特殊清掃「戦う男たち」コメント公開

戦友の意見交換の場として公開しています。

追憶  ~前編~(公開コメント版)

2011-04-29 08:49:05 | Weblog
最初の大地震からしばらく経つが、地震に関することが頭から離れない。
“しつこい”感もあるけど、文字を打とうとすると、どうしても頭に浮かんできてしまう。
巷に流れるニュースのせいか、やまない余震のせいか、起こったことが衝撃的すぎるせいか・・・
だから、こうして、ブログにも地震に関することを書き続けている。

復興に相当の時間と資金を要することは、政府の試算がなくとも容易に推察できる。
復興資金を確保するための増税案も検討されている様子。
多種多様の税金に囲まれて生活している者からするとゲンナリしてしまうけど、仕方がないとも思う。
納税は国民の義務であり責任だから。
それがないと公共の福祉が実現できず、その恩恵に与ることもできないのだから。
ただ、正直者がバカをみるような制度はやめてほしい。
所得をキチンと申告しない者や社会保険料や税金を納めないことを当然としている者からもキッチリ徴収してほしいと思う。

津波による瓦礫や残骸の片付けは少しずつ進んでいる様子。
映像からそれをうかがい知ることができ、小さな安堵感を覚える。
反して、片付けなければならない問題は増えているようにみえる。
失われた命を取り戻すことはできないし、長い苦難の道が待っているのだろうけど、とにかく、復興再建を目指して辛抱すべきことは辛抱するしかない・・・
離れたところでぬくぬくしている私がこんなことを言っても、「浅慮」「軽率」でしかないのだが、今は、辛抱に希望を見出すほかはないと思う。


続きはこちら

人は見かけによらぬもの?(公開コメント版)

2011-04-22 08:26:09 | Weblog
「人を見た目で判断してはいけない」
幼い頃、そんな教育を受けたおぼえがある。
拡大解釈すると、
「人は、見た目だけで判断することはできない」
となる。
更に、反対解釈すると、
「人は、見た目で判断できることもある」
となる。

私は、これまで体感してきた実社会においては、「人は外見で判断できる」といった場面に何度となく遭遇してきた。
そして、今は、“身だしなみ・ツラがまえ・物腰・言葉遣い・・・そういった外見で、その人に関するある程度のことは判断できる”といった考えを持つに至っている。
ちなみに、ここにいう“外見”とは、服や持ち物、顔かたちや背格好のことを指しているのではないので誤解なく。

人の品性や教養は、素行や嗜好、学問や交友関係によって養われ・蓄積されるもの。
批難を覚悟で言うけど、人の迷惑も省みず夜の街でバイクをブンブンやっている若者が一流大学に通っている風には見えないし、夜中のコンビニにたむろする金髪の青年が一流企業に勤めている風にも見えない。
(もちろん、この私が、一流企業のビジネスマンに見えることもないだろうけどね。)
そして、そんな人間に限って「人を外見で判断すんじゃねぇ!」とのたまい、品格と教養のなさを露呈させる。
逆もしかり。

続きはこちら

Reset ~後編~(公開コメント版)

2011-04-12 08:42:38 | Weblog
「ひょっとして、ゴミが溜まってるってことないですかね」
「え!?」
「“個人の自由”なのかもしれませんけど・・・」
「・・・」
「うちは小さい子供がいますし、隣があまりに不衛生だと気持ちが悪くて・・・」
「・・・」
「あと、火事も心配ですし・・・」
「・・・」
「前に、この人(依頼者男性)の部屋から大量のゴミがでてきたことがあって、ビックリしたことがあったんです」
「え!?」
「だから、“もしかしてまた?”と思いまして・・・」
「・・・」
女性の言葉に、私はいちいち動揺。
女性は、どうも、中がゴミ部屋になっていることをほぼ見通しているようだった。

個人のプライバシーに関わることを自分が積極的にバラすわけにはいかない。
しかし、状況的にみて、ことが表沙汰になることは避けられそうになく・・・
私は、「これで“近所にバレないように”って言われてもなぁ・・・」と、“トホホ・・・”な気分で、後のことを思案した。

毅然と断って気分を悪くされると、何かと厄介。
住民を敵に回すと、作業がやりにくくなるだけだから。
しかし、女性の要望は私の権限では聞き入れられない。
私は、弱りきった顔をつくって同情を誘い、商業道徳を盾に女性の要望をかわした。
そして、半強制的に会話を終わらせると、「バイバ~イ」と子供に手を振って女性の姿が完全に見えなくなるまで見送った。


続きはこちら

Reset ~前編~(公開コメント版)

2011-04-07 16:34:57 | Weblog
春。4月。
昨年より少し遅いが、東京には桜が咲き始めている。
青い空に薄桃色の花びらが眩しい。
今日、都内各所で新入生らしき子供達と正装した親達を見かけた。
桜と同じく、ピカピカの一年生も眩しく輝いている。
先に待っているのは幸せなことばかりではないだろうけど、子供たちには元気に正しく成長してもらいたい。
そして、短くも長い人生を、明るく歩いていってもらいたいと思う。

私が小学校にあがったのは、もう三十数年前のこと。
亡くなる直前の祖父が買ってくれた黒いランドセル、鉛筆を削ること、消しゴムのニオイ、何もかもが新鮮だった。
しかし、そられはとっくに過ぎ去った・・・遠い・遠い昔のこと。
「あの頃に戻れたら、人生をリセットできるのになぁ・・・」
そんな願望は歳を負うごとに増えるばかり・・・だけど、到底、かなえられるものではない。

「震災前に戻れたら・・・」
「夢であってほしい・・・」
子を亡くした親・・・
親を失った子供・・・
目の前で夫を流された妻・・・
妻を助けられなかった夫・・・
兄弟を、姉妹を、友人を、仲間を亡くした人々・・・
家を、財産を、仕事を失くした人々・・・
何十万・・・いや、それ以上の人々がそう思っていることだろう。
しかし、現実は、そんな人々の前に容赦なく立ちはだかっている。


続きはこちら

一粒の麦(公開コメント版)

2011-04-01 09:26:40 | Weblog
彼は、私の二つ年下。
「親友」と呼べるほどの間柄ではなかったかもしれない・・・
が、非一般的な価値観の一つの共有できる数少ない友人だった。

普段、舌の潤滑剤として酒を用いることが多い私。
当初、彼とも、シラフの状態では、うまくコミュニケーションをとることができなかった。
しかし、何度目かの話題が深いところで合致し、以降の付き合いにアルコールの力を借りる必要はなくなった。

彼は、酒も飲まず、タバコも吸わず。
もちろん、ギャンブルや女遊びもやらず。
根本的に私とは違うタイプの人間だったが、私は、自分の信条を表裏なく表すスタイルに共感を覚えていた。

彼が卒業した大学は、私ごときでは“背伸び”どころかハシゴを使っても届かないレベル。
勤務先は名の知れた大手企業。
ただ、私が勝手に羨ましがるだけで、彼が、それらを自慢することは一切なかった。


続きはこちら