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今年初めて農園開始しました 今 桜が満開です・ 夢農園

2020-04-19 09:21:02 | ブログ

夢農園(野菜作り)

4月14日今年初めて農園に行きました。朝は少し寒く10時頃には、少しずつ暖かくなってきていました。プラム、4年前に植え付けてまだ実は採れていません。今年花は沢山ついています。白桃は、植えてから2年たって今年は小さい木に一杯花が咲いていました。

ビワの木は、花壇の所に1年前ぐらいに植えました今年は、花がついています。実つきの木は、今年楽しみにしています。今年初めて花壇のくさとりをしました百合の花の芽が出てきていました。自然に芽が大きくなって来ていて今年は何回も農園に行って花が咲くのを見たいです。  

馬見丘陵公園

馬見丘陵公園は広陵町と河合町も両町にまたがる全国でも有数の古墳群と良好な自然環境が地域にあります。この歴史と文化の遺産や素晴らしい自然環境を、県民の憩いの空間として、広く活用することを目的として整備されています。園内四季折々の自然を楽しめ、春には桜、チューリップ夏にはバラや、花菖蒲、ヒマワリ、秋にはダリアやコスモスなど色とりどりの花が咲き、これからの開花シーズンには食と音楽のイベントを開催していました。

今年はコロナウイルスのため取りやめになっています。冬にはイルミネーションなど一年を通じて賑わっています。四季折々の花が咲きみだれる馬見公園で今年もチューリップフェアを開催されています。園内では、昨年を上回る約50万株のチューリップなどの花々が咲き誇り楽しいイベントも盛りだくさんに計画されていましたが、とりやめになりました。草花のほか古墳や池、遊具や芝生広場などもあり、散策やピクニックにおすすめです。毎年行っていますが、今年のチューリップは色彩が素晴らしかったです。サクラの花も咲いていて美しい景色が取れました。

天に続く道   北海道8回目

知床ドライブで一度は走りたい斜里町の絶景ルート道東・斜里町の峰浜から大栄地区まで続く約18キロの直線ルート(国道334号・244号線/斜里国道)。道の先が天につながっているように見えることから、この愛称がつけられました。「天に続く道」斜里市街から知床半島を目指し、国道334号線10キロほど東へ。国道はそこで左方向へ曲がりますが、ここで曲がらず直線しローカル道である南三号に入ります。この南三号の坂を登っていくと丘の頂上付近(道路の左手)に展望台が見えてきます展望台を上がって右手に見えるのは、畑と防風林、遠くにオホーツク海。そして、左手には遥か彼方まで直線道路が続いています。高低差があるため、道の先が空へ向かっているように見えるこの景色は、まさに人の手が作り出した絶景。地元の人たちは「この道を天に続く道」と呼びます。一面の畑の中で静かに大パノラマを独占できる場所です。

北海道美幌峠 

美幌峠(びほろとうげ)は、北海道網走美幌町と川上郡弟子屈町の境にある国道243号の峠。オホーツク総合復興局の境界にもなっています。 

1920年(大正9年)開通。阿寒摩周国立園内にあり、眼下には日本国内最大の火山湖(カルゼラ湖)である屈斜路湖のパノラマが広がっているほか、阿寒の山々が広がっているほか、阿寒の山々が一望出来る景勝地でもあります。

美幌峠は、東西29㎞、南北20㎞の規模がある屈斜路湖のカルデラの外輪山の西緑に位置する標高525mの峠です。峠を越えていく国道243号は、北は美幌へ、南は弟子屈へアクセスする。冬季閉鎖は有りません弟子屈側の国道はカーブが多く気象条件によって走行環境が著しく悪化するため、峠の頂上部から11,2㎞は特殊通行規制区間(交通規制)となっていまます。

美幌峠にいく

美幌峠展望台の雲海は眼下に広がる日本最大のカルデラ湖・屈斜路湖の湖上に発生。展望台からは北海道を代表する知床連峰や大雪山国立公園の北側に位置します。高原帯が広く展開しており、高山植物の種類もほうふです。展望台に登ると美空ひばりの歌碑があって美幌峠、作詞志賀貢、作曲丘千秋、昭和61年に造られていました。展望台から見る景色は、表現出来ない位素晴らしかったです。もう一度行ってみたい場所です。

