特殊清掃「戦う男たち」コメント公開

戦友の意見交換の場として公開しています。

コラッ!(公開コメント版)

2007-12-31 08:55:07 | Weblog
今日は大晦日。
2007年も今日でおしまい。
また一つ歳をとり、また一年死に近づいた。

毎度毎度、同じセリフを吐くけど、過ぎてみると時の移り変わりは速いものだ。
気づいたら、明日から2008年なんだもんね。

今年も、たくさんの人が死んで逝った。
病気・老衰・事故・自殺・・・男も女も、老いも若きも、富んだ人も貧しい人も。
数が多すぎて一つ一つを思い出すことはできないけど、あちらこちらにドラマがあった。
作り物ではない、真実のドラマが。
揺れる感情と波打つ鼓動を伴いながら、そんなドラマに私も関わってきた。
色んな故人・色んな人ととの出会いと別れに、喜怒哀楽があった。
それがまた、私の人生に味わいを与え、私の人格を鍛練してくれているのだろう。

また、昨年にも増して、今年の仕事は精神的にも肉体的にも過酷だった。
休養する時間もロクに取れず、精神疲労と肉体疲労を蓄積したまま今日を迎えている。
これが年々度を増してくることを考えると、頭が痛い。
それでも、食べていくうえで仕事は必要不可欠なものだから、やれるだけやるしかない。



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それぞれの年の瀬(公開コメント版)

2007-12-27 16:19:01 | Weblog
毎年のことだが、X'masを前後してのこのシーズンはどこに行っても賑やかだ。
今年のX'masを楽しく過ごした人も多いと思う。
今年は、いい具合いに連休も重なったしね。

そう言う私は、連休もへったくれもない。
夏場に比べれば余裕があるものの、相変わらず現場を走り回っている。
この年末も、都心から郊外のあちこちに出没し、社会の陰部を黙々と片付けている。
ゆっくり休みがとれないのは残念だけど、それでも年末年始のお祭ムードを世間からおすそ分けしてもらって、ささやかな幸せを感じている。

それぞれの人が、それぞれの年の瀬を迎えているのだろう。


その現場の原状復帰を終えたのは、何年か前の年の瀬だった。
秋の特掃に始まって、最後の内装工事が終わる頃にはX'masの時期になっていた。

「あの時の両親は、今、どうしているだろうか・・・」
ふと、そんなことを考える・・・


「ふぅ~、今日の仕事はこれでおしまいだな」
ある年の秋の夕暮時、私は、昼間の汚仕事を終えて帰途中の車中で一息ついていた。
そんな中、出動要請が入ってきた。

「とにかく、すぐに来て下さい!」




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ねこみ(公開コメント版)

2007-12-23 17:31:40 | Weblog
年の瀬も押し迫り、寒さも厳しさを増してきた。
私が起床する時は、いつも外は暗く極寒。
布団から出るのがツラくてたまらない。
更に、私は重い朝欝症を抱えているので、朝の起床には一層ツラいものながある。

この時期は、外で酒を飲む機会が増える人が多いと思う。
こんな仕事をしている私でもそれなりに付き合いがあるので、12月に入ってから週に1~2回は外で飲んでいる。

若い頃は外で飲むのが大好きだったので、忘年会などにはイソイソと出掛けていた。
そして、無茶飲みしてはバカ騒ぎをしていた。
それが楽しかった。
しかし、ここ4~5年は外での飲み会に気がすすまなくなってきている。
気も身体も懐も疲れるせいだろう。
ネクラな私は、今は、自宅で静かに飲むのが断然よくなっている。
安く飲めるし、疲れたらそのまま寝ることもできるから極めて楽チンなのだ。




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ショートケーキ (公開コメント版)

2007-12-19 07:26:40 | Weblog
いきなり景気の話。
この世の中、〝景気がいい〟と言われだしてしばらく経つ。
しかし、自分にあてはめてもその実感はなく、回りにもその実情は見つからない。

もともと、景気の動向を肌で感じるような仕事でもないのだが、そんな中にあってもあちこちの現場から、この社会が段々と生きにくいものになってきていることを感じている。
中でも、ここ数年の間に、経済的な困窮と人間関係の希薄さ(孤独化)を強く感じる現場が増えてきたような気がする。

物価・税金・社会保険料etc・・・出ていくお金は増えていくばかり。
一方、好景気なんて〝どこ吹く風〟、入ってくるお金はそう簡単には増えていかない。
また、表裏と打算にまみれた人間関係からは人の真意が見えない。
身内でさえも関わり合いになるのは煩わく疲れるばかり。
だから、少々の寂しさよりも独りでいることの気楽さの方にウェイトを置く。

