特殊清掃「戦う男たち」コメント公開

戦友の意見交換の場として公開しています。

一線(前編) (公開コメント版)

2007-10-29 18:26:32 | Weblog
たとえ、相手が若い女性であっても、私には越えられない一線がある・・・


特殊清掃撤去事業では、仕事の依頼が入ると事前に調査・見積をすることがほとんど。
それは、余程の遠隔地や凝った調査が必要な場合でないかぎり無料で出向く。
だからと言って、コストがかかっていない訳ではない。
移動交通費や人件費・時間コストは確実にかかるっている。
そのため、空振りのリスクを少しでも低減させるため、最初の電話の段階で、ある程度は話を詰めておくようにしている。
特に、お金に関係することは。


「掃除をお願いしたいのですが・・・」
ある日の夕方、そんな電話があった。
電話の主は若い女性、何かに怯えているような弱々しい声だった。




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親の愛、子の哀(公開コメント版)

2007-10-26 11:50:09 | Weblog
親が子を虐待する、親が子を捨てる、親が子を殺す・・・
世間の情報に疎い私の耳にも、そんな殺伐としたニュースは入ってくる。
そんな人間(親)には、強い嫌悪感や憤りの感情を覚えると同時に、人間が抱える陰の本性をみるような気がして、どうにも暗い気分になる。

その反面、私の仕事には、親の愛に気づかされる場面も多い。
「子供のためだったら死ねる」と言う親の姿を見るときだ。

人のために命を捧げるなんてことは、普通はできないこと。
それができるのは、余程のできた人間くらいだろう。
しかし、「自分の子供のためだったら・・・」と思う親は多いのではないだろうか。
それは、特段の人格者や偉人というわけではなく、ごく普通の人。
そんな人(親)には、強い敬意と憧れの感情を覚えると同時に、人間が抱える陽の本性をみるような気がして、気持ちが熱いくなる。

〝人のために自分の命をも惜しまない〟
そんな利他愛は、人間が持ち得る究極の愛かもしれない。
そして、自分以上に子供を愛する親の心に、究極の愛が宿るのかもしれないと思う。




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のんだくれ(後編) (公開コメント版)

2007-10-23 08:19:08 | Weblog
「ん゛ー、このニオイ、たまんないなぁ」
私は、慣れるに慣れない刺激的な香りに、進めかけた足を一時停止。
家の中はシーンの静まりかえり、人気のない薄暗さが私の緊張感を刺激してきた。

雑然とした室内は、この家が男性の一人所帯だったことを伝え、台所やリビングに転がる空缶・酒ボトルは故人の荒れた生活ぶりを示唆。
私は、散乱するゴミを横目に目当ての部屋へ向かった。

向かったのは二階の寝室、故人が倒れていたとされる部屋。
私の登場に驚いたのだろう、それまで静かに潜んでいたハエが一勢に飛行乱舞。
ハエの唸るような羽音は、私を脅すかのごとく耳に響鳴。
その不気味な重低音は、慣れた私でも鳥肌が立ちそうになるくらいだった。

それでも、私はハエが直接的に襲ってくるのもではないことを知っていたので、彼等には目もくれず窓に向かって直進。
そして、暗闇に明かりを入れるため、カーテンを一気にスライド。
と同時に、ザラザラザラザラ・・・と、無数の黒粒が床に落下。
窓辺には、外への脱出を望みながら息絶えたハエが無数に重なり合っており、その黒山がカーテンに連られて崩れたのだった。
それはまた、外の光に反射する緑色の黒体は、この部屋で起こった出来事を証言しているようでもあった。

「最期は苦しかったのかな・・・」
汚染は、ベッドと下の畳に半々に浸透。
その不自然な形状と畳に貼り着いた大量の頭髪が、故人の最期の苦しみを連想させた。




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のんだくれ(前編)  (公開コメント版)

2007-10-20 08:46:48 | Weblog
「んー、このニオイ、たまんないなぁ」
私は、鼻先にくる魅惑の香りに唾を飲んだ。
それは、ヨダレがでるくらいに芳醇な香・・・。

