今年の文化財保護協会の研修旅行は盛岡です。盛岡には私はみんなに見て欲しい所があり、加えて私自身謎を解きたいと思う所もありました。そこで理事会で、盛岡を提案したら、いとも簡単にOKになりました。
ということで、今日会長さん他私たち事務局2名の計3名で下見に出かけました。
最初は、盛岡中央公民館です。藩政時代初期は南部藩の御薬園であり、その後庭園が造られ、藩主の別邸、明治には南部家の別邸となり、現在公民館となっても、別邸の一部はそのまま保管されています。私たちの研修旅行の時(8月28日)は、この別邸が特別公開になります。
盛岡中央公民館では、特別公開の別邸や郷土資料室の参観、そしてここに保管されている当市の江戸時代の絵図面や巡検使道の絵図など7点を見せて頂けるよう学芸士の方にお願いして来ました。
ここの庭園には茶室が3つもあります。その内の1つは原敬元首相の「白芳庵」も移築されてあります。普段は公開されていません。別邸の特別公開の折には、こちらのお茶室も是非公開して欲しいものです、8月からの企画でまだ詳しいことは決まっていないようです。
わが文化財保護協会は何を見に行くのでしょうか。事務局が庭師であることが災い(幸い?)しているようです。
二つ目の見学場所は盛岡市内の「報恩寺」です。ここは「五百羅漢」で有名なのですが、私たちには当市の中心となるお城のご城代(盛岡の殿様から当地区のお城をまかせられている方)の「中野吉兵衛」さんのお墓があると聞いているお寺なのです。会長さんも実際には見ていないのです(最後12代のお墓岳は当市我が家の菩提寺にあります)。
和尚さんにお墓の位地を聞いて墓地を探すとありました。三十数基の中野さんのお墓が見つかりました。
昨年11月に法事をした中野さんがおりました。和尚さんにお聞きしたら「愛知県からいらしてましたよ」ということでした。中野さんの末裔は広く全国に広がっているようです。詳しくは姓氏研究家のH氏にお聞きしたいと思います。
さらに、これまで分からなかったのですが、かつて古くから当市に住んでいた武将に「柴内氏」「毛馬内氏」「北氏」が居りましたが、こうした方々のお墓も見つけることができました。
和尚さんのお話に、「毛馬内氏」のお墓もありますし、山門を入って左側の奥に古いお墓がたくさんありますから・・・、ということで探したら新しい発見の連続でした。「柴内氏」のお墓には当市との関わりを説明した碑までありました。
今夏の研修視察の要項づくりは楽しみの多いものになりそうです。まずは、「柴内氏」「毛馬内氏」「北氏」の業績やルーツを調べることから始めなければなりません・・・。
下見をした箇所はもう2ヶ所、「聖寿禅寺」と紫紺染めをしている「草紫堂」があるのですが、長くなるので後日またということで・・・。
盛岡中央公民館(南部藩別邸)のお座敷から見えるオブジェです。
お茶会が行われていました。
大変盛会でした
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