特殊清掃「戦う男たち」コメント公開

戦友の意見交換の場として公開しています。

密室(前編) (公開コメント版)

2007-11-29 07:13:54 | Weblog
ここのところ、朝晩だけではなく日中もめっきりと冷え込むようになってきた。
「秋が深まってきた」と言うより、もう冬だ。

この季節は朝も起きるのが辛い。
「あと5分だけ・・・」を何度か繰り返して、ウジのように布団から這い出る毎朝。

特掃は一種の職人仕事みたいなものなので、基本的に朝は早い。
だいたい、7:00台には現場に向かって走ることがほとんど。
だから、それに間に合わせる起床時間もおのずと早いものとなり、当然、冬場は暗い中の起床となる。

朝の支度はいつも決まったパターン。
肝臓の弱い私は、前夜に飲み過ぎたりするとトイレに思わぬ時間を要したりするけど、ほぼ決まった時間で準備は整う。

そんな朝の日課の一つに〝ゴミ出し〟がある。
今のような季節ならまだしも、夏場はちょっと放っておいただけで、ゴミは臭ってくる。
例の激悪臭に比べれば家のゴミ臭なんて優しいものなのだか、やはり不快なものであることには違いない。
どんなモノでも腐ると悪臭を放つからね。

こんな仕事をしていても、意外に?きれい好きでわりと几帳面な?性格の私は、暗くて寒い朝でもゴミ出しは欠かさない。
いつも、決められた方法できちんと分別し決められた日にきちんと出している。


不動産管理会社から、消臭・害虫駆除の問い合わせがあった。






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大黒柱(公開コメント版)

2007-11-25 09:29:44 | Weblog
〝大黒柱〟とは、日本民家の中央に立てられている太い柱のことだが、今では、家族を支える中心人物を表す言葉として用いられることの方が多いと思う。
〝一家の大黒柱〟と言うと一家の経済的な支柱、つまり、一般的にはその家の世帯主・夫・父親を指すのだろう。
ただ、現実には、女性が一家の大黒柱になっているケースや、一本の大黒柱ではなく何本かの柱で支えられている家も少なくないだろうが。

人は、老若男女を問わず、この世での限界を迎えることが定められている。
それは、一家の大黒柱でも同じこと。
家族のうちの誰が亡くなっても一家は揺らぐけど、中でも、大黒柱が急に亡くなってしまったら一家の人生・生活は急激な変化を強いられることになる。
そして、そんな現実がたくさんあり、そんな家族を目の当たりにすると、人生の無常と人の命のはかなさを痛切に感じるのである。


故人は50代の男性。
訪問した家は、郊外の閑静な住宅街に建っていた。
立派な一戸建で、見た目もきれいだった。
築年も浅そうで、家の中は新鮮な建材のニオイに包まれていた。
しかし、それに合わない線香の煙が、家の雰囲気を一気に暗くしていた。




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日々の糧(公開コメント版)

2007-11-21 06:59:47 | Weblog
私は、小学生の頃、〝小池さん〟のラーメンに憧れていた。
アノ人がいつも食べていた、あのラーメンにだ。

小池さんが私の前に現れるのは、いつも夕刻。
それは、夕食前でちょうどお腹が空いている時間帯だった。
そして、そんな私の目の前で、小池さんは笑顔でラーメンをすすっていた。
その姿に、幼い私は羨望の眼差しを注いでいたものだった。

彼のラーメンはインスタント。
カップラーメンではなく袋麺。
それをオーソドックスなデザインの丼に入れ、ヤカンのお湯を注いで蓋をし待つことしばし。
すると、いつも美味しそうなラーメンができあがった。

「あのラーメンの正体は何なんだろう・・・」
私は、小さな脳ミソをフル回転させて考えた。
それに該当するのは某社の某ラーメンしか思いつかなかった私は、そのラーメンを手に入れてつくってみた。
小池さんの作り方を思い出しながら慎重に。
そして、小さな胸をワクワクと膨らませながら、定められた時間を待った。

「ん?・・・」




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人殺し(公開コメント版)

2007-11-17 16:33:14 | Weblog
それは、ある日の夜のことだった。
「大至急!」
とのことで、私はその前に抱えていた現場を急いで終わらせて、その現場に急行した。

現場は閑静な住宅街に建つ賃貸マンション。
私を呼んだのは不動産管理会社の担当者。
先に電話で話していたこともあって、私達は挨拶もそこそこに本題に移った。

「まいりましたよ!こんなことされちゃって!」担当者は、怒りのぶつける相手を見つけたかのように私に向かってそう吠えた。

「よりによってコレですよ!コレ!」
担当者は、手の平を喉元に当てて顔を顰めた。

そのジェスチャーに愛想笑いの一つでも浮かべて頷けばよかったのかもしれないけど、予め自殺現場と分かっていた私は、黙ったまま返事をしなかった。
ただ、そんな私の心境にはお構いなしで、担当者は次々と質問を投げ掛けてきた。
どうも、こんな仕事を専業にしている私に興味を覚えたようだった。

