gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

初雪が降り寒さも一段と厳しさを増す・夢農園

2017-12-30 08:34:44 | 日記

夢農園(野菜作り)

修善寺温泉街

温泉街の中心に修善寺川(通称:桂川)が流れ、川岸には温泉宿や飲食店が立ち並ぶ川中の四阿には、同温泉地のシンボル的存在の独鈷の湯か゛、のあり、無料で足湯を楽しめる。至近には地名の由来となった修善寺があり、多くの観光客が訪れています。このお寺では、毎年8月20日・21日に秋季弘法大師大祭が開催され、屋台や打ち上げ花火が催されます。また、遊歩道が整備され「竹林の小路」などが人気のスポットとなっています。温泉街付近には源氏に関する史跡が多く、鎌倉幕府第二大将軍、源頼家の墓や、頼家の冥福を祈って母である北条雅子が建てた指月殿などが残っています。

以前には無秩序な湯のくみ上げにより、温泉水位が下がって海水が混入したり、主要成分の含有量が少なくなったりしたこのため1981年(昭和56年)6月より集中管理に切り替えて供給を行っています。また、独鈷の湯を含め、外湯(共同浴場)が7か所あり、これらは地元住民の利用のみ許されていた状態であったが、2002年には観光客も入浴可能な「筥湯(はこゆ)が開業した。2004年10月には、台風22号によって修善寺川が増水し温泉街に被害がもたらされた。

歴史

修善寺温泉の歴史は、平安時代に弘法大師が開いたと云う修禅寺の歴史と共にあります。独鈷の湯も弘法大師が湧出させたとされ、これが修善寺温泉の期限です。河原で病気の父親の体を洗う少年のために「弘法大師が独鈷を用いて岩を砕き、そこから湯が沸きだした」との開湯の伝説が残る。鎌倉幕府の時代には、源頼家が修善寺に幽閉され暗殺された。

土肥温泉(といおんせん)は、静岡県伊豆市(旧田方郡土肥町)にある温泉。伊豆半島の西岸に位置する夏季には海水客で賑わいます。

歴史

土肥金山開発中の1611年、当地にある安楽寺境内の坑口から温泉が噴き出したのが土肥温泉の始まりで、この源泉は発見者の間部(まぶ)彦平に因みまぶ湯と名付けられた。近代土肥温泉は、明治33年に馬場(ばんば)地区で飲料用井戸を掘った所、温泉が湧きだしたのが始まりです。

浄蓮の滝

天城山中第一の大滝で、高さ25m、幅7m 滝つぼの深さは15mあります。滝の名は左岸山中にあった寺「浄蓮寺」に由来しています。明治末期、安藤藤衛門翁により、私財を投じて遊歩道が拓かれるまでは、断崖と深い自然に阻まれた、たやすく人が近づけない親密的な滝でした。滝の周囲には、県指定天然記念物ジョウレンシダ(ハイコモチシダ)が自生し、豊かな水の森を演出しています。

柱状節理

浄蓮の滝は、約17,000年前に、滝の南東1kmにある鉢窪山が噴火した際に、流出した溶岩流によって作られました。滝を作る崖には、溶岩が冷える過程で作られる、規則的な柱状の割れ目が見られ、流れ落ちる滝に美しさを添えています。室町時代の明徳年間(1390~1394)頃に利山忠益禅師によって創建された曹洞宗の寺院で、東司(とうす)の神様である烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)を祀っています。烏枢沙摩明王は炎の力で不浄を清浄と化す力を持つ神様で、トイレの神様として地元住民から親しまれています。

修善寺温泉・浄蓮の滝に行く

風が吹いて少し寒い日でしたが、約、5時間かけて伊豆のホテルに着き修善寺温泉でゆっくりと温泉につかってきました。弱アルカリ性単純泉でとても肌がつるつるになっていい湯でした。修善寺には、多くの人が行っておられました。奥の方に庭園があって、お金を払って見られる様になっていて私たちも見てきました、山の斜面に色々な木が植えられて四季見られる様に作ってありました。紅葉を見るには、少し遅かった様です。浄蓮の滝を見に行くには少し車で走って、約500段の階段を下っていきます。人も多いので大変でしたが、滝の所に行ったら水も豊富で見事な滝で癒されました。水が豊富なのでワサビが良く成長して沢山栽培をしておられました。ワサビを売っている店があってワサビの佃煮とワサビを買ってきました。階段を登って上にあがったらゆっくりと休める店があって、豆腐のアイスクリームを頂きました美味しかったです。