何のニオイかと言うと・・・酒。大好物のにごり酒。
この秋になって初めて飲むにごり酒の香に、私は魅了されたのだった。

晩酌だけが生き甲斐みたいになっている私は、自宅に酒の在庫がなくなると、妙な不安感・心細さに駈られる。
逆に、在庫が豊富にあると妙な安心感がある。
だから、在庫が底をつかないように気をつけている。

普段はビールやチューハイがほとんどだけど、寒くなってくると日本酒も飲みたくなる。
以前にも書いたように、その中でも、にごり酒は大の好物。
そして、この時季になると店頭でも多く目につくようになり、見ると無性に飲みたくなる。

私が若かった頃は、にごり酒というものは冬の酒だった。
しかし、流通も発達し、温度管理の技術も向上しているこの頃では、店頭に年柄年中でている。
それはそれでありがたいことだけど、季節に合った旬にこそ、その味わいも趣も本領を発揮するような気がして、何だかもったいない感がある。

「そろそろ買い足しとかないとマズイな」
つい先日、残りの酒が少なくなってきたので、買い出しに出掛けた。
出向いた先は、行きつけのディスカウント量販酒店。
そこには多種多様の酒が豊富に置いてあり、それは自然と私の気分を高揚させてくれた。




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別人 (公開コメント版)

2007-10-17 15:25:56 | Weblog
「別人に生まれ変わりたい」
「○歳の頃に戻りたい」
叶わぬ夢と知りつつも、そんな願望を持ったことがある人は多いのではないだろうか。
同時に、そんな妄想を楽しむ人も。

かく言うこの根暗もその一人。
健康・年齢・容姿・性別・地位・名誉・経済力etc
そんなことで他人を羨んだり他人に嫉妬したりしながら、自分の理想像をつくり上げていく。
そして、生まれ変わって別人になることを空想する。

格差社会云々が叫ばれるようになって久しい。
どの角度から眺めてみても下の方に位置している私は、どうあがいても負け組のエースで四番。
今更、別人には生まれ変われない現実に溜め息を漏らしながら、
「勝ち組にはなれないけど、負け組から抜け出す迂回路がどこかにあるんじゃないか」
と、光を求めて暗闇をさまよっている。
足りない能力・根性・努力を棚に上げて。



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あったかぞく(後編) (公開コメント版)

2007-10-14 10:27:07 | Weblog
仕事のせいか、もともとの性質か、私は毎日のように自分の死を考える。
日よっては恐怖し、また日によっては安堵しながら。
それと同時に、生きることの不思議さと夢幻性を強く感じる。
考えれば考えるほど、目に見えていること・耳に聞こえること・肌で感じること全てが夢や幻のように思えてくる。
・・・生きていることって、本当に不思議なことだ。

人が死ぬ確率は100%
それを証すかのように、毎日毎日、何人もの人が亡くなっている。
日本だけでも毎日何千人もの人が。
そして、それを待つ死人予備軍には、自分自身や身近な人達が含まれていることも紛れもない事実。
それをどう受け入れて消化するか、人生の課題である。





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あったかぞく(前編) (公開コメント版)

2007-10-11 08:24:08 | Weblog
このところ、夜が明ける時間が目に見えて遅くなっている。
それにも増して、夕方の暗くなる時間はもっと早くなっているような気がする。
秋の夕焼けは心に優しいけど、この先には暗くて寒い冬が待っていると思うと気が重い。


しばらく前の寒い季節のことだった。
あまりに前のことで、秋だったのか春だったのかよく憶えてないけど、凍えるほどの寒さではなかったので、真冬ではなかったと思う。
晩秋か初春の頃だっただろうか、そんな季節の出来事。

「遺体からの鼻から血がでて止まらない!何とかして!」
ある日の夕暮れ時、そんな呼び出しがあった。

訪問したのは郊外の一軒家。
急いで現場に向かったものの、私が到着する頃には辺りはとっくに暗くなっていた。

「こんな時間に呼び立ててすいません」
インターフォンを鳴らして玄関前に立つと、中年の男性がそう言って出迎えてくれた。
そして、スリッパをだして私を家の中に招き入れてくれた。

故人は奥の和室に寝かされ、その傍には二人の若い女性が寄り添っていた。
部屋には暑いくらいの暖房がつけられ、腐敗体液のニオイがモァ~ッと充満。
暖められた死臭は独特のニオイに変化し不快さを増していたが、遺族はそんなことは気にも留めていないようだった。



