“生”と“死”は常に隣り合わせ、表裏一体。
病気、事件、事故、戦争、天災などで、日本や世界のあちらこちらで、毎日毎日、多くの命が失われている。
そして、それを伝えるニュースも日常に溢れている。
しかし、生きている我々は、“死”を縁遠いもののように錯覚している。
それが生存本能というヤツなのかもしれないし、そうしないと前向きに生きられないのかもしれない。
そうは言っても、“死”は、病人や高齢者だけにかぎったことではなく誰にでも訪れる。
ある日突然か、自分が想像しているより早いか、自分が覚悟しているより遅いか、たったそれだけの違いがあるだけで否が応でも。
一般的には、健康長寿をまっとうし、終活をキチンと済ませた上で“コロリ”と逝くのが理想と言えようか。
ただ、多くの人が思い知らされているように、人生なんてものは、そんな生易しいものではない。
人生はもちろん、死期も死に方も、なかなか思い通りにはいかない。
そんな荒道を、どれだけ頑張って、どれだけ辛抱して歩いていくか、そして、どれだけ真剣に最期に向かっていくか、それが“生”の課題なのかもしれない。
遺品整理の相談が入った。
声から判断するに、電話の主は老年の女性。
「身内が亡くなったので、部屋の家財を処分したい」とのこと。
そうなると、まずは、現地調査が必要。
その上で、見積金額と作業内容を提案することになる。
私は、そのことを説明し、私と女性 双方の都合を突き合わせて、現地調査の日時を定めた。
約束の日・・・続きはこちら