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冬空は 高く澄み渡り 鳥もさえずる・夢農園

2015-01-24 14:00:40 | 日記

夢農園(野菜作り)

大神神社(おおみやじんじゃ)

ご由諸

当社の創祀に関わる伝承が 『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ)と三輪山に祀られることを望んだとあります。また、『日本書紀』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂として顕現され、三輪山に鎮まられたという事です。

この様に記紀の神話に創祀の伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、当社が神代に始まった古社中の古社と確認されており、ご祭神の神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。

して、ご祭神がお山に鎮まるために、当社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の現初の神祀りの様を今に伝えており、その祭神の姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。

「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神天皇の時代には国作り神、国家の守護神として驚く祀られました。平安時代に至っても大祭神(おおみわのまつり)、鎮花祭(はなしずめのまつり)三枝祭(さいくさのまつり)が朝廷のお祭りとして絶えることなく斉行され、神階は貞観元年(859)に最高位の正一位となりました。延喜式の社格は官弊大社で、のちに大和国一之宮となり、二十二社の一社にも列なるなど最高の待遇に預かりました。

中世には神宮寺であった大御臨寺や平等院を中心に三輪流神道が広まり、広く全国に普及し人々に強い影響を及ぼしました。近世に入ると幕府により社領が安堵されて三輪山は格別の保護を受け、明治時代にはその由諸によって官弊大社となりました。現在も国作りの神様、生活全般の守護神として全国からの参拝があり、信仰厚い人々に支えられて社頭は賑わっています。本禅には、大きな羊の絵馬がかかっていました。

今年は、1月4日に三輪山にお参りしに行きました。多くの参拝者と共に新規一転気持ちを改めて、今年も、良い年でありますようにと手を合わせてきました。本殿を出て歩いていくと、人が多く並んでいるところがあり、何かなとみて見ると、なでうさぎ なでると願い事が叶い、体の痛みを取ってくれると信仰される「なでうさぎ」が正月の期間は祈祷殿前に泰安してあり、私たちも並んで手を合わせてきました。少し行くと願えばかなう絵馬があって参拝者が自分で願い事を書き込めるようになっていたので、願い事を書き込みました。今年も良い年になるよう努力していきたいと思います。

南禅寺

南禅寺(なん ぜんじ)は、京都市左京区南禅寺福地町にあります。臨済宗南禅寺派大本山の寺院です。山号は端龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅寺(たいへいこうこくなんぜんじ)です。

本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関晋門(大明国師)。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院で、日本のすべての禅寺のなかで最も高い格式を持ちます。

歴史

南禅寺県立以前、この地には、後嵯峨天皇が文永元年(1264年)に造営した離宮の禅林寺殿(ぜんりんじどの)があった。「禅林寺殿」の名は、南禅寺の北に現存する浄土宗西山禅林寺派総本山の禅林寺(永観堂)に由来する。この離宮は「上の御所」と「下の御所」に分かれ、うち「上の御所」に建設された持仏堂を「南禅寺」と称した。現存する南禅寺の別院・南禅寺はその護身です。

無関晋門は、信濃国の出身。東福寺開山の円爾に師事した後、40歳で宋に留学、10年以上も修行した後、弘長2年(1262年)帰国。70歳になるまで自分の寺を持たず修行に専念していたが、師の円爾の死にをうけて弘安4年(1281年)に東福寺の住時となった。その10年後の正応4年(1291年)に南禅寺の開山として招かれるが、間もなく死去する。開山の無関の死去に伴い、南禅寺伽藍の建設は実質的には二世住職の規庵祖円(南院国師)が指揮し、永仁7年(1299年)頃に寺観が整った。当初の「龍安山禅林禅寺」を「太平興国南禅禅寺」という寺号に改めたのは正安年間(1299ー1302)のことという。正中2年(1325年)には夢窓疎石が当寺に住しています。

南禅寺

2014年11月14日に南禅寺に行く、暖かくて天候も良くマイカーでいきました。南禅寺の近くの駐車場に駐めて、歩いていくと、外国の人達が団体で来ておられました。中国語、韓国語が行き交う中、私たちも南禅寺に入って行きました。南禅寺は京都観光では、人気が高く、とくに桜・紅葉のシーズン中はさらにたくさんの観光客が訪れます。広大な寺城内には三門、方丈庭園、南禅院などがあります。周辺には銀閣寺・平安神宮・永観光堂があり観光客でにぎわっています。禅林寺三門は高さ22m別名「天下龍門」と呼ばれ、日本三大門の一つに数えられる。現代の門は寛永5年(1628年)、大阪夏の陣倒れた戦没者弔うため、藤堂高虎が再建したものです。三門から少し離れた所から写真を撮ったら額に入った絵のように紅葉が撮れました。南禅寺には、四季何回か行っていますが楽しめました。

夢農園(野菜つくり)

今年は、白菜が良く生長して、鍋にしたり、色々な料理に利用しました。畑に残っている分は雪や霜に当たって腐りましたが、残りは、漬け物にして毎日頂いています。

去年、咲いたカサブランカやたかさごゆり、すかしゆり、ささゆり、コオニユリと百合は色々な種類を植えています。

たかさご百合 茎は高さ約1mで葉が細いテッポウユリによく似ていますが、花がやや細く葉がずっとせまいので区別できます。

すかし百合  茎は高さ20~40㎝花は上むきにつき、がく片と花びらの間が透けて見えるのでこの名があります(本州中、北部の海岸) 

ささ百合   茎は高さ50~100㎝全体の形は山百合に、にるが花はうす桃色で内面に点がない。本州中部以西の野山に野生する。

今年も、ガンバって花や野菜を作って行きたいです。