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寒さ厳しくもう一息と春を待つ 夢農園

2014-01-30 16:09:07 | インポート

夢農園(野菜作り)

農園の今、現代の様子

1月のDsc02342Dsc02340 中頃に収穫をするために農園に出かけました。雪が降ったようで、野菜の上にかぶせてある寒冷紗の上に雪Dsc02344が重たいほど乗っていて、雪下ろしをしました。9月頃から、肥料をあげたり、水やりをしたりして育ててきた野菜は、小松菜、赤カブ、白蕪、キャベツ、水菜、白菜、サラダ菜、11月になって急に寒くなって霜が降りたり、雪が降ったりして行く機会も減っていって、野菜の生長もとまってしまいましたが、小松菜、白蕪、赤カブ、キャベツを収穫しました。キャベツは小振りですが、手に持ったらぎゅとしまって重たいです。中が詰まっていてスライスして食べたらとても甘みがあってサラダにしたら最高です。

カサブランカ

Dsc04201 Dsc04202 カサブランカ、百合の栽培に、はまっていた時期があって、百合を多く植えていました。百合も、ヤマユリ、小オニユリは、農園を、始めたときに、うちの土地に咲いていた百合で、畑にするときに掘り起こして、植え替えをして、隣の土地に植えていましたが、隣の土地が売れてしまって植えられなくなって少しずつ球根が減っていきました。今、何本か残っています。真っ白いヤマユリは、山に採りに行ったこともありました。近所の知り合いの人に、百合が多くDsc04210 Dsc04222 咲いているところを、教えてもらって車で採りに行ったら、そこには何百本と百合が咲いていました。何十本と採取してきて一時期は、畑にまで百合を植えていました。花屋さんで買ってきた赤い百合にピンクの百合、ここ,毎年咲くのを楽しみにしています。カサブランカは、香りもよくゴージャスで見ていて華やかです。去年は寒さが早く来たので掘り起こすことは出来なかったのですが、球根を増やしたいです。

カサブランカの原産地

Dsc03745Dsc03740Dsc03779 原産地は北半球の日本を含む亜熱帯から亜寒帯です。百合属のうちヤマユリ、たもと百合などを原種とするオリエンタルハイプレッドの一品種。開花時期は7~8月。1970年代にオランダで作出され世界的なブームを呼んだ。純白の大輪の花咲かせ花言葉は「雄大な愛、威厳、高貴」といったカサブランカの花のイメージどおりです。このゆりの女王「カサブランカ」は堂々としてた大きな花と甘い香り芳香からウエイデングのブーケの香水などに使われています。

橿原神宮

橿原神宮は、御祭神・神武天皇が畝傍山の東南・柏原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた宮址に、明23年に創建された。第一代の天皇であり我が国建国の始祖となられた神武天皇と、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)皇后がDsc05407Dsc05422_2まつられている。神武天皇は、皇孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)がこの国土に降りられた日向(ひゆうが)国高千穂の宮におられたが、天下の政治(まつりごと)を行うべくはるばる東遷の途に立たれた。途中幾多の困難に遭われたが、ついに大和の国を中心とした中つ国を平定され、畝傍(うねび)の橿原の宮において即位の礼をあげて、国の基をたてられた。

神武天皇

Dsc05415 Dsc05416 神武天皇(じんむてんのう)庚午年1月1日-神武天皇76年3月11日は、日本神話に登場する人物で、日本初代天皇(古事記、日本書紀による   。

日本書紀によると、天皇在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日-神武天皇76年3月11日とされる。『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)と称され、

Dsc05420Dsc05421日本古事記』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、狭野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される。 神武天皇という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされる。

天皇が即位した月日は明治期に新暦に換算され、2月11日とされた。これより、2月11日は日本が建国された日として、明治6年(1873年)に祭日(紀元節)と定められた。紀元節は昭和23年(1948年)に廃止されたものの、昭和42年(1967)には建国記念日の日として、祝日とされた。

歴史学界における神武天皇

神武天皇が即位したという辛酉の歳は、そのまま換算すると期限前660年で弥生時代にあたる。Dsc05419Dsc05423明治時代に入り、近代歴史学が導入されると、歴史は、同時代史料や、同時代史料に基づくと推定される良質の編纂史料に根拠を持つものによってのみ叙述されるべきだという原則が広く承認されるようになつた。

しかしこの原則を古代史に当てはめると、皇室の歴史を直接疑うことにつなが るため、長らく本格的な史料批判は行われないままであった。それでも早くから、初期の天皇が非常に長命であることや、記念が古すぎることに疑問を持つ者はいた。たとえば明治の歴時学者那珂通世は1897年、「上世年紀考」で『日本書紀』の記述を批判して、記紀の記念は「辛酉革命説」に基づく編者の創作であろうと論考し、実際の年代を推算しょうと試みた。

Dsc05443Dsc05452日本古代史に真の意味での史料批判が展開されるのは大正期の津田左右吉を持たなければならない。津田は記紀の成律課程に関して初めて本格的な文献批判を行い、神話学、民俗学の成果を援用しつつ、神武天皇は弥生時代の何らかの事実を反映したものではなく、主として皇室が日本を支配するいわれを説明するための日本神話の一部として理解すべきであると断じた。

 戦前彼の著書は不敬であるとして発禁処分とされたが、戦後になって皇室のタブーが解かれると、多くの歴史学者によDsc05438Dsc05437っておおむね妥当な推論であるとして支持されるようになった。

こうした経緯から、現代の歴史学界では神武天皇の存在は前提とされていない。したがって、神武天皇に関する説話は崇神天皇、応神天皇、継体天皇、記紀編纂時期の天武天皇などを念頭に、弥生時代末期から古墳時代にかけての、種々の出来事を基にして創作したとする「モデル論」も盛んである。

一方で安本美典のように、神武天皇を実在とする論者もいる。神武東征物語は、邪馬台国の東遷(邪馬大国政権が、神武天皇が開いた大和朝廷を邪馬壱国/九州王朝の分家だとしている。

橿原新宮

元旦に橿原神宮にお参りに行きました。参拝に行く沿道に、多くの露天が並んでいて色々な店が出ていました。参拝の人が多く天候も曇りのち雨で、寒さも厳しかったです。家族全員でお参りをしてきました。今年もよい年でありますようにと、手を合わせてきました。神宮本殿に大きな絵馬が掛けてあって、絵馬の前で、家族で写真を撮ったり、友達と写真を撮ったりされていました。私たちも、写真を撮りたかったのですが、長い行列が出来ていて撮るのを諦めました。絵馬を買って、帰りにお好み焼き屋さんで食事をして帰ってきました。雨も降っていて写真も満足に撮れなかったので、何日か後に、橿原神宮に行って写真を撮ってきました。人も少なく、絵馬の前で写真を撮ってきました。今年も宜しく願いします。よい年でありますように。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
やっと、雪が溶けてきたけど、まだまだ、残ってい... (さとし)
2014-02-22 19:07:57
やっと、雪が溶けてきたけど、まだまだ、残っていて、車を止める時に邪魔です。オリーブの木が、道にはみ出しているので、溶けたら、剪定しないと(^_^)ね。
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さとしさんコメント有り難う (ムーミン)
2014-02-28 08:43:22
さとしさんコメント有り難う
今年は、例年にない大雪でしたね、農園でも、50センチも雪が積もって、行っても何も出来ずに雪下ろしをして帰ってきました。野菜も、雪に覆われて生長していません。自然には勝てません早く春が来るのをまつだけです。
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