菅義偉政権が、竹中平蔵のダミー政権であることは、すでに書いた。
菅は、中曽根康弘が日本社会に持ち込み、竹中平蔵が育てた、フリードマン流新自由主義によって、隅から隅まで日本社会を再編、支配する意思を示している。
その手始めに「中小企業再編」を言い始めている。
中小企業の3割が淘汰される? ~ 菅官房長官の中小企業基本法改正案はどこへ行く
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakamuratomohiko/20200914-00198171/
中小基本法、見直し着手 生産性向上へ再編促進―企業淘汰の懸念も 2020年09月22日
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020092100428&g=eco
https://www.youtube.com/watch?v=59yX_r1o2AM&ab_channel=%E3%80%8C%E6%96%B0%E3%80%8D%E7%B5%8C%E4%B8%96%E6%B8%88%E6%B0%91%E6%96%B0%E8%81%9E%E4%B8%89%E6%A9%8B%E8%B2%B4%E6%98%8E%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20200924/KT200923ETI090009000.php
要するに、資本金1億円以下の企業は、税制優遇措置があり、一人あたり生産性も低いので、景気の高揚に役立っていないから再編成させる。中小零細企業は潰してしまえ、という発想なのだが、戦後日本社会が、どのようなメカニズムで発展を遂げたのか、まるで理解力のない、短絡的、盲目的で軽薄すぎる絶望的アイデアである。
「日本社会はスケールメリット=でかければ有利という社会ではない」
「日本的」という独特の民族性、伝統は、細やかなオーダーメイドであり、生産性よりも消費側の利便性を細やかに追求して、品質を極限にまで高めることを価値としてきた社会なのだ。
だから、「労働者」という概念でくくるより、例え企業に勤めていても「職人」という概念がふさわしい。いわば、日本社会は表面上は企業社会であっても、中身は「職人社会」である。
「日本人」とは、どのような人々なのか?
https://www.youtube.com/watch?v=MIk0-ajKzU4&list=PLz8U2naGw3hqd2pZIJW3wCk26qeISOVgn&index=12&t=0s&ab_channel=%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88de%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB
https://www.youtube.com/watch?v=_eIdSkbre48&list=PLz8U2naGw3hqd2pZIJW3wCk26qeISOVgn&app=desktop&ab_channel=ToraNyan07
職人社会の価値は金儲けではない。「良い仕事をして、顧客に喜んでもらう」という発想こそ、人生最大の喜びとする価値観なのだ。
それを、菅義偉ら新自由主義者は、生産性と金儲けだけを価値と勘違いして、消費者に奉仕することを人生の価値としてきた職人労働者を追放しようとしている。
日本に「金儲けだけが正義」と決めつける「新自由主義」を持ち込んだのは中曽根康弘だが、それはユダヤ人、フリードマンが提唱した巨大企業の利権=金融資本主義が世界を支配するための段取りであった。
その思想は、「人間の自由とは、金儲けの自由」であり、それを規制する国家や貿易障壁を撤廃し、「市場原理」だけに委ねれば、何もかもうまくゆく、という妄想なのだが、この思想で最大の利益を得るのは、もちろんユダヤ系国際金融資本だけである。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO03462240Q6A610C1000000/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3
これを1980年代に、レーガン・中曽根・サッチャーの極右、金権三羽カラスが世界に拡大しようとした。
そして、日本では、「日本を金融国家(バクチ国家)にする!」と宣言した、小泉純一郎とハーバード・ユダヤ(ロックフェラー)に薫陶された竹中平蔵によって本格的に導入された。
結果、何が起きたか? といえば、竹中が「日本を格差社会にする」と宣言したとおり、労働者の半数近くが、雇用保障を奪われ、臨時雇用、派遣労働者に貶められ、正社員との間に、深刻な格差社会が成立した。
いわば、日本社会から平等と連帯が失われ、格差差別と序列社会が成立していったのだ。
人間にとって、一番大切なことは何か?
新自由主義者、フリードマンや竹中平蔵は「金儲けの自由」だという。だが、人情主義者である我々は違う。それは「人々が幸せになること」なのだ。
企業に勤めても、自営業をしていても、日本人がいつでも大切にする究極の幸せとは、つきあう相手の笑顔を見ることであり、顧客が喜ぶ顔を見ることである。
もし官義偉政権が進める、新自由主義による中小零細企業群の再編を行い、資本金1億円以上の、生産性だけを高めた企業が成立したなら、何が起きるのか?
