別所の大日堂です。中に入ってみると「大日神」と扁額が掲げられています。江戸時代にはここがお寺さんで「大日如来(仏像)」が祭られていたはずなのですが(他の大日堂も同じ)、明治新政府の時代になって神国日本を作るための国策によって、大日如来の仏様も神様に変身して「大日神」となってしまいました。中央に丸い鏡が置いてあるので「天照大神(あまてらすおおかみ)」として祭られているのだと思います。
前回ここにおじゃました時この神社の入り口左側に、この赤黒斑(まだら)のご神体を見つけました。神社に居られたご老人に問うたのですが何なのか分からないということで、謎とそして残っていました。
今回の11人の現地研修では、車を止めて(私は運転していません)4人の地域の人に聞いたら、疫病神が村に入ってこないように村の両端に祭ってあるということでした。確かに村の向こうはじにも同じようなものが祭られていました。
勇気を出して触ってみると、石ではなく木の根に色を着けたような感じでした。今後民俗学の「柳田国男」さんの著書などで調べてみたいと思います。
今回の現地研修は近くのたくさんの場所をまわり、全て以前に訪問した所なのですが、 「定六とシロ」の伝説が伝わる「老犬神社」でも以前から疑問に思っていたことを確認することができました。
神社に掲示されている古文書に間違いがあったのです。
どういうことかは、後にお伝えしようと思います
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