市の無形文化財調査の仕事が始まりました。今日はオジナオバナの「茅刈り作業」の日で、秋田のビデオ業者がいらして撮影です。私たち委員3名に市教育委員会の担当、現地の自治会長さんたちです。
茅(かや)とは芒(すすき)のことです。8人の方でこのように茅を刈って束ねて乾燥させます。11月9日にはこの茅を山の峰12カ所にまで背負って運び、ブルーシートをかけて来年3月のお彼岸の日を待ちます。春彼岸の中日にはこの茅(「しま」という)12に(旧暦閏年は13のしま)火をつけご先祖(祖霊)をお祭りします。大変な労力を要する行事(記録保存すべく私たち調査員が記録保存の仕事をしている行事)です。
以下はこれまでの記録写真です!
こちらは、私が麓から今年の3月のお彼岸に撮影したものです。
たくさんの人が力を合わせ、こうした大行事を行っています。
無形文化財の調査委員である私は、どうした考えが、地域の方々のどんな信心がこうした大行事を支えているのか、それを確かめたいと思います。
確かめ方は、地域の方に直接伺う方法です。この火を地域の方は拝みますが、仏様を拝むように手を合わせて拝むのか、神様に向かうように手をたたいて拝むのかまずはそこを確かめたいと思います。調査委員のT氏はお彼岸の行事だから仏様を拝むように手を合わせて拝むのが当然でしょう言われます。
しかし、私は人間の死後の33回忌や50回忌(50年)を過ぎると、当初の新霊(にいたま)はやがて先祖となり、遂には祖霊となります。祖霊は先祖全体であり神なのです。神道ではその神は近くの山の上におり(山の神)、農耕の時期には山を降りてきて田の神となるのだそうです。
手を合わせるのか、手を打つのかは私にとっては大きな問題です。市内では3カ所しかオジナオバナは行われていません。しかし、昔は広く市内各地で行われていました。そこで私は市内各地区の悉皆(しっかい=全部)調査を教育委員会にお願いしています。
今手を叩いて拝んでいる人がいることを私は知っています。昔の多くの人はどのようにこの火を拝んでいたのでしょうか。もしかすると仏教伝来以前からの祖霊信仰の行事ではないかというのが私の仮説です。
仏教と神道の関係、さらには修験道と両者の関係は私の前に立ち塞がっている難問(課題)です。今回の「オジナオバナ」の調査を通して私の課題の解明に道が開けると有り難いのですが・・・ 、どなたかご教示をお願いします
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