それは、金儲けだけに血眼になり、労働者を生産奴隷としか見ない、人間性を見失った「金の亡者」ばかりの国が成立してしまう。
第一、日本の世界でもっとも優秀な、生産性以外の価値を見抜いた世界中の企業が、日本中小企業を買収しにやってくるはずだ。
やがて、日本中小企業の大半が、中国などの外国資本に支配される日がやってきて、日本的労働の価値観は、ドロドロに腐り落ちてしまい、行く末は、ウイグル人のように臓器を提供するための人間牧場のような絶望的存在に貶められるかもしれない。
我々は、長い歴史、鎌倉仏教による高い道徳心を教えられた日本人らしさを遠からず失ってしまい、それこそ「家畜人ヤプー」に貶められるかもしれないのいだ。
私は嫌だ! 私自身は、余命も少ないが、子供たちが、こんな愚かな人間(臓器)牧場に閉じ込められるような社会が来ることを、命をかけて阻止する!
間質肺炎になって、1円にもならないブログを書き続けているのも、そのためだ。
日本人は、差別のない人間関係のなかで、誰とでも対等に話し、相手の心に寄り添って、一緒に連帯して生きてゆく伝統的な日本社会を失ってはならない。
それは近代資本主義における工業化社会のなかですら、きめ細やかに相手のニーズに寄り添った職人としての心を失わないできた日本人のアイデンティティであり伝統であるといえるだろう。
新自由主義の対極に位置する「利他主義」こそ、日本人の本質である。
逆にいえば、新自由主義を導入した連中は、全員がユダヤ人であり、ゴールドマンサックスやモルガン、バイエル、ベクテル、カーギルなどの国際金融資本を背景としていて、徹底した利己主義を世界にまき散らすことで、民衆どうしを敵対させ、連帯を破壊し、ユダヤ金融資本だけが世界を支配する構図を作りたいのだ。
我々は新自由主義が求める利己主義社会に向かってはならない。それは、奴隷たちの間に格差と差別を持ち込み、互いにいがみあうことで真の敵、真の支配者を見失わせる知恵のあるやり方なのだ。
日本社会を支えてきたのは、生産性の高い大企業ではない。生産性は低いが、高い信頼性、技術力を持って、細やかに消費ニーズに対応してきた中小零細企業である。
もし菅義偉・竹中平蔵の方針を受け入れたなら、日本社会そのものが壊滅することを知るべきである。
菅は、中曽根康弘が日本社会に持ち込み、竹中平蔵が育てた、フリードマン流新自由主義によって、隅から隅まで日本社会を再編、支配する意思を示している。
その手始めに「中小企業再編」を言い始めている。
中小企業の3割が淘汰される? ~ 菅官房長官の中小企業基本法改正案はどこへ行く
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakamuratomohiko/20200914-00198171/
中小基本法、見直し着手 生産性向上へ再編促進―企業淘汰の懸念も 2020年09月22日
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020092100428&g=eco
https://www.youtube.com/watch?v=59yX_r1o2AM&ab_channel=%E3%80%8C%E6%96%B0%E3%80%8D%E7%B5%8C%E4%B8%96%E6%B8%88%E6%B0%91%E6%96%B0%E8%81%9E%E4%B8%89%E6%A9%8B%E8%B2%B4%E6%98%8E%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20200924/KT200923ETI090009000.php
要するに、資本金1億円以下の企業は、税制優遇措置があり、一人あたり生産性も低いので、景気の高揚に役立っていないから再編成させる。中小零細企業は潰してしまえ、という発想なのだが、戦後日本社会が、どのようなメカニズムで発展を遂げたのか、まるで理解力のない、短絡的、盲目的で軽薄すぎる絶望的アイデアである。
「日本社会はスケールメリット=でかければ有利という社会ではない」
「日本的」という独特の民族性、伝統は、細やかなオーダーメイドであり、生産性よりも消費側の利便性を細やかに追求して、品質を極限にまで高めることを価値としてきた社会なのだ。
だから、「労働者」という概念でくくるより、例え企業に勤めていても「職人」という概念がふさわしい。いわば、日本社会は表面上は企業社会であっても、中身は「職人社会」である。
「日本人」とは、どのような人々なのか?
