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なぜ死刑制度に反対しなければならないのか?

2018年12月27日 | 未分類
 2人の死刑を執行、山下法相の就任後初 大阪の強盗殺人



https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181227-00000021-asahi-soci



法務省は27日、1988年に大阪府内で2人を殺害し、約1億円を奪ったとして強盗殺人罪などに問われ、死刑が確定した2人の男の死刑を大阪拘置所で執行した。

 山下貴司法相が会見して公表した。2018年に入ってからの執行者数は計15人となり、法務省が執行の事実や人数の公表を始めた1998年11月以降では、08年と並んで最多となった。



 死刑が執行されたのは、元暴力団幹部の岡本(旧姓・河村)啓三(60)と元投資顧問業の末森博也(67)の両死刑囚。弁護人によると、岡本死刑囚は再審請求中だった。弁護人は「再審についての裁判所の判断を待たずに執行したことに強く抗議する」と述べた。



 山下氏が10月に法相に就任してから、死刑執行は初めて。法務省は7月6日に元オウム真理教代表・松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚ら元教団幹部7人の死刑を執行し、同26日には、元教団幹部6人の死刑も執行していた。12年12月に第2次安倍政権ができてからの死刑執行は15回目で、計36人が執行されたことになる。同省によると、収容中の確定死刑囚はこれで109人となった。



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 安倍晋三政権では、2006年、第一次政権で23名、2012年からの第二次政権で、本日の執行を含めて36名、合計59名が、安倍晋三内閣の名前で殺害されたことになる。

 この数字は、戦後の政権のなかでダントツの数であり、他の政権では、せいぜい数名程度であった。安倍晋三という男は、まさに処刑の代名詞といえるほどだ。

 安倍は、死刑執行が生理的に好きでたまらないのだろう。こうした突出した死刑執行数こそ、安倍が正真正銘のサイコパスである事実を裏付けている。

 

http://karapaia.com/archives/52164745.html



 私は、サイコパスという、人の死が大好きな人間の観点から死刑制度を論ずるつもりはない。

 このブログでも、死刑制度について、数回書いている。



 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-422.html



http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-359.html



 私は、これまで、飽きるほど聞いてきた……誰もが口角泡を飛ばして言いたがる、「悪いやつだから殺せ!」とか「残された家族の復讐感情を汲み取れ」とかの軽薄の極致のような愚かな視点には興味がない。



 もっともらしいが、あまりにも知能の低い、愚かすぎる理由であって、未来への貢献が何一つない下劣な屁理屈である。

 芸能界には、この種の低知能で、復讐感情だけで生きているような愚か者がたくさんいて、とりわけ吉本系のお笑い芸人に多い。

 その場しのぎの笑いをとれればいいという、レベルの低い芸人が考えたがる理屈ばかりだ。



 代表的な屁理屈として、小薮やダウンタウン松本の思慮のまるでない軽薄すぎる意見を掲載してこう。「被害者遺族の感情」を引き合いにだしたがる連中の多くが、本当は遺族の心情など何一つ考えておらず、実は同情もしておらず、ただ、自分の復讐感情を正当化する目的だけで、「遺族感情」を知ろうともせずに、勝手な想像だけで利用しているのである。



https://www.youtube.com/watch?v=frigC0i6GdI



https://www.youtube.com/watch?v=2l09W5_Jt6c



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 本音を言えば、私は、もの凄く短気な人間で、実は、私に嫌がらせを書き込んで来る連中を残酷な方法で殺害したいと、いつでも思っているし、子供の頃から、私自身は、誰かを虐殺したことで死刑に処せられる予感があったのだ。

 私の最期は、死刑執行台だという予感を今でも持ち続けている。

 だから、私が誹謗中傷者の住所氏名を知ったなら、すぐに飛んでいって殺人犯になりかねないので、住所のたれ込みがあっても調べないようにしている。



 感情的な人間、短絡的で復讐大好きという点では、私も死刑賛成派の連中と何も変わらない。

 しかし、私は、ずいぶん昔、もう40年以上も前から死刑制度に反対するプロパガンダを行い続けてきた。

 既存のキリスト教関連団体やアムネスティあたりとは、意見が合わないので、いつでも一人で死刑廃止を訴えてきた。



 私に理論がなければ、やはり遺族感情なんて、実は自分が想像さえできない架空の屁理屈を引っ張り出して、死刑賛成に回ったかもしれない。

 今日の山下法相死刑についても、最初聞いたときは、「極悪人なら殺されても仕方ないか」なんて、通り一遍の感想を抱いたのだが、すぐに自分で打ち消した。



 私は、ここに死刑廃止を訴えねばならない理由があるのだ。



 それは、我々の生きている最高目的は、子供たちの未来を、良き社会に変えることだという明確な理念を持っているからである。

 このブログで、腐るほど書いてきたことだが、今の自分の人生を蓄財や権力で彩ろうとする発想は、利己主義の延長でしかなく、本当に愚かな人生観だと思うのだ。

 逆に、本当に有意義な人生があるとすれば、それは「未来に奉仕する」ことである。



 子供たちの未来を放射能や化学薬品に汚染されない、安全な環境を確保してやりたい。子供たちの未来を、互いに憎み合って人殺しを繰り返すような……中東で行われ続けているような……愚かな社会ではなく、人が人を愛して、憎悪せず、みんなが利他主義の下で助け合う社会にしてゆきたい。

 そんな理