特殊清掃「戦う男たち」コメント公開

戦友の意見交換の場として公開しています。

真偽の痛み(事後編) (公開コメント版)

2008-01-29 08:13:16 | Weblog
「原因不明の異臭がするんですけど・・・」
不動産管理会社から、消臭消毒の依頼が入った。
消臭の場合、電話での質疑応答だけで事が足りることが少なくないので、私はそれを前提に話を聞いた。

「部屋のどこか、汚れ等ありますか?」
「いえ、しばらく前から空室で、ルームクリーニングも終わってますからきれいです」
「そうですかぁ・・・」
「時間が経てば消えるかと思って、しばらく様子をみてるんですが、なかなか消えなくて」
「ん゛ー・・・排水口か、配管か・・・」
「そういった類のニオイじゃないんです」
「ペットを飼ってたとか、ゴミを溜めてたとかは?」
「隠れてペットを飼ってたかどうかまでは把握してませんけど、内装は傷んでいませんでしたからきれい暮らしていたと思います」
「では、外から異臭が入ってることは?」
「いや~、考えにくいですね~」
「あとは・・・天井裏・壁裏・床下が不衛生な状態になってるとか・・・」
「そこまでは、わかりません」
「害虫・害獣の類かもしれませんね」
「・・・」
「ネズミの死骸が悪臭を放っているようなこともありますから」
「そうなんですかぁ!」
「とりあえず現場に伺ってみないと何とも言えない感じですね」
「はい・・・」



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二十年の壁・二十年の穴(後編) (公開コメント版)

2008-01-25 15:22:00 | Weblog
二十年という月日は、短くもあり長くもある。
それは、蘇る想い出によって変わってくる。
何はともあれ、子供を大人にし、若者を中年にし、中年を老人にするには充分の時間で、決して軽く流せることのできない時間であることに違いはない。

二十年前・・・私はまだ大学生だった。
社会的な責任も薄く、食べていくことのプレッシャーもなく、アルバイトに精をだし、勉学はそっちのけで楽しく過ごすことばかりに囚われて生きていたのを思い出す。

遡ると、後悔しきり。
「あの時、友達みたいに普通の企業に就職してたら、こんな苦しみを味わわなくて済んだかもなぁ」
なんて、どうしようもないことを考える。
もちろん、諦めきった空想なのだか、疲れて気分が落ちているときにはやりきれない思いに苛まれることもある。

普通の会社に就職していたら、土日祝祭日に休みがとれて盆暮・GWには長期休暇もある。
仕事の予定が立てられるから、人との約束も可能。
人に仕事の話をしたって、怖がられたり不気味がられたり、変人扱いされたり嫌悪されたりすることもないだろう。



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二十年の壁・二十年の穴(前編) (公開コメント版)

2008-01-21 08:56:44 | Weblog
一週間前の月曜日は成人の日だった。
その日、私は寒風が吹く中、都内某所で肉体労働に勤しんでいたのだが、通り過ぎる街々で羽織袴姿の青年や振袖姿の娘さん達をちらほらと見かけた。
そして、彼等・彼女等の輝く笑顔には、何とも微笑ましいものを感じた。
また、将来への夢や希望に満ち満ちて楽しそうにしている姿は、羨ましくも思えた。

その日は例年通り、各地で成人式や祝イベントが行われたようだ。
ハメを外して人に迷惑をかけたり警察の世話になったりする輩もいたようだが、他人にケツを拭いてもらってるうちはまだまだ子供だ。
二十歳にもなるのなら、そろそろそれに気づいてほしい・・・いや、気づくべきだ。

そんな新成人にも、これから色々な人生が待っている。
本意でも不本意でも、誰もが社会ピラミッドを形成するブロックの一つになるのだ。
〝自分流〟を誇示したところで、社会を構成する一員であることには違いない。
階層の固定化・下層社会が肥大化する中で、将来、少数の勝ち組に登るか、大多数の負け組に落ちるか・・・若いときの過ごし方が大きく左右する。
国のせい・景気のせい・学校のせい・親のせい・・・厳しい現実を・不安な未来を他人のせいにしてごまかしても、結局は全て自己責任。
豊作だろうが凶作だろうが、自分が蒔いた種は自分が刈り取ることになる。
這い上がれない自分を責めたって全てはあとの祭。
目の前にそびえ立つ壁を見上げて、疲れた溜息をつくしかないのである。



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虫の居所(公開コメント版)

2008-01-17 08:54:20 | Weblog
その昔、私が小学生だった頃、年一回くらい検便とギョウチュウ検査が実施されていた。
(今でもやってる?)
便秘気味だった私は、当日の朝に新鮮なウ○コを用意するのには苦痛をともなった。
トイレに新聞紙を敷いて、腸が飛び出さんばかりにふんばった記憶がある。

それでも、ヤツはなかなか顔をださない。
出したくないときに出たがるくせに、出さなきゃいけないときに出たがらない、まさにウ○コ野郎。
少年期の私は、そいつにどれだけ苦しめられただろうか。
その反動か?祟りか?、不本意ながら今では立派な?ウ○コ男に成長している。