天に続く道は、一直線に続く道で自分の目で見て遥か遠くまで続いていて何処までも行けそうで、展望台から見て夢想しました。北海道は見たい場所がまだ多くあります。

 


桜の蕾も少しづつ膨らんできて春の訪れを感じる・夢農園

2020-03-13 15:20:47 | ブログ

夢農園(野菜作り)

梅の木

何も植えられていない畑に、白い花が咲いています。10年も前に植えた梅の木は、去年は実付が悪くほとんど落ちてしまいました。今年は、沢山梅の実がつくと嬉しいです。何も植えられていない畑にも4月末には菜園をはじめます。

馬見兵陵公園  (カワズサクラ)

由来

1995年に静岡県賀茂郡阿津町田中の飯田勝美が阿津川沿いの雑草の中で1mほどの原木を偶然発見し、庭先に植えたことが由来です。名前の由来となった川津町では1981年より、毎年2月10日前後から3月10日前後にかけて川津桜祭が開催されます。「川津桜並木」が約3Km続いており、毎年多くの人で賑わっています。

兵陵公園でも、池の淵とか道路の横に並べて植えて有り、今ピンクの花が綺麗に咲いています。青空にカワズサクラ桜がかがやいて見えて、小鳥が何匹も花の蜜を吸っていて余り近づくとパーと逃げてしまいました。

サクラを見ながら歩いていると、可愛いタンポポの花をみつけました。一列に並んでいて可愛いので写真を撮りました。(タンポポもテンプラニしたらおいしいそうですよ)一言

タンポポ薬効 食欲不振、解熱、利尿、鎮痛、薬用部位、全草(草)ちょっと調べてみました。

北海道  7回目

釧路湿原は北海道釧路平野に位置する全国の3割を占める日本最大の湿原・湿地です。面積1万8290ha  釧路湿原国立公園の区域は2万8788ha。その大きさは山手線がすっぽり入りじつに大阪市面積に匹敵する。湿原の中を釧路川が大きく蛇行しながら流れている。湖の東側には塘路湖、シラルトロ沼、達古武湖、エォトル沼、ポン沼、サルルン湖が並ぶ湿原の中にも小さな湖沼が点在するほか、泥炭層の小さな穴に水が溜まって底なし沼状になった「やちまなこ」(谷地眼)が各所にあります。

釧路湿原を見に行く

湿原の横の道に入ると見える場所が作ってあって全貌が見えてました。広大な公園は青々として動植物も多く生息していて自然保護もしっかりしていて見るのをたのしめました。北海道の道路は何処までも真っすぐで他にない道をはしってきました。

湿原の歴史

一万年前までの氷期には、地球上の水が氷河として大量に地上に推績したため海水量が減って海水面が低下し、釧路湿原一帯も完全に陸地化していた。その後、気温が上昇して海水面が上昇した。約6000年前には気候が現代より温暖化し、海水面も今より2から3m高くなった。当時、釧路湿原一帯は大きな浅い湾を形成し、気温も現代より平均2度から3度高く、現代の東北地方と似た気候であった。湿原周辺に存在する当時の貝塚からはハマグリやシヲフキなどの貝殻が見つかっており、これらは現代は宮崎県以南に生息している種です。

硫黄山

明治9年(1876年)に硫黄山(アトサヌプリ)で硫黄の採掘がはじまりました。硫黄はマッチや火薬などの原料としてつかわれ、世界的にも需要の高い鉱物でした。掘り出された硫黄を釧路の港に運搬するため、硫黄山から標茶までは一日300頭もの馬が使われ、標茶から釧路川を船で下りはこばれていきました。

地史

地質は安山岩およびデイサイト、流紋岩。サワンチサップ、マクワンチサップなどの溶岩ドーム群からなる。噴気活動が活発で火山ガスを噴出している箇所が多い。アトサヌプリは屈斜路カルデラの最後の噴火(約3万年前)以後に生成した後カルデラ火山に相当する。狭義アトサヌプリは写真の中央に見える溶岩ドームを指すが、火山学的には隣にあるマクワンチサップなどの周辺の溶岩ドームと直径約4㎞の小カルデラを含むアトサヌプリ火山群として定義される。

