊菜、二十日大根

Dsc00860 Dsc00857_2葉類を、4月16に種蒔きをしました。24日前後に芽を出していました。温度が低いので芽 が出るのが遅れたようです。間引き一回目を、5月7日にしました。早く大きくするには、間引きは大事な作業です。大根は畝を伸ばしたところに植えたら、その部分の大根が極端に大きく育っています。

Dsc00858Dsc00903菊菜は、2回間引きをして本場が出てきています。小さくても間引きした菊菜を食べたらしっかり菊菜ののあじがしています。

20日大根は可愛らしい、赤くて小さ な大根で少し大きくなったのから収獲して食べたらとても美味しかったです。色も綺麗し食事の時に出したらとても好評でした。そのまま洗って食べても美味しかっです。

サニーレタスDsc00915_2、サラダ菜

サニーレタスは、4月のはじめに種から蒔いて育てていました。家では、今一番食べている野菜です。下葉から順番に収獲して持ち帰り、色々な野菜と混ぜ合わせてドレッシングをかけてサラダで毎朝、食べています。農園の人たちにも食べて貰って喜んでもらっています。

Img_5383_2 イチゴは、今年は高くドーム型にして植えてみました。高くして上の方から垂れさがるようにして見ました。一本の苗に20個位実を付けています。2、3日前から赤く色付いてきています。1個食べてみたら甘酸っぱくてとても美味しかったです。これからドンドン収獲出来ます。

ジャガイモ

Img_5381_2 種類は、ジャガイモは、メークイン、北あかり、男爵、紫のイモと五種類植えています。成長も少しずつ違って、雨が多かったせいで何個か腐っていましたが、直ぐまた植え直して順調に成長しています。間引きも終わって、土寄せもして肥料も上げました。今の所ろは順調に育っています。

玉葱

Img_5405 玉葱は、去年11月頃に植えました。今は、暑くなってきたので成長が良くて、ネギの所が少しずつ倒れてきています。玉も少しずつ大きくなって来ています来月になったら抜けるようになって来ます。色々な料理につかいたいとおもっています。

ピーマン、シシトウ

Dsc00787 ビーマン、シシトウ、マンガントウガラシはお料理には欠かせないので、今年も植えました。ピーマン2本、シシトウ1本、マンガントウガラシ1本今年は植えてみました。何時も食べきれないほどとれるので今年は本数を減らしました。

美山かやぶき由良街道(日本の風景街道)

Dsc01003 Dsc00995 「美山かやぶき由良か街道」(府道京都広河原美山線他 南丹市美山町)は、平成20年12月11日に開催された近畿風景街道協議会(委員長宗田京都府立大学准教授)において日本風景街道に登録されました。ここでは、「美山かやぶき由良街道」の魅力を探りに行ってきました。

Dsc01004 「美山かやぶき由Dsc01021良街道」は、南丹市美山町にある大野ダムから日本の原風景「かやぶきの里」を経由して、自然豊かな芦生へと至る由良川(美山川)沿いのルートです。府道綾部宮島線や府道和泉宮脇線、府道園部平屋線、国道162号、府道京都広河原美山線の5つの路線、約36㎞が登録され、かやぶきの里や田畑など日本の風景とも言える農村風景や美しい由良川(美山川)の河川風景など風光Dsc01030 Dsc01032 明媚な景観を沿道から眺めることができます。

平成20年12月11日に府内で3番目の日本風景街道として登録されました。若狭街道沿いに開けた美山町には独特の建築物や文化が伝わっています。その一つがかやぶき屋根の家。 Dsc01059に建てられた18戸はいずれも北山型の入母屋Dsc01051です。三方を囲む山、清らかな由良川の流れが上手く調和し、農村の原風景を形造っているこの地域は、平成5年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

知井八幡神社(神社の由来)

Dsc01007 Dsc01013 当神社は、中世知井之庄九ヶ村の惣(総)社で延久三年(1071年に創建された。永禄十年(1567年)に山抜けによる大洪水で流失したため、社殿移築の協議がまとまり元亀元年(1570年)に現在地に移転・移築された。

伝承によると和銅六年(713年)妖怪が出没、人々を恐怖におとDsc01015 Dsc01017 しいれた、天皇の命を受けた占い師は、丹波の奥山に棲八頭の大鹿の仕業と判った。天皇は直ちに甲賀三郎兼家に命じて大鹿退治に当たらせる。

首尾良く退治に成功した兼家は神恩に感謝して、その他に建て  た社か、知井八幡宮の起源とされている。なお、大鹿退治に従った家来たちの中Dsc01016には、この地にとどまり村を拓き、氏子として八幡宮の守り手になっていたDsc01018_2という。現代の本殿は、明治4年(1767年)に再建された物で、特に、神社彫刻では丹波地方を代表を代表する神社として広く知られている。

また、この地は小浜と京都を結ぶ若狭街道の道筋にあたったため、従来の人たちでにぎわい、度の安全を守る神社として賑わった歴史がある。

美山かやぶきの里に行った日は、朝から本降りの雨が降っていました。その日に行くと決めていたので、雨でも行きました。北村は谷間のゆるい傾斜地に住まいがひとかたまりに密集した山村で、どこからでも全体が一望できるまとまりの良い村です。地理的には昔の丹波国に属しますが、19世紀中頃迄の建物が18戸と江戸時代に建てられた物が多く、北山型民家に分類される特徴をよく伝えています。荘園時代の昔から山稼ぎが暮らしの中心だった村でしたから、建材はほとんど周りの山から調達するのが当たり前のことでした。自分達の手で守り育てた自然の恵みをいただいて建てた家に住み、まわりの田畑山野から四季の恵みを頂いて囲炉裏を囲む。かってはごく当たり前だったそのような暮らしを、いったんは失いかけて、今は再び、新しい型で取り戻しつつあるのが、北村の現況とといえましょう。民家の道には何処を歩いても白い花が咲いていて、茅葺きの家に良くあっていました。雨が降っていても写真を撮っている人が居られました。落ち着いた感じで素晴らしかったです。

庭造り作業

Dsc00831_4物入れを移動して、狭いですが庭を造りました。ブドウの木も植えていて、木で 囲いをして暑いDsc00844_2 夏に向けて影を造ります。ブドウも、少しずつ伸びてきているので日陰が作れるかどうかは、ブドウの生長待ちです。地面は砂を入れて平らにして綺麗に整地しました。今の所ろは草が生えていません。小さな花壇も出来て色々な花も植えて咲くのが楽しみです。

Img_5372Dsc00845