平城遷都300年 (平城京のへ道)
飛鳥古京~藤原京
天武天皇は686年に亡くなり、皇后が特統天皇として即位する。「万葉集」に残された歌からは女性らしい細やかな感性が感じられるが、草壁皇子を天皇に即位させるために大津皇子を謀反の疑いいで自殺させるなど、冷徹な政治家としての一面も見せている。特統天皇の政治 家としての功績は藤原京の造営と大宝津令の制定であろう。藤原京は694 年、大和三山に囲まれた現代の藤原市の地に造営された。 日本で最初の都城制を採用した都で、その規模に平城遷都の議が起こり、都は飛鳥 古京に始まる大和盆地南部 から大きく北へと遷っていくのであった。
聖徳太子の夢
政になった。この時、日本の政治・社会は中国と比較すると大きく立ち後れていた。大和盆地を中心に大王家の王権が成立していたが、これは古代有力豪族の連合政権であった。聖徳太子の出自である上宮王家も蘇我宗家と姻戚関係にあり、聖徳太子 は蘇我氏の政治力によって支えられていたのである。聖徳太子はこのような現状を憂え、何とか中央集権的な官僚制国家を作り上げようとする。十七条憲法を策定して為政者の心構えを説き、冠位十二階を制定し、豪族の出自ではな く実力によって官位に任用する官僚制を確立しょうとした。しかし上宮王家も642年、蘇我入鹿らによって斑鳩宮で滅ぼされてしまう。
歴史が大きく動いた は645年である。中大兄皇子は藤原鎌足とともに蘇我入鹿暗殺を計画、飛鳥板葺官で決行したのをきっかけに蘇我宗家を滅ぼし、改新政治に着手する。すなわち、皇族・豪族の私有地・私有民の廃止、国・郡・里などの地方行政が成立した。これにしたがって朝鮮半島の諸国=百済、新羅、高句麗も複雑な動きをみせる。日本は基本的に百済と親交して新羅を敵視するするが、百済の滅亡と白村江の敗戦によって日本の対朝鮮半島政策は大きな変更を強いられる。
壬甲の乱とその後の展開
大化の改新の立役者であった天智天皇は都を近江に置いて改新政治を進めたが、671年に亡くなる。その後継者として大友皇子が立つが、弟の大海人皇子は近江京を脱出して吉野に隠れ、672年に政権奪取を目指して挙兵した。これが古代史上最大の内乱といわれる壬甲の乱で、勝利した大海人皇子は飛鳥浄御原で、天武天皇として即位する。天武天皇は、日本で最初の戸籍といわれる庚牛午年籍を作成したほか、八色の姓を制定するなど天智天皇以来の津令制国家への道を歩み始めた。
平城遷都1300年祭を見に、農園に行く合間をぬって、晴れの日の一日大極殿に出かけました。太極殿が建ち始めから、足をはこんでいたので出来上がりを見て感動しました。天平の衣装を着た人が何人も歩いておられました。貸衣装として借りられるそうです。色々な楽しみ方が有りますね。多くの人が見に行っておられるのでパビリオンを見るのに時間が決まった整理券を求めなくては入れませんでした。店も多く出店していて何処の店も人でいっぱいでした。遷都君のキャラクターの物が沢山売られていました。平城宮の正面玄関・朱雀門から都の中で最も重要な建物であった第一次大極殿を目指して歩いて行くと、ジョギングするのに良い距離が有ります。中は建物はなく広々としています。、又、機会を見て行って見たいです。
夢農園
5月に入っても異常気象で、雨の日が多くて中々農園に行く機会が少なくて久しぶりに行くと、百合の花が大きくなって来ていました。今年も綺麗な花を付けてくれると嬉しいです。
空豆も農園に行くたびに大きくなっています。下の方から豆が大きくなって来ています穫れるのは何時かなーとたのしみにしています。
ナンキンの苗が大きく育っていたので、沢山植わっているところ から間引きをして植え替えました、大部しっかりしてきています。最近は、温度が低い日が多くて心配しています。
リンゴは3年たって始めて実を付けています、大きくなるのが楽しみで行くたびに見て楽しんでいます。
タマネギは、生長して大きくなって来ています抜いて食べられる大きさになってきています料理に使いたいです。
サラダにして食べたらくせがなくていくらでも食べられるベビーリーフは始めて作ってみました。栽培しやすい苗です、2種類植えてみました。1種類は葉が縮れていています。
夢農園の小屋作り