3万年前以後の活動で成層火山を形成し、その後、カルデラ内にマクワンチサップ(537m)、サワンチサップなどの溶岩ドームが出来、1500年前以後の火山活動でアトサヌプリ溶岩ドームが完成した。最近の噴火は数百年前に起こったもので、この時の噴火で爆裂火口「熊落とし」ができた。現代最近の2700年間で7回の爆発的噴火活動があったと推定され、活動が活発だったのは1000-1500年前で少なくとも5回の噴火があり最新の噴火は300-400年前と報告されています。

硫黄山見に行く

硫黄山は、車を降りて少し歩くと直ぐに見えるところに噴火口があり凄い匂いも漂っていました。噴火口は硫黄が出ていて低い山で噴火口も幾つも出ていました。凄いなと言ってかえってきました。

 

 


二月に入り寒さも一段ときびしくなって来て雪が降る ・ 夢農園

2020-02-11 08:34:55 | ブログ

夢農園(野菜作り)  

金峯山寺  

大和の国、吉野山から大峯山山上ヶ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)と称し、古代より世に知られた聖域でした。この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行にはいり、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権限を感得されます。この姿を山桜に刻んで、山上ヶ岳(大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(金峯山蔵王堂)に祭祀されます。これが金峯山寺の開創と伝えられます。明治7年(1874年)明治政府により修験道が禁止され、金峰山寺は一時期、廃寺となり復職神動しますが、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年(1948年)には蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、その総本山として今日にいたっています。山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味を号しています。平成16年「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとして金峯山寺本堂蔵王堂及び仁王門がユネスコの世界文化遺産にとうろくされました。

金峯山寺に行く

今年は、2月3日に豆まきが行われました。天候は曇りでした、月曜日だったので去年より人出は少ないなとかんじました。豆まきは、鬼の行事が終わってから行われます。今年は、豆は8袋拾いました袋の中を開けてみるとティシュの箱1個当たっていました。

 

北海道旅行(襟裳岬)6回目

襟裳岬は(えりもみさきは)は、北海道幌泉郡えりも町えりも町えりも岬に属し、太平洋に面する岬。北緯41度55分28秒、東経143度14分57秒。北海道の形を大きく表微する自然地形の一つです。日高山脈の最南端で太平洋に向かって南へ突き出した岬です。海上にまで岩礁群も伸びています。

地理

日高山脈の南端部に位置するものであり、沖合7キロまで岩礁が連なる。岬の周囲は高さ60mに及ぶ断崖となっており、三段に及ぶ海岸段丘が発達している。眺望が明けており、日高山脈襟裳国定公園の中核を成す観光地となっています。

風が強いことでしられている。風速が計測出来る全国900以上の山岳を除くアメダス地点で、年平均風速が最も大きいのが襟裳岬の観測地点である。1981-2010年の平均風速は8,2m風速10m以上の風の吹く日が年間290日以上ある。

岬上の襟裳岬灯台は海抜73mに位置し、光22海里。

1889年に初点灯した。ほかに霧笛が備えられていた。沖合で暖流の黒潮(日本海流)と寒流である親潮(千鳥海流)とぶつかり、濃霧が発生しゃすいためです。また強風が吹きやすいことでも知られている。

襟裳岬に行く

襟裳岬は豊かな自然環境に恵まれており、ゼニガタアザラシの最大の生息地であり、風の館から個体を観察することが出来ます。一度は行ってみたい最果ての岬、森進一さんの歌が思い浮かびますが、全長150㎞にも及ぶ北海道の背骨ともよばれている日高山脈の最南端に位置している岬です。襟裳岬を離れる道路でキツネが道路に出てきていて写真をとっていると、軽トラに乗った人がが来て一緒に写真を撮りました。可愛かったです

柳月スイートピアガーデン(北海道音更町下音更)

北海道銘菓の三方六でお馴染の柳月の製菓工場で、100種類以上の柳月の菓子販売コーナーを始め、スイートピアガーデンガーデンでしか味わえないカフェ、子供から大人まで楽しめるお菓子作り体験工房、柳月の工場生産ラインの見学ができました。食べたいお菓子が一杯でした。製菓工場で見学してお菓子がつくられているところを見ました。見ただけでお腹一杯になり少しだけ買いました。たべたいもので一杯でした。

 


梅の花 満開に咲き 今年も 心一新・夢農園

2017-03-29 08:03:05 | ブログ

夢農園(野菜作り)

