特殊清掃「戦う男たち」コメント公開

戦友の意見交換の場として公開しています。

ゆく年

2006-12-31 21:02:36 | Weblog
今日はとうとう大晦日。
2006年も今日でおしまいだ。
楽しいことより辛いことが多かったように思う今年だけど、過ぎてみると早いもんだ。
年齢も一つ重ねて、「オヤジ」「オジさん」と呼ばれるにはもう充分だ。

今日は、血の特掃と別現場の消臭消毒に行ってきた。
どちらの現場もリアルタイム過ぎるので、詳細を伝えるのは控えるが、私にとっては軽い現場だった。
特掃だけじゃなく消臭消毒も大事な仕事の一つ。
「消臭消毒」と一口に言っても、仕事としてはかなり難しい。
人間の腐乱臭は鼻に臭いだけじゃなく精神に悪いから。
それを片付けるには、錬磨したノウハウと根気が必要なのだ。

5月からだけど、ブログも結構書きまくった。
トータルで、180編くらいにはなるのだろうか。
「死」や「死体」だけをテーマに、よくもこんだけ好き勝手なことを書けるもんだと、我ながら呆れるやら苦笑するやら。

「人は、何故生まれてくるのか」
「人は、何故生きるのか」
「人は、何故生きなければならないのか」
「生きる意味って何なのか」
「自分とは?」
そんなことを考えながらの死体業生活である。
これらの問いには、人それぞれの答や解釈があるだろう。
そして、その真理を追い求めている人も少なくないだろう。

世の中や人生には、知らなくていい事・知らない方がいい事、考えなくていい事・考えない方がいい事があるように思う。
どうだろうか。

上記の問いにつき、時々そんな風に思うことがある。
「命とは?人生とは?自分とは?」
なんて考えたところで、私の場合はしんどい思いをするばかりだから。


本ブログの書き込みコメントに、「死ぬのはやめた」と書いてくれる人がいる。
そんな人達に対して「よかった・・・ありがとう」と安堵するのも事実だけど、私には「人助けをしている」「人を救っている」なんて思い上がった考えはない。
「人の役に立っている」なんて勘違いもない。

真実はその逆。
死にたい気持ちと戦いながら書かれたコメントに、私は生かされているのだ。
助けてもらっているのは私の方。
ブログを始めてから、もう何人もの人が生きる勇気を与えてくれた。

私は弱い人間だ。
日々、悩んだり落ち込んだりする。
他人からすると驚くような些細なことで、気分を沈ませることも多い。
そして、生きる価値・自分の存在価値を見出だせなくて苦しむ。
結果、心の闇に支配され、そこからなかなか這い出せなくなる。
この状況に陥ると、手に負えない。
生きていることそのものが、辛くて辛くてたまらない。

そんな私に向けて発信される生きるエネルギーに、私は支えられているのだ。
苦渋の中から搾り出される生きる決意が、私を闇から救ってくれる。
涙もろい私は、「ありがとう」と泣く。

人という文字は、人と人が支え合うかたちを表していると、よく言われる。
そんなこと、若い頃には気にもしなかったけど、この歳になって確かにそう思う。
少なくとも、この私は自分一人では自分を支えることはできないくらい無力だ。
このブログ(書き込み)により、随分と私は支えら救われているけど、結果的に誰かを支えていることもあるだろう。
この支え合いが、私達を人間にしてくれ、生かしてくれているのではないだろうか。

死を考える程ではなくても、人それぞれが色んな悩みや苦しみを抱えているはず。
自分一人で戦うのは辛いかもしれない。
でも、このブログを通じて人と人とが支え合い、生きるきっかけを共に享受できればいいと思う。

「今年も終わりか・・・」
仕事が終わって、着替えた特掃服をしみじみ眺めた。
特掃で浴びた故人の血が、ズボンに着いていた。
黒く乾いた血痕と自分の存在価値を重ねて思った。
「俺は・・・俺は生きるよ」

「特殊清掃 戦う男たち」を来年もヨロシク。
そして、2007年が私達にとって生きた年になることを祈る。




2006-12-28 14:50:48 | Weblog
朝夕の通勤電車に乗ると思うことがある。
みんな、疲れているように見える。
ひょっとして、疲れを通り越して病んでいるのかも。
特に、休み明けの月曜日にはブルーになる人が多いのではないだろうか。
電車への飛び込みも、月曜が一番多いらしいし。
そう考えると、正月休暇の後の仕事も、かなりキツそうだね。
年末年始休暇がない私は、その点では救われてるかも。



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まさか(後編)

2006-12-24 10:07:13 | Weblog
毎日、新しい朝を迎えられることが当たり前になっている私。
ただ、その日の仕事や天気・眠気などによって起床することが辛く思える日がほとんど。
気分が低滞していると「夜が明けなければいいのに・・・」とさえ思ってしまう。

しかし、世の中には朝を迎えたくてもそれが許されない人達がいる。
予期せずして朝が与えられない人達がいる。
また、いずれこの私もそういう日が来る。
死は必然だ。
「まさか」のことじゃない。



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まさか(中編)

2006-12-22 15:15:38 | Weblog
真夜中、一本の電話が入った。
就寝中だった私は、寝ボケたまま電話を取った。

夜遅い電話の場合は、「夜分にスイマセン」と言ってくれる人が多い。
その一言があるのとないのでは、目覚めの気分が全然違う。
しかし、この電話の主からは、その一言はなかった。
ただ、声のトーンや口調から、社交辞令が言えるほどの余裕もないことが伺えた。


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輝ける日々Ⅰ ~共に歩く~

2006-12-13 11:40:14 | Weblog
死は老若男女、全ての人に訪れる。
その人生はもちろん、寿命や死に様は人それぞれ。
しかし、死そのものは誰にも公平なものだ。

日本人の平均寿命が物語る通り、亡くなる人の大半は高齢者だ。
遺体処置業務の仕事が入ると、まずは故人の年齢が気になる。
変な言い方だが、高齢だと安堵に似た感情を覚える。
それが長寿であればあるほど、変なプレッシャーはなくなる。
「仕事だ」とドライに割り切っていても、やはり故人は長寿の人がいい。


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飽食の陰でⅡ

2006-12-11 09:19:33 | Weblog
および腰の遺族が、腐乱臭が漂う家に案内してくれた。
遺族は私に鍵を渡して後退。
私は、いつも通りに動揺を見せないようにして、事務的に玄関を開けた。
「きたな!」
濃い腐乱臭がモァ~ッと覆ってきた。
ハエがブンブンと飛び交う中、私は部屋の中へと進んだ。
汚染箇所は容易に発見できた。
「ありゃりゃー、ここかぁ」

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