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ヒモ(後編) (公開コメント版)

2007-10-08 07:37:29 | Weblog
某社の辞書で「紐付き(俗)」を調べると、「情夫のある女」とでている。

〝ヒモつき〟と聞いて、どんな印象を持つだろうか。
私的には、〝男にとって都合のいい女性〟という印象が第一にくる。
次に〝男に対する精神的依存度が高い女性〟。
もっと言うと、〝男をダメにする女性〟という印象もある。

そんなことは私が言うまでもなく、実際の当人には分かっていることかもしれない。
ただ、
「感情が理性に従わない」
「別れた方がいいと思っていても別れられない」
そんなところか。

表現方法に問題があるかもしれないけど、ヒモを養うことはペットを飼うことに似たような感覚があるのかもしれない。
ペットは、経済的にも実務的にも生活を支えてくれることはない。
どちらかと言うとその逆で、お金も手間もかかる。
しかし、何故か心が必要とする。
満たし・癒し・支え・愛・情・支配・従順・・・心が欲しがるそんなモノがペットを飼うことによって得られるのかもしれない。
ヒモを養う理由にも同じようなことがあるのではないだろうか。
ま、飼われるペットも多いのだか、飼い主のエゴで捨てられるペットも少なくないのが皮肉なところだが。




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ヒモ(前編) (公開コメント版)

2007-10-05 06:50:02 | Weblog
某社の辞書で「紐(俗)」を調べると、次のようにでている。
「世間に知らせられない関係にある男性の愛人・情夫」

働けるのに働かない。
働く気もないのにその気があるフリをする。
いい歳をして、女性の脛をかじって生活している男を俗に〝ヒモ〟と言う。
その言葉の由来は知らないけど、その響きには何とも情けないものがある。

私の、今までの人間関係では、ヒモの知り合いはいなかった。
仮にいたとてもウマが合わなくて、友人はおろか知人関係にもならなかっただろう。
ただ、ヒモを養っている女性の知り合いは何人かいた。
狭い世界で生きている私でさえそんな女性の知り合いが何人かいたわけで、それに換算すると、世間にはヒモが膨大な数いるということになる。

男の私には、そんな女性の心理を深く知ることはできないけど、とにかく不思議で仕方がない。
どうも、一緒にいるメリットを明確に感じているわけではなさそうなのだ。
結婚しているわけもなく、子供がいるわけでもなく、すごく好きなわけでもなく、男の将来が有望なわけでもない。
〝別れた方がいい〟とわかっているのに、なかなか別れない。
そして、歳ばかりをとっていく・・・。

ヒモは、まともに働かない割には口だけは達者。
飲み食いは一人前、遊興も人並み以上。
女心を擽るセリフだけは流暢にでてくる。
デカい話とキレイ事は得意中の得意。
その口車に、女性はコロッとやられる。



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闇の中の人(公開コメント版)

2007-10-02 17:40:28 | Weblog
夜の暗闇って、不気味でもあるけど、考え方によっては妙に落ち着くものでもある。
顕著な例は、就寝時。
一日を終えて眠りに就くときの暗闇は、格別に落ち着く。
静かな暗闇の中に身を委ねると、一時的にでも生の苦労から解放されるから。

かつての私は、暗闇が大の苦手だった。
何か恐ろしいものが潜んでいるような気がして仕方なかったのだ。
その〝恐ろしいもの〟の終局にあるのは〝死〟。
暗闇は、死を象徴するものだから恐怖感を覚えていたのかもしれない。

でも、いつの頃からか私は暗闇をそんなに苦手にしなくなった。
精神が強くなっているのか神経が麻痺しているのか、または、〝死〟は無闇やたらに忌み嫌うべきものでもないことがわかってきたからか・・・そのハッキリした理由は自分でも分からない。


「急いで来てよ!」
電話をしてきたのは、不動産管理会社の担当者。
事の前後・脈略を無視して話を続ける様に、かなりの動揺と苛立ちが伺えた。

「警察の立ち入り許可はでてますか?」
「立ち入り許可?そんなのがいるの?」
「それがないと部屋に入れませんから・・・」
「そんなこと知らないよ!何とかしてよ!」
「とりあえず、警察に問い合わせてみて、それからまた連絡下さい」




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