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空の色や 風の音にも 秋を感じられる・ 夢農園

2018-08-31 08:19:43 | 日記

夢農園(野菜作り)

ナスとは

ナスは栄養面では特記すべきものはありませんが、食物繊維は多くふくまれています。用途は煮物、焼きナス、天ぷら、炒め物、漬物などと広くたいへん便利な食材です。特に油と相性が良いので揚げ物や炒め物に向いています。ナスの大きさには大長、大丸、卵型から小丸まであり、果形も長形、卵型、丸形などがあり、多彩です。大長ナスで大きいものは40~50cmにもなるものがあります。皮の色も濃いい紫色だけでなく、白や緑もあり、結構変化にとんでいます。また、地方の品種も多いので、それを栽培してみるのも楽しみです。

ナスの育て方

高温性の野菜で夏の暑さにもよく耐え、雨にも比較的強く手造りしやすい野菜です。土壌水分が多く耕上も深い、肥沃な畑が適しています。日当たりの良い場所を好み、日照時間が長く、日射量が多いほど収量も多くなります。「ナスは水で育つ」といわれるくらいで、水不足すると、生育が悪くなって収量が上がらないだけでなく果実のツヤがなくなり、ハダニ類の被害が多くなります。なお、ナスは連鎖を特に嫌う野菜ですので、ナス、トマト、ピーマンなどのナス科野菜を3~4年は栽培していない畑を選んだ方が良いようです。

今年、育てたナスは2本ですが、7月の終わりごろから良く育って実も多く付くようになってきています。今年は気温が高すぎて実がなりにくいかと思っていましたが、行くたびに4~5本は実がなって食べきれなくて近所の人に食べてもらって喜んでもらっています。トマトもナンキンも良く実が付いています。

穂高連峰

上高地の風景にはいつも穂高連峰

上高地のあらゆる場所からその姿を望める穂高連峰。穂高連峰を欠いた上高地の風景など到底考えられず、穂高連峰があるからこその上高地だとも言えます。北アルプスの最高峰、奥穂高(3190メートル)を中心に、前穂高岳(3100メートル)西穂高岳(2909メートル)などからなり、日本第3位の高峰(奥穂高岳)で、日本百名山、新日本百名山、花の百名山に選定されています。

国内第一級の岩場も多いため、穂高連峰はアルピニストの憧れであり、国内で最も人気の高い名山のひとつとして小説や映画の舞台とされてきました。上高地から見上げる峰常に美しく、憧れという名にふさわしい名峰です。

登山で芽生えた友情

日本近代登山の父、ウォルター・ウエストンが上条嘉門次を案内に、前穂高岳に登頂したのは1893(明治26年)、二人の初対面は、悪天候で前穂高岳登行の先を急ぐWウエストンと、悪天候であるがゆえにこれを拒む嘉門次の意見が食い違い、感情的に対立があったと伝わります。しかしその後、ふたりは何度も山行を重ねる中でお互いの絆を強めていきました。とくにWウエストンは、嘉門次の技術と適確な判断を認め、信頼はきわめてふかいものになったといいます。彼の著した『日本アルプス登山と探検』のなかで、嘉門次は「ミスターカモンジ」として登場し、世界へその名を発信しました。穂高岳の登山で芽生えた友情はいまも、上高地に広く伝わっています。

河童橋

河童橋といえば上高地、上高地といえば河童橋、上高地の中心にあってシンボル的存在ともいえる河童橋は、上高地バスターミナルから徒歩5分の場所にあります。その橋の上から望む穂高連峰や焼岳、梓川の水面、緑に萌えるケショウヤナギの風景は、訪れる人の心をとらえてやみません。5月連休や夏季、紅葉の季節には旅人が多く訪れ、河童橋付近は「上高地銀座」とも呼ばれるほどにぎわいます。1927(昭和2年)、作家・芥川龍之介もまた小説『河童』に河童橋を登場させています。その数年前に氏は北アルプスを登山し上高地に遊んでいます。時を数年経てなを氏の心に訴えるなにかを、河童橋は持っていたに違いありません。

河童橋命名について

河童橋はいつかけられ、だれがどんな理由で河童橋と命名したのかはわかっていません。その昔は河童橋の下は深淵で、その深みを「河童の淵」と呼んでいたという設から、あるいは、昔は橋が無かったために川を渡るには着物を頭にのせて水の中を歩いていき、その姿が河童に似ていたため…という説もありまた芥川龍之介が北アルプスに登り、そのときの経験から『河童』を発表しました。

上高地に行く

信州上高地穂高連峰の景色を見てきました。久しぶりに行った穂高連峰は,良い天候に恵まれて、はっきりと見えて素晴らしかったです。梓川は、澄んだ水が、音をたててながれていました。川辺では水遊びをする人も楽しそうでした。多くの人が、橋の所で立ち止まって山を見て写真を撮っておられました。河童橋を渡って、少し歩いていくと、大きな石がある所で一休みをして、買って来ていたおにぎりを頂きました。いい景色と、川のせせらぎの音を聞きながら至福の時をすごしました。少し休んでから、自然公園に向かいました。公園では、人の手がはいっていないので木も自由に伸びて、好きなように絡まっていました。道の脇では、小さな花が可愛く咲いて、歩いていても飽きることはなかったです。何処かの学生たちが騒いでいたり、活気付いていて、少し歩いて行くとキャンプをしている人たちが、多く見かけました。ゆっくり椅子に座って山を見て寛いでおられました。どの場所も人で溢れていました。