そんな不幸に見舞われながらも、幸いなことに、私の腹からギョウチュウが見つかったことは一度もなかった。
ちなみに、〝ギョウチュウ検査で陽性がでた者は、容赦のないイジメに遭う〟という風説を聞いていたが、私の回りには虫を宿した者はおらず、そんな殺伐な雰囲気は一度も味わわなくて済んだ。

しかし、大人になった今、私は違う虫を抱えるようになってしまった。




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三角関係(後編) (公開コメント版)

2008-01-13 08:18:04 | Weblog
人間って、単純な動きをするわりには、そう単純な生き物ではない。
人と人とが信頼関係を構築するには、相当の時間と実績を要する。
しかし、それが壊れるのは一瞬。
そして、一度壊れた人間関係を修復させるのは、極めて困難。
表向きは修復できたように思えても、ほとんどの場合で何らかのシコリやキズ痕が残るもの。


泣く女性に比べたら、怒る女性の方がまだ扱いやすい。
しかし、この女性の怒りようは、私の身をたじろがせるものがあった。

電話をしてきた女性は、あのマンションの賃貸借契約を仲介した依頼者の友人。
それが、私が依頼者に話した現場状況に疑義を覚えて電話してきたのだった。

「無責任に大袈裟なこと言わないで下さい」
「はぁ・・・大袈裟なことを言ったつもりはありませんけど・・・」
「〝リフォーム工事が必要〟っておっしゃったんですって?」
「ええ・・・ただ、その理由もお話しましたけど」
「普通に生活したって、部屋が汚れることぐらいあるでしょ!?」
「そりゃまぁ・・・」
「血を吐いたくらいでリフォームが必要だなんて、私には納得がいきませんよ!」




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三角関係(前編) (公開コメント版)

2008-01-09 08:01:45 | Weblog
〝人は、三人集まると人間関係が発生する〟と言われる。
しかし、人が苦手な私の場合、人間関係を発生させるのに三人も必要ない。
二人で充分・・・イヤ、自分一人でも持て余す。
〝人は一人では生きていけない〟とわかってはいても、人間関係のしがらみに疲労する。
取り扱いがこんなに難しいなんて、人間って、単なる動物のようであっても、ただの動物ではないのだろう。

今回は、〝三角関係〟の話を書こうと思う。

「三角関係」と聞くと、どんなことが頭に浮かぶだろうか。
私の場合、まずは男女の愛憎関係が頭に浮かんでくる。
二股をかけたりかけられたり・・・嘘と詭弁で塗り固められた淫らな関係・・・。
ま、奥手で実直?な私には縁のない話だが。


現場は、見るからに高級そうなマンション。
建っている場所も一等地で、住環境としてのステイタス性は充分。
高級ホテル並のエントランスが無言の威厳を放っていた。




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厄介者(公開コメント版)

2008-01-05 08:09:56 | Weblog
年が明けて5日目ともなると年賀ムードもだいぶ薄まり、私にとって最も?厄介な時節が過ぎ去ろうとしている。
そこには、祭のあとに似た寂しさと、日常を取り戻せる安堵感がある。

毎年のことながら、私は新年早々から、厄介な電話ばかり受けている。
それは、死人系をはじめ、ゴミ系・動物系・遺品処理系と多種多様。
人の不幸を笑ってはいけないけど、仕事とは言え、正月祝賀の中でそんな会話ばかりしている自分が滑稽に思える。

一般的には、昨日が仕事始めだった人が多いのだろう。
また、今日は土曜なので、昨日を有給休暇にして連休を延ばしている人も少なくないかもね。
どちらにしろ、私には縁のない羨ましい世界のことだ。
しかし、連休明けの朝欝くらいは、私も共有できるかもしれない。
楽しかった休暇のあとの仕事は、誰にとってもツラいものだろうからね。
ま、その辺の厄介なことは一人一人が自分を乗り越えてクリアしていくしかない。




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月(公開コメント版)

2008-01-01 08:42:13 | Weblog
嬉しいとき・楽しいとき・悲しいとき・苦しいとき・・・見上げる空は、いつも私の味方。
どんなときも決して裏切らない。
今までに、何度も励まされ、癒され、支えられてきた。

冬の空は澄んでいる。
晴れた昼は遠くの景色まで見渡せる。
夜は無数の星が輝き、白い月が闇を照らす。

そんな星空は、自分が宇宙の塵に過ぎないことを教えてくれる。
月明かりは、自分の小ささを照らし出してくれる。


月が変わり、今日から2008年がスタートした。
世間はのんびりした祝賀ムードに包まれている。
普段の社会は殺伐とした空気に包まれているので、一年のうちでも正月の穏やかな雰囲気は貴重だ。
昨日に引き続いて、元旦の今日も現場仕事はなさそうで、私は完全に気を緩ませている。
いつ鳴るかわからない携帯電話は片時も手放せないけど、今日くらいはこのまま休みたいものだ。




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