夢農園(野菜作り)
農園の景色
冬の間 、4ヶ月ほどは何も出来ません。1月、2月は土が凍てついて掘り起こすことも出来なく
て8月頃から白菜、キャベツ、水菜、大根、サラダ菜と栽培していますが、今、収獲に行っても土が凍てついていて掘り起こすことも出来なくて、昼過ぎにと けるのを待って野菜を収穫しています。寒冷紗を野菜の上に掛けていますが、風がきつくて外れてしまっています。
白菜、キャベツ
8月頃から白菜の栽培を始めて、10個位は収獲出来ています。同じ頃に植えても少し遅かっただけで巻いていないのが、まだ何個もあります。これで暖かくなったら巻くかはわかりません。急に温度が上がってきたら薹立ちしてしまいます。サラダ白菜を、今年は何本も植えました。上の葉を取ると中が黄色でやわらかくてちぎって味噌を付けていくらでも食べられます。植え始めの頃に虫が多く付いていました。今は外葉は全部、取って外してしまうので中は綺麗に巻いています。
キャベツは巻いているのから食べていますが、まだ巻いていないのが多くあってキャベツの場合は暖かくなったら完璧にまいてきます。紫キャベツは今の所、1本も巻いて来ていません。早く食べてみたいのですが、早く暖かくならないと無理なようです。
大根
大根は、二段階に分けて、日にちを遅らせて種蒔きをしました。早く撒いて大きくなったのから収獲しています。余り大きくならなくて一回使い切りには良い大きさで味噌汁にしたり、大根おろしにしています。やわらかくて美味しいです。
瓢箪ナンキンは、今年も10本植えました。順調に大きくなって20個位穫れました普通の南京よりも遅くに収獲するので、去年は11月には温度が低くなってナンキンは、霜にあたって何個か腐ってしまうのも有りました。多く採れて1個の大きさが凄く大きいので食べきれないので農園の近くの人たちに食べて貰いました。家でも、毎日のようにスープにしてストックしておいて、朝食に出したり、夕食に出したりして美味しいといって喜んで食べて貰っています。
玉葱は11月に植えて成長させますが、農園では、早く植えても土が凍てついて玉葱が土の中にしっかりと植えている状態なのに見て回ると何本か浮き上がってきていて植え直すことが何回かあります。今年は寒さが厳しいので野菜には難しい状態です。
ビワの木
ビワは、色々な果物を植えている中で一番寒さに強いように思います。葉もしっかりとしていて元気です。植えてまだ1年目ですが、今年は実が付くと嬉しいです。1メーター位には伸びてきているように見えます。たき火をして灰を振るった後の墨をビワの木の下に撒いて寒さ対策をしてあげています。
橿原神宮
今年も橿原神宮にお参りに行ってきました。あっという間に1ヶ月過ぎてしまって遅れましたが、今年も宜しくお願いいたします。橿原神宮に景気回復をお願いしに行ってきました。多くの人がお参りにきて居られました。私達も手を合わせて願い事をしてきました。今年もいい年になりますようにとお願いしてきました。
「巳】本来の読みは「し」。原字は頭と体ができかけた胎児を描いたもので、子宮が胎児をつつむさまを表す「包」の中と同じ。
十二支の「巳」は、植物に種子が出来はじめる時期と考えられる。『漢書 律暦志』では、「止む」の意味の「巳」とし、草木の生長が極限に達して次の生命が作られ始める時期と解釈している。これを「へび」としたのは、無学の庶民に十二支を浸透させるため、動物の名前を当てたものであるが、順番や選ばれた理由は定かではない。
お稲荷さん
橿原神宮のお稲荷さんは、お参りして居られる人が少なくて家族だけでお参りし てきました。良 い年になりますようにとお願いしてきました。通る道の所に苔が生えていて落ち着いた感じがしました。
寒桜
寒桜は、去年より寒さが厳しいのか綺麗に花が付いていました。池の側で3本の花が咲いています。花がない中、寒いときの花は、なんか頑張っているなと感じました。綺麗でした。
神武天皇御陵
学会の主流です。又、東征も単なる神話であって史実に基づいたものではない、とする考えも昔からあります。従来から、 「記記」を研究対象とする場合、神武天皇や東征物語の解釈をめぐっての立場はおおむね以下のようなものでしょう。
1、神武天皇自体は(虚構、仮装)であっても、物語となった核の人物・史実は存在したとしてそ の事実を探ろうとする 物
2、全く机上の空論であるとして、その空論の成立についての過程や方法をさぐろうとするもの。
3、事跡は後世の史実が繁栄しており、「記記」成立のなかで、神武天皇も後世の天皇史実が投影されているとするもの。
モデル論にも諸説あって、越前から大和を征服下とされる継体天皇、ハツクニシラススメラミコトという、神武天皇と同じ名前をもつ崇神天皇、或いは熊野征伐のコースが神武天皇の東征の ースと酷似している天武天皇(大海人皇子)等が、神武天皇のモデルとされる。
又、1の立場に立てば、神武天皇は九州にあった邪馬台国の卑弥呼の末裔いうことになり、その大和征服物語りが伝承されする。唯物史観の立場に立った人々の主張は、おおむね2、の意見であった。真実は陵を掘るしかないのかもしれないいが、実はこの神武天皇の陵の位置を巡っても論争が長い間続いていたのです。現在綏靖(すいぜい)天皇陵とされているところ(橿原市四条町)が神武陵されていた時期もあり、江戸時代にも貝原益軒、松下見林、本居宣長、竹口英斎、蒲生君平などが陸の位置をめぐって説を発表している。結局、現在の陵の位置は、明治天皇の勅裁を仰いで決定されたのです。(孝明天皇が勅裁し明治天皇が発布したとのせつもあります。)
露天商
橿原神宮の駅に着いて少し歩いた路の横に、店は出ていました。お参りに行く前に、横目で見ながら良い香りが漂う中、道路も人で一杯で、店の中も見えないほど、人が神宮に流れて行っていました。お参りを済ませて帰りに一軒、一軒の店を見ながら、リンゴ飴の店は、色とりどりの飴が並べてあったり、色も綺麗で写真をとりました。リンゴ飴の店で並んで買ったり、クレープ屋さんで並んだり、お好み焼き棒を並んで買いました。店のそばで、頂きました。よく考えてあってお好み焼きが、半分に折った真ん中に割ればしが入れてあって、それを持って食べる用に考えてありました。よく考えてあって、とても食べやすかったです。美味しかったです。
ビワ良いな、家も植えようかな、でも、大きくなっちゃうと困るんだけど。
今年はいつまでも寒くて、雪が多くてたいへんでした。こちらでは、まだストーブを使っています。農園も、少しずつ始めなくてはと思っていますが、土が凍てついていて、溶けるまでに午前中はかかります。もう少し作物を植えることはできない状態です。早く春になってほしいです。