梅の花

今年初めて3月18日に農園に行き、梅や果物の木全体に消毒をして虫が付かないようにしました。梅の花は農園に行ったときに咲き始めていて、25日に行ったときに良く見ると門の近くの方側の枝が枯れていました。枯れた原因はわかりませんが  枯れているところは切断してほかの枝に影響が無いようにしました。今年も綺麗に花が咲いています、梅が沢山つけるとうれしいです。

畑を耕す。今は、機械で耕しているところが多いですが、家では、人力で掘り起こす作業をしています、草も根がはっていて一本一本抜いています、今年も始まったと思いながら作業をしていました。これから何を植えるかと考えるのも楽しみのひとつです。去年植えたところに同じ野菜は植えられないので毎年付けている植え付け表を見ながら考えています。ここ何年かの間に果物を植えました。金柑、柿 西条完全渋柿、プラム サンタローザを植えました。金柑は、まだ木は小さいですが去年実を多く付けていました。農園に来ることもなく実は木になったまま年を越して、今年初めて行ったときには霜が降りて食べられないようになった実が付いたままでした。全部実を落として次になる様に肥料をあげました。実を取りに来たかったのですが来れなくて断念でした。

天橋立

京都府北部、日本海の宮津湾にある「天橋立」は、陸奥の「松島」・安芸の「宮島」とともに、日本三景とされている特別名勝のひとつです。幅は約20~170m・全長約⒊6kmの砂嘴(さし)でできた砂浜で、大小約8000本もの松が茂っている珍しい地形で、その形が、天に架かる橋のように見えることから「天橋立」の名がが付きました。その何千年もの歳月をかけて自然がつくりだした神秘の道形を見ようと、沢山の方が訪れています。天橋立を楽しむには展望所からの眺めはもちろん、天橋立の中を歩いたり、自転車や船に乗ったり、海水浴場で泳いだりと自然を感じる楽しみ方も人気です。(天橋立を歩いて渡ると片道約50分、自転車で約20分です)天橋立は、日本百選に多数選ばれています。(日本の名松百選、日本の名水百選、日本の白砂青松百選、日本の渚百選、美しい日本の歴史的風土百選、日本の歴史公園百選、日本の地質百選)

天橋立ビューランド

文殊山山上にあります、天橋立を南側から一望できる展望所です。ここからは「股のぞき」した時の眺めは、天橋立が舞う龍のように見えることから「飛竜観」と呼ばれています。山上には、観覧車やサイクルカーなどもありました小さな子供たちも遊べるようになっていました。まだ雪が積もっている寒い時期に行きました。観覧車に乗って上まで行くと寒い中、多くの人が順番に股のぞきをしておられました。

 

知恩寺(宮津市)

知恩寺(ちおんじ)は、京都市宮津市文殊切戸(きれと)にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は天橋立(てんきょうざん)または五台山。「切戸の文殊」、九世戸(くせど)の文殊」、「知恵の文殊」とも呼ばれる。奈良県桜井市の安部文殊院(阿部文殊)、山形県高畑町の大聖寺(亀岡文殊)などとともに日本三文殊のひとつとされる。本尊の文殊菩薩は秘仏とされ、正月三が日、1月10日、7月24日の年5かの開帳があります。

歴史

寺伝によれば808年(大同3年)の平城天皇の勅願寺として創建されたという。延喜年間(10世紀初頭)には、醍醐天皇から勅額を下賜うされたというが、以後、中世までの歴史は判然としない。当初は密教(真言宗)の寺院て、禅宗寺院になるのは南北朝鮮時代以後である。

古くからの文殊信仰の霊場として知られ、謡曲「九世戸(くせと)」の題材となっている。現存する多宝塔は室町時代のものだが、本堂、山門、方丈などはいずれも近世以降のものである。

多宝塔

円形の塔身の上重に相輪をあげ、下重には方形の裳階(もこし)を付けた形式の塔といいます。丹後国守護代で府中城主延永修理進春信によって建立されたこの多宝塔は、室町時代のものとして丹後地方唯一の遺構です。明応九年(1500年)三月に釿(ちょうな)始めが行われ、翌十年四月に落成したことが、上重連子(れんじ)窓の裏版や来迎壁の背面、上重の柱(八角形)に記された墨書きにより知られます。

