先月の末頃から裏庭の借景となっている山(公園)が、随分とスケスケに見えます。確か一番大きな杉の木の右側に大きな欅の木があったはずです。杉の木よりもはるかに大きな欅(けやき)のです。それが見えません。
もしかして切られてしまったのでは、おかあさんと見に行きました。
テニスコートの下の駐車場に車をおこうとしたら、なんとそこには切り倒された欅がたくさん横たわっていました。
たくさん、たくさん切られています。
公園に上がっていくと、松の木までも切られていました。
あの、大きな欅は切られてしまっているのでしょうか。
今の所、あの巨大な欅の倒された姿は見られません。
もう運んでしまったのでしょうか?
欅の大木の姿が見えません。
やはり切られていました。
小雨降る中、雪の中から切り口を出してみました。
無惨です。
巨木の遺体はもう運ばれてしまっていたのです。
公園の一番の端(はじ)っこで大きくなった木、私が小さい時から大きかった欅です。
私は下からこの欅を見上げ、この欅はここから私たちを見つめていたのです。
私は私の近くにある、私の家から見える、1番大きなこの木を見つめ、見つめられて大きくなったのです。
我が家から見るこの木の枝振りは見事なものでした。私が盆栽をいくらか始めた頃、欅の木は箒立ちの樹形になると言うことを知りました。
東京武蔵野には、箒立ちの天然の欅がたくさんあり、そうした欅の古木のように「欅盆栽」は作らなければならないと本には書いてありました。
欅の木は、本州から九州までに分布するもので、幹は真っ直ぐにそびえ、箒状に枝が出て雄大な樹形になります。欅の語源はケヤケキ木(よく目立つ木)だろうと言われています。
まだまだたくさん切られています。
公園の周りにあった雑木はほとんどありません。公園の中央に桜の木だけが残っています。
無念です。
誰がこんなことをしたのでしょうか。
市が売ったのです。
市長は52万円で、欅だけではなく、街の中の自然も売ったのです。
アカゲラが来た日
我が家に一度も来なかったアカゲラが来たのは1月6日でした。その時にはもう欅の木18本は切られていたのでしょうか。それとも切られるので助けを求めに来たのでしょうか。
この公園でアッキーさんは、小さい(小学生の中学年)時小鳥の観察をしたのです。メジロの目の回りは確かに白かったし、ウグイスは最初は「ホーホケキョ」とうまく鳴けいがだんだん旨くなること、シジュウカラの雄雌は黒いネクタイの巾で見分けが付くことこと、一番夜遅くまで起きている小鳥はアカハラであったことなど等々・・・・。
この公園の小鳥たちも18本も欅が切られたら住みにくいでしょう。
市長は、これから自然とふれ合い小鳥好きの子どもを育てる環境を壊したのです。
郷土の自然や歴史・文化を大切にしない市長では、市の子どもを健全に育てることは出来ません。52万円が欲しくて切った欅は帰って来ません。周りの小さな欅が大きくなるためにはまた、50年も100年もかかるでしょう。市の中心にあるこの公園は、詩を吟じるお年寄りなど老若男女が集う場所なのです。すぐ隣の小学校の子どもたちが自然と親しむことのできる貴重な場所なのです。もうこれ以上木は切らないで下さい。むしろ、新たな植栽や剪定管理などをして欲しいと願います。
昨日準備した脂身は今朝起きた時にはなくなっていました。坪庭のものもです。アカゲラは元気のようです。大分お腹をすかしているようです。明日はもっといいものも準備します。
まずは、姿を見たく思います。
良い策があります。
あした試してみようと思います
枯れてしまったならまだしも、まだまだ現役だったのに。。。
切られる瞬間、どんなに怖くて痛かったかと思うと胸が締め付けられます。。。
昨年の夏、二人でこの公園に行きました。
木の下で昔話をしたり、カブトムシを捕ったり、市街を眺めたり。
のぶちゃんがキックしてもビクともしない立派な木でした。
みんなが大きくなるのを何十年、本当に何十年と見守っていた欅。
今一瞬のために切られた欅は、今切らなければいけなかったのでしょうか。。。
NOBUさんが案内してくれていたこと、とても立派です。私の残念さを分かって頂けた事嬉しく思います。
毎日残っている木が大きくなればと願って裏山を見ています。残念なだら残っている木は欅の木ではありません。朴の木などであんな風に綺麗な樹形にはなりません。
雪が消えたらどれ位欅の木が残されて居るのか確かめに行こうと思っています。
前々からおかあさんと考えていること、真っ赤に紅葉する椛(モミジ)の木を裏山に植えること、市が木を切るなら市民は木を植えますよ、いよいよ実行の春となりそうです。