https://www.youtube.com/watch?v=MIk0-ajKzU4&list=PLz8U2naGw3hqd2pZIJW3wCk26qeISOVgn&index=12&t=0s&ab_channel=%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88de%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB
https://www.youtube.com/watch?v=_eIdSkbre48&list=PLz8U2naGw3hqd2pZIJW3wCk26qeISOVgn&app=desktop&ab_channel=ToraNyan07
職人社会の価値は金儲けではない。「良い仕事をして、顧客に喜んでもらう」という発想こそ、人生最大の喜びとする価値観なのだ。
それを、菅義偉ら新自由主義者は、生産性と金儲けだけを価値と勘違いして、消費者に奉仕することを人生の価値としてきた職人労働者を追放しようとしている。
日本に「金儲けだけが正義」と決めつける「新自由主義」を持ち込んだのは中曽根康弘だが、それはユダヤ人、フリードマンが提唱した巨大企業の利権=金融資本主義が世界を支配するための段取りであった。
その思想は、「人間の自由とは、金儲けの自由」であり、それを規制する国家や貿易障壁を撤廃し、「市場原理」だけに委ねれば、何もかもうまくゆく、という妄想なのだが、この思想で最大の利益を得るのは、もちろんユダヤ系国際金融資本だけである。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO03462240Q6A610C1000000/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3
これを1980年代に、レーガン・中曽根・サッチャーの極右、金権三羽カラスが世界に拡大しようとした。
そして、日本では、「日本を金融国家(バクチ国家)にする!」と宣言した、小泉純一郎とハーバード・ユダヤ(ロックフェラー)に薫陶された竹中平蔵によって本格的に導入された。
結果、何が起きたか? といえば、竹中が「日本を格差社会にする」と宣言したとおり、労働者の半数近くが、雇用保障を奪われ、臨時雇用、派遣労働者に貶められ、正社員との間に、深刻な格差社会が成立した。
いわば、日本社会から平等と連帯が失われ、格差差別と序列社会が成立していったのだ。
人間にとって、一番大切なことは何か?
新自由主義者、フリードマンや竹中平蔵は「金儲けの自由」だという。だが、人情主義者である我々は違う。それは「人々が幸せになること」なのだ。
企業に勤めても、自営業をしていても、日本人がいつでも大切にする究極の幸せとは、つきあう相手の笑顔を見ることであり、顧客が喜ぶ顔を見ることである。
もし官義偉政権が進める、新自由主義による中小零細企業群の再編を行い、資本金1億円以上の、生産性だけを高めた企業が成立したなら、何が起きるのか?
それは、金儲けだけに血眼になり、労働者を生産奴隷としか見ない、人間性を見失った「金の亡者」ばかりの国が成立してしまう。
第一、日本の世界でもっとも優秀な、生産性以外の価値を見抜いた世界中の企業が、日本中小企業を買収しにやってくるはずだ。
やがて、日本中小企業の大半が、中国などの外国資本に支配される日がやってきて、日本的労働の価値観は、ドロドロに腐り落ちてしまい、行く末は、ウイグル人のように臓器を提供するための人間牧場のような絶望的存在に貶められるかもしれない。
我々は、長い歴史、鎌倉仏教による高い道徳心を教えられた日本人らしさを遠からず失ってしまい、それこそ「家畜人ヤプー」に貶められるかもしれないのいだ。
私は嫌だ! 私自身は、余命も少ないが、子供たちが、こんな愚かな人間(臓器)牧場に閉じ込められるような社会が来ることを、命をかけて阻止する!
間質肺炎になって、1円にもならないブログを書き続けているのも、そのためだ。
日本人は、差別のない人間関係のなかで、誰とでも対等に話し、相手の心に寄り添って、一緒に連帯して生きてゆく伝統的な日本社会を失ってはならない。
それは近代資本主義における工業化社会のなかですら、きめ細やかに相手のニーズに寄り添った職人としての心を失わないできた日本人のアイデンティティであり伝統であるといえるだろう。
新自由主義の対極に位置する「利他主義」こそ、日本人の本質である。
逆にいえば、新自由主義を導入した連中は、全員がユダヤ人であり、ゴールドマンサックスやモルガン、バイエル、ベクテル、カーギルなどの国際金融資本を背景としていて、徹底した利己主義を世界にまき散らすことで、民衆どうしを敵対させ、連帯を破壊し、ユダヤ金融資本だけが世界を支配する構図を作りたいのだ。
我々は新自由主義が求める利己主義社会に向かってはならない。それは、奴隷たちの間に格差と差別を持ち込み、互いにいがみあうことで真の敵、真の支配者を見失わせる知恵のあるやり方なのだ。
日本社会を支えてきたのは、生産性の高い大企業ではない。生産性は低いが、高い信頼性、技術力を持って、細やかに消費ニーズに対応してきた中小零細企業である。
もし菅義偉・竹中平蔵の方針を受け入れたなら、日本社会そのものが壊滅することを知るべきである。