特殊清掃「戦う男たち」コメント公開

戦友の意見交換の場として公開しています。

春待ち人(公開コメント版)

2014-04-02 08:08:19 | 自殺 事故 処理
暦は四月。
やっと春。もう春。
ついこの前まで極寒が続いていたのに、いきなりこの暖かさ。
車に乗っていると暑いくらい。
ともない、桜も満開。
宴会の予定はないけど、走る車窓から街々の桜を愛でている。

見慣れた景色に桜をみると、昨年の桜が昨日のことのよう。
「もう一年たったのか・・・」
歳のせいか、一年が過ぎるのがはやい。
当り前のように移ろう季節と、当り前じゃない自分の時間の重なりが、何とも不思議なことのように思えてくる。

まだ過去形にはできないけど、今年の冬も何かとツラい思いをした。
この性格・性質を否定し、自分の不甲斐なさと若い頃の薄慮を恨めしく思った。
それでも、そんな人間にも、こうして春は来た。
何の代償も、何の努力もなく、ただ待っただけで。



「飛び降り自殺が起こった」
「血まみれで、肉片も残っている」
「住民が気持ち悪がってるから、至急、片付けてほしい!」

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負け犬の遠吠え(公開コメント版)

2013-12-31 09:50:30 | 自殺 事故 処理
「お前は負け犬」
「お前のブログは負け犬の遠吠え」
時折、そんな声が聞こえる。
そして、それは、自分を見つめ直すきっかけを与えてくれる。

勝敗の判断基準をどこに置くかによると思うけど、私はそれを否定しない。
容姿、収入、学歴、職業etc・・・私は、金持ちでもなく、社会的に高地位についているわけでもない。
人から羨望されるようなこともない。
そういう面では、人との勝負にはほとんど負けている。
だから、一般的にみて、“負け犬”と思われても仕方がない。

また、私の話には、“きれいごと”とされやすいネタやネガティブな愚痴が多い。
常に、不平・不満・不安感に支配され、陰気クサイ雰囲気がプンプン。
こうして自分を卑下する自虐ネタも好きで、それが陰気臭さを倍増させているかもしれない。
このブログにしたって、読んで明るい気分になれることは少なく、どちらかというと神妙な気分になることのほうが多いのではないだろうか。

しかし、負け犬は負け犬でも、不戦敗ではないと思っている。
一応は、戦っているつもりである。
生きていること・生きることを当然のことと思い、生きるということはどういうことか・生きるためには何をしなければならないのかなんてことは何も考えず、生に対して無責任でいられた若い頃は戦いを避けて通り、不戦敗を続けてきたこともあった。
しかし、この仕事を始めてからは、それも減ってきたように思う。
そして、ときには善戦したこともあったように思う。
完敗ではなく惜敗だったことがあったかもしれない。
それらを経て、わずかながらでも、努力することと忍耐することが身についてきたように思える(この歳になって、“手遅れ”の感もあるけど)。

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夏の思い出(公開コメント版)

2013-10-28 13:16:51 | 自殺 事故 処理
今年の夏も暑かった!
今年の夏は暑かった!
毎年のこととはいえ、この暑さには多くの人が苦しめられたことだろう。
この私もその一人で、これまでは、基本的に車のエアコンは使わない主義できたのだが、さすがに今年の暑さは身体に堪え、時々、エアコンをつけてしのいだ。
また、間接的だけど、「ブログを半年放置する一因にもなった」と言えるかもしれない。

前にも書いたとおり、私は、単独行動が多い。
精神的に一人では難しいことを理由に肉体的に一人でできる作業を二人以上の人間でやるなんてことはしたくないし、“一人のほうが気楽でいい”といった理由もある。
ただ、一人で動いていて気をつけなければならないこともある。
そう、夏場の熱中症だ。

“風通しのいい特掃現場”ってまずない。
“風通しがいい”どころか、私が行く先は“風通しが悪いところ”・・・・・いや、“風を通してはいけない”ところばかり。
外部に悪臭や害虫をだしてはマズイため、部屋を閉め切らなければならないことがほとんどである。
そうなると、おのずと室温は下がらない。
下がらないどころか、外気より高いこともしばしば。
そんなサウナ状態で汚物と格闘しなくてはならないわけだから、その作業が過酷を極めるのは言うまでもない。

そんな状態では、こまめな休憩と水分補給が重要。
しかし、それがわかっていても、作業を始めるとそれを中断するのが面倒臭い。
その都度、汚れた手袋や靴を脱着するのも面倒だし、休憩を入れることによって気持ちが萎えてしまうことも厄介。
結果、かなりしんどくなるまでは、休憩をとらなかったりするわけ。
実は、これが危険。
熱中症は早め早めの対処が大事で、症状がではじめたときは手遅れだったりするから。

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ウソも方便(公開コメント版)

2012-02-15 07:53:56 | 自殺 事故 処理
私は、人間の性質について言及することがある。
あくまで個人的な自論であるとともに、自分自身にしか当てはまらないことも多いと思うけど、これについては、このブログでも多々触れている。

そのひとつに、「人には生まれもっての悪性がある」というものがある。
例えば、“ウソ”。
自分の子供にウソのつき方を教える親はまずいないだろう。
にも関わらず、子供はいつも間にかウソをつくことを覚える。
自分にとって都合の悪いことを隠し、自分にとって都合のいいように他人を欺く。
また、親は子供に、「他人のことは気にするな」「自分のことだけ大事にしろ」というスタンスの教育はしないだろう。
なのに、物心つく頃には、利己主義的思考をし、自己中心的な振る舞いをするようになる。
更に成長し、理性を持つようになってからも、悪い思いは、自分の中から次から次へと湧いてくる。
これらを、私は、「生まれもっての悪性」と呼んでいるのである。

しかし、本当に「ウソ=悪」と言い切れるだろうか。
経験を思い起こし、回りを見渡せば、「そんなことはない」と思う。
総論としてウソは“悪いこと”とされるけど、各論になると「悪いこと」とは言い切れなくなる。
ウソの善性・悪性は、それだけ曖昧。
良いウソと悪いウソは表裏一体。
その関係に明確な境界はない。

“ウソ”を考えることは面白い・・・けど難しい。

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