「誰かがやってくれなきゃ困るとは言え、大変なお仕事ですね」
「まぁ・・・よく言われます」
「身体に着いたニオイはとれるものなんですか?」
「ユニフォームは普通に洗濯すれば大丈夫ですし、身体は風呂に入ればOKですよ」
「へぇ~、それはそうとしても、精神的にダメージを受けることはないですか?」
「精神的ダメージ?」
「ええ、私もこの現場でかなり気が重くなってますからね・・・貴方の場合は一件や二件じゃないじゃないですか」
「はぁ・・・なくはないですけど・・・その中身を説明するのは難しいですね・・・複雑すぎて」
「やっぱ、自殺だと違いますか?」
「ん゛ー、〝自殺だからどうこう〟というものじゃないんですよねぇ・・・」
「ふぅ~ん、そんなもんですかぁ」
「まぁ、生きてくことが決して楽なことじゃないことは、どの現場でも共通して感じますね」




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立って半畳・寝て六畳(後編) (公開コメント版)

2007-11-13 17:49:19 | Weblog
顔の表情からその中の感情を推察するのは難しい。
この現場に現れた大家の男性は、怒ったような表情をしていたが、実際はどうだかわからなかった。
とにかく、固い表情のまま私達に話し始めた。

このアパートは昭和30年代に建てられたもの。
当初の入居者は若い人ばかり、夢を持った学生や若い独身者で活気に溢れていた。
しかし、築年数が古くなるに従って、入居してくる年齢層も上昇。
近年は老人ホームにでもなったかのように、どの部屋も独居老人ばかりになった。
初老だった故人もそんな時期に入居してきた一人。
近隣ともうまく付き合い家賃もきちんと払っていた故人は、大家の心象もよかった。
それからしばらくの時が流れ、アパートは次第に空室が目立つようになってきた。
しかし、大家は、新たに入居者を募集することもなく、アパートを取り壊す算段を始めた。
そんな中で、故人は最後の住人になった。
そして、アパートは、故人が退去し次第に取り壊されることに決まった。




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立って半畳・寝て六畳(前編) (公開コメント版)

2007-11-09 16:36:39 | Weblog
「亡くなってから、そんなに時間は経ってなかったみたいですけど・・・」
依頼者の中年女性は、奥歯にモノが挟まったように話した。
そして、誰かに言い訳でもするかのように、プライベートな事情を話し始めた。
私は、何を尋ねる訳でもなく、受話器に向かって返事を繰り返すだけだった。

亡くなったのは、女性の父親。
故人は、長年に渡って独り暮しをしていた。
男の一人所帯で、しかも高齢の故人が不便な暮らしを強いられていたであろうことは容易に想像できた。
そしてまた、女性は、そんな父親をいつまでも放っておいたことに、後ろめたさを感じているようだった。

親が年老いたとはいえ、子が同居としなければならないものではないと思う。
現に、高齢者の独り暮しは珍しいことではない。
また、親子の間柄であっても、特段の用がないかぎりは連絡をとり合わないことも普通だろう。
そんな生活を続けていたって、〝子として薄情〟ということにはならないと思う。
そして、一般的な意識は、生活や身体のことばかりに向かって、孤独死の危険性・可能性にまでは及ばない。
だから、独居者の孤独死は誰のせいでもなく、天変地異に似た不可抗力的なものかもしれず、残された者が責められるべきことではないような気がする。




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秋の夜長に(公開コメント版)

2007-11-05 06:57:38 | Weblog
11月に入り、秋もめっきりと深まってきた。
気づけば、身の回りの樹々も色づき、道端には赤黄の落葉が舞っている。
その風情は、寂しくもあり心を癒してくれるものでもある。
特に、夕暮れ時には、その趣を一段と濃くする。
秋の夕暮れに、ホッとするものを感じるのは私だけではないだろう。

「この季節がずっと続けばいいのに・・・」
なんて、ついつい思ってしまうけど、春夏秋冬が巡るからこそ一つ一つの季節に味わいが生まれるというもの。
それを覚えると、夏の暑さも冬の寒さも少しは楽しめる。

また、季節の移り変わりは、時の経過をハッキリと感じさせてくれる。
そして、そのはかなさも。
春:桜、夏:花火、秋:紅葉、冬:雪・・・どれもはかない・・・しかし、どれも美しい。
そのはかなさが美しさを増す。
人の命もまたそうなのだろうと思う。





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一線(後編) (公開コメント版)

2007-11-01 10:17:37 | Weblog
腐乱死体現場の片付けをするのに、何か特別な資格や技能が要るわけではない。
国や自治体の許可がいるわけでもなく、遺族が自らの手でやっても何ら問題はない。

他人の手を借りれば借りるほどお金はかかる。
逆に、できるかぎりのことは自分達でやれば、その分費用は安くなるわけだから、この女性も、単にそうすればいいだけのことだったのかもしれない。
しかし、女性の苦悩を聞いた私は、そう簡単には突き放せなくなっていた。
そしてまた、父親宅の汚腐呂を泣きながら掃除する女性の姿を想像してしまい、いたたまれない気持ちになった。


「特掃って、やらされてできるような仕事じゃないな」
人間汚物と格闘していると、頻繁にそんな思いが頭を過ぎる。

私の場合は、人の指示では頭と体が素直に動かないし動こうとしない。
その目的が何であれ、どこかしらに自らの固い意志がないと勤まらない。
カッコいい言い方をすると、使命感・責任感・・・厳密に言うと切迫感かもしれないけど、まぁ、そんな類のものが必要。
決して好きでやってる仕事ではないけれど、自分が自分に率先していかないとやれない仕事なのである。




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