下重には來迎柱が立ち、前方に須弥壇をつくって中央に大日如来が安置されています。龍神社別当大聖院の智海が來迎壁の背面に片足をあげた不動明王を描いており、八十余歳書之智海」の署名があります。下重の軒回りは拳鼻(こぶしはな)付の出組(一手千斗きょう)とし、中備として中央は二つ斗(双斗)、両脇間には間斗束(けんとつか)を置いています。和様を基調としたなかで、この二つ斗と券鼻は天笠様(大仏様)、唐様(禅宗様)の手法として採用されています。左右に大きく広がる上重の屋根は柿萱で、これを四手先の斗きょうが支持しています。上重と下重をつなぐ漆喰の亀腹が小さいのは古風であろうとおもいます。

天橋立・知恩寺にいく

寒い中天橋立、知恩寺に行きました。出かけるときは、雨でどうなることかと思っていましたが、橋立に着いたら良い天気でビックリしました。日本三文殊のひとつで通称切戸(又は九世戸)の文殊堂として知られている文殊菩薩の霊場です。知恵を授かる文殊さんとして有名で受験や資格試験などの受験生やその御家族多くお参りに来られるそうです。茶屋通りに面する山門は、黄金閣とも呼ばれる市の指定文化財で、楼上に釈迦如来を中央に両脇士・十六羅漢を安置する、禅宗様式・三問三戸二重門の丹後地方最大の山門です。橋立では股のぞきをして景色を見て写真も撮ってきました。子供の遊ぶ場所もあり、暖かくなってから行くともっと楽しめたと思います。


梅雨の晴れ間 紫陽花の花が 夢農園で咲く

2016-06-29 08:52:37 | ブログ

夢農園(野菜作り)

門の上に咲くピンクのミニバラ

去年から剪定をして綺麗な花を咲かせるように育ててきていましたが、温度が低い土地なので咲かせるのが難しく去年は少ししか咲いていませんでした。今年はツツジと同じ時期にミニバラが咲き明るい玄関になっていました。梅雨の時期に咲くので農園に行くのが遅れると雨で枯れてしまいます。咲いている期間が一週間ももたないので今年は、咲いている期間に行けて良かったです。毎年咲くのを楽しみにしているので写真が撮れてよかったです。

山椒木

今年は、6月の8日に山椒の実取りをしました 実成が悪く実も小さかったです。でも香りが充満して木の周りはいい香りでした。収穫も大変でした、持ち帰りすぐに小さな茎を取り除く作業をしましたが、これが大変な作業で何時間もかかりました。茎が取れたら洗って沸騰した湯に通しておきます。ここまでが大変な作業です。今年は一キロ位だったので良かったのですが、去年は三キロはありました。雑魚に入れても美味しいし、昆布と一緒に炊いてもいいですし、今年も山椒の恵みを頂きました。ごはんが進みますよー

大阪舞洲のユリ園

シーサイドに250本のユリが咲き誇る。

2013年に大阪に新たな名所が誕生する大阪湾を望む最高のロケーションに、今年は、50万輪増加した250万輪のユリ畑が出現し、空と海のブルーとユリの花々の鮮やかな色のコントラストを楽しめます。開花状況は、毎年気候・気温によって変化します。

2016年でユリ園が出来てから4年目となります。大阪湾に面した舞洲ユリ園約50種類のユリの花は、色も形も様々で、きっと今までに見たことがないような珍しい品種のユリに出会います。通常は、およそ40分で一周できる位の広さがあります。途中で写真を撮ったり、椅子に座って観賞したりしているとあっという間に一時間が経過してしまいます。園内の通る道は、ちゃんとした計算がされた傾斜になっているため綺麗に広がった百合の絨毬が楽しめます。大阪湾のブルーをバックに遠くには山も見え大量のカラフルなユリ畑と一緒に写真を撮る人たちが多数おられました。私も何枚も写真を撮ってきました。綺麗なユリの花を見て癒されました。

舞洲ユリ園に行く

朝9時ごろから車で大阪に出かけました。天候は、あまり良くなくて朝方は、曇っていました。ユリ園に着いたら多くの人が並んでいました。お金を払って中に入っていくと広大な土地に色々な種類のユリの花が咲いていました。色も豊富でびっくりしました。昼頃になったら晴れてきて日影がないので大変暑かったです。見ごろの時期に行って良い写真が撮れました。癒された1日でした。