私は、人間の性質について言及することがある。
あくまで個人的な自論であるとともに、自分自身にしか当てはまらないことも多いと思うけど、これについては、このブログでも多々触れている。
そのひとつに、「人には生まれもっての悪性がある」というものがある。
例えば、“ウソ”。
自分の子供にウソのつき方を教える親はまずいないだろう。
にも関わらず、子供はいつも間にかウソをつくことを覚える。
自分にとって都合の悪いことを隠し、自分にとって都合のいいように他人を欺く。
また、親は子供に、「他人のことは気にするな」「自分のことだけ大事にしろ」というスタンスの教育はしないだろう。
なのに、物心つく頃には、利己主義的思考をし、自己中心的な振る舞いをするようになる。
更に成長し、理性を持つようになってからも、悪い思いは、自分の中から次から次へと湧いてくる。
これらを、私は、「生まれもっての悪性」と呼んでいるのである。
しかし、本当に「ウソ=悪」と言い切れるだろうか。
経験を思い起こし、回りを見渡せば、「そんなことはない」と思う。
総論としてウソは“悪いこと”とされるけど、各論になると「悪いこと」とは言い切れなくなる。
ウソの善性・悪性は、それだけ曖昧。
良いウソと悪いウソは表裏一体。
その関係に明確な境界はない。
“ウソ”を考えることは面白い・・・けど難しい。
続きはこちら
あくまで個人的な自論であるとともに、自分自身にしか当てはまらないことも多いと思うけど、これについては、このブログでも多々触れている。
そのひとつに、「人には生まれもっての悪性がある」というものがある。
例えば、“ウソ”。
自分の子供にウソのつき方を教える親はまずいないだろう。
にも関わらず、子供はいつも間にかウソをつくことを覚える。
自分にとって都合の悪いことを隠し、自分にとって都合のいいように他人を欺く。
また、親は子供に、「他人のことは気にするな」「自分のことだけ大事にしろ」というスタンスの教育はしないだろう。
なのに、物心つく頃には、利己主義的思考をし、自己中心的な振る舞いをするようになる。
更に成長し、理性を持つようになってからも、悪い思いは、自分の中から次から次へと湧いてくる。
これらを、私は、「生まれもっての悪性」と呼んでいるのである。
しかし、本当に「ウソ=悪」と言い切れるだろうか。
経験を思い起こし、回りを見渡せば、「そんなことはない」と思う。
総論としてウソは“悪いこと”とされるけど、各論になると「悪いこと」とは言い切れなくなる。
ウソの善性・悪性は、それだけ曖昧。
良いウソと悪いウソは表裏一体。
その関係に明確な境界はない。
“ウソ”を考えることは面白い・・・けど難しい。
続きはこちら