そんな〝貧乏独居〟が増えていく社会には明るい未来が描きにくく、それを思うと楽しい気分にはなれない。




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密室(完結編) (公開コメント版)

2007-12-15 08:13:58 | Weblog
部屋にたくさんのモノを溜め込む人の気持ちは分からないでもない。
私も中学~高校生の頃、自分の部屋にやたらとたくさんのモノを溜め込んだ時期があったから。

本音と建前を下手に使い分けて薄っぺらいきれい事を吐くばかり教師、支え合うフリをしながら足を引っ張り合うばかりの友達関係・・・それ以上に性根がひん曲がっていた(いる?)私は、つまらない学校生活にホトホト嫌気がさしていた。
そんな心は、いつも何かに飢え渇き、隙間だらけ・穴だらけ・・・何とも言えない淋しさがあった。
そんな私は、モノを溜め込むことによってそれを埋めようとしていたのかもしれない。

しかし、物理的なモノで心を満たそうとしても無理だった。
いくらモノを溜め込んでも、それは一時的に自分をごまかすことぐらいしかできず、心の隙間は一向に埋まらなかった・・・
それから二十余年、この年になってその術を見つけたものの、残念ながら実現には至っていない。





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密室(番外編) (公開コメント版)   

2007-12-11 15:55:25 | Weblog
日常の予定にしても人生の計画にしても、先々のことはなかなか自分の思い通りにはなってくれないもの。
予定通りに事が進まなかったり進路変更を余儀なくされたりする現実は、人生に常に付き纏う。
「人生は、思い通りにならないことの方が多い」と、開き直った方がいいくらいかもしれない。

しかし、先が見えないことは悪いことばかりではない。
例えば、自分の死亡日時が予めわかっていたら、何とも生きにくい。
充実した時間を過ごせるかもしれないけど、短絡的になる危険性も高い。
極端な自己中心的エゴイストとなって、生きた跡を汚したまま死んでいかなければならなくなるかもしれない。

「先がわからないから不安」
されど、
「先がわからないから生きていける」
人生は、予定通りにいかないから面白いのかもしれない。

ちょっと汚い話で恐縮なのだが・・・





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密室(後編) (公開コメント版)

2007-12-07 14:21:28 | Weblog
私は、死人が絡まない仕事もやる。
消臭、消毒、害虫駆除、内装工事、不要品処理etc・・・
その中で、ゴミの片付けも大事な仕事であり、私はゴミ屋敷の片付けも何度となくやってきた。

ゴミ屋敷に縁のない人には分からないかもしれないけど、その主は老若男女・色々な人がいる。

「どうやったらこうなるんだろう・・・」
「どうやって生活しているんだろう・・・」
ゴミ屋敷を目の当たりにする度にそう思う。
しかし、その半面で
「俺には理解し得ない事情や理由があるんだろうな・・・」
とも思う。
人生は、人それぞれ。
しかし、どちらにしろ、他人に迷惑をかけるのはよくない。
特に、賃貸住宅や集合住宅は住民相互の思いやりとルールを守ることが大切で、そのために自分の生活を制限したりやりたいことを我慢したりすることも必要だと思う。


その日から何日か過ぎたある日、私宛に一本の電話が入った。





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密室(中編) (公開コメント版)

2007-12-03 21:22:31 | Weblog
〝孤独死〟は、なにも独り暮しの人にだけ起こるものではない。
家族と同居している場合でも、トイレや浴室・自室等でひっそりと人知れず亡くなっているケースもあるのだ。
本blogでいくつか取り上げてきたように、私はその様な現場に何度となく遭遇してきた。

そんな現場の故人は、やはり高齢者が多い。
高齢・加齢に伴う肉体の衰えは誰にとってもやむを得ないことで、そんな人はちょっとした体調不良や気温・気圧の変化が命に関わることがある。
どうせ逝かなければならないのなら、長患いをせずにポックリ逝った方がいいのかもしれないけど、その後は直ちに発見してもらわないと色々とマズイことが起こる。

人の死は、何か特別な出来事であるかのように思われがちだが、実は至極自然な現象で意外なほどに呆気ないものである。
しかしながら、ピンピン生きている人やその家族にとっては想像だにできないものでもある。
だから、家族の中にいても孤独死は発生するのだ。



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