   


夏本番 何時にない暑さ 蝉の声も一段と 大きく聞こえる

2018-08-02 07:50:26 | 日記

夢農園(野菜作り)

タチアオイ

月大雨が降る中で、蕾を付けて少しずつ咲き始めて背が伸びていくタチアオイは、大きなピンク花をいくつも付けて農園に行くたびに見て癒されています。タチアオイは,二年前に種を貰って来て植えました。今年は、芽出てくるかなと思っていたら何本か出てきたので通り道の所に三本植えましたが、なくなっていました。花壇に植えた一本が、今、花をつけています。

プラム

プラムの木に、今年は、実が付いて何個か食べられるかと思っていましたが、実が青いうちに台風の風で下に落ちてしまい数少なくなった実が、今、赤くなっています。何個か収穫して食べてみたら甘酸っぱくて夏のあじでした。

収穫物

7月21日に農園に行って収穫してきました。食べきれないほど採れてかごに入れて持ち帰り近所の人に食べてもらいました。大変喜ばれました。

胡瓜

胡瓜は、毎年何本か取れたら、うどんこ病にかかり枯れてしまいますが、今年は、良い天候が続き今の時期も行くたびに10本以上取れています。何時もの年は苗を6本は植えていましたが、今年は、苗は3本植え付けしましたが、うどんこ病も付いていましたが、この暑さで野菜もダメかなと思っていましたが、今までにない収穫です。嬉しいです

この暑さで行って作業をするのも大変で早くに農園に行って11時頃には、家に帰るようにしています。採れたキュウリは最初は漬物にしたり、サラダにしたり、縦に切って味噌をつけたり色々と食べ方を考えて食べています。美味しいです

諏紡湖間欠泉  

諏紡湖畔に一定の間隔で湧き出る温泉「間欠泉」があります。諏紡湖間欠泉は昭和58年に噴出を開始して、比較的新しいのですが当時は高さ50mまで自噴して規模は世界有数、日本一を誇っていたそうです。その温泉を使って諏紡湖間欠泉センターの1階では自分で温泉卵を作ることができます。諏紡湖間欠センターの隣で足湯が出来諏紡湖が一望できます。

世界かんがい施設遺産「大河原蹟」

自然の地形を生かした活気的な水路大河原堰は玉川地区の農業水不足を解消するため坂本養川が高島藩に請願し1792年(寛政4年)に開削された農業用水路です。その全長は14kmで31haの水田を潤しています。現在も見ることが出来ます「乙女滝」も大河原堰の一部で渋川の急崚の崖を一気に落下させて水の勢いを減らす役割をする人工滝です。蓼科山(たてしなやま)から流れ出る滝ノ湯川水を、ここから6kmほど上流にある取水口の講造は「芝湛」(しばたたえ)と呼ばれ、木や石などで築いた小規模で河川を堰き止めていますが、全量取水が出来ない構造になっています。

「乙女滝」から下流は、渋川で水を補給しながら樋(とい)で渡し泉野地区を経て玉川地区に用水を運んでいます。このように、東西に流れる複数の河川を用水路で結び、水量の多い滝ノ湯川の余水を順々に南部の水不足地域へ送る仕組みは「繰越堰」(くりこしぜき)と呼ばれ、当時としては画期的な仕組みでした。堰が完成して農業基盤が整備されると、用水が安定供給され、米の収穫量が大幅に増えました。200年以上経過した今もなお、利用者によって維持管理され受け継がれています。平成28年11月には、地域農業発展に貢献し、当時の技術を駆使して造られた歴史もある大河原遺堰が、「世界かんがい施設遺産」として初めて登録されました。

諏紡湖間欠泉と奥蓼科温泉郷 横谷渓谷・乙女滝に行く

諏紡湖間欠泉は、前にバスで横を通って滝ですと説明を受けた記憶はありますが、近くに行って写真を撮ったのは初めてで3時間位の間隔で10分ほど噴き出していました。昔は10mぐらいは上がっていたそうです。今では、5、6m位です。間欠泉の横に施設があり、ゆで卵が出来るようになっていました。ゆであがった卵も売っていて一個買って食べてみました。周りの公園も暑くてゆっくりと見て回ることは出来なかったです。

奥蓼科温泉郷、横谷狭の乙女滝は、宿より歩いて10分もかからない所にあり山の温度が少し低く歩いていても清々しく気持ちの良い空気で滝に着くと水しぶきが近くまで飛び散ってカメラにも水しぶきがかかっていました。何人かの人が来られていましたが、私たちが行った時には誰もいなくなってゆっくりと眺めることが出来ました。水を見ると心が落ち着き清々しい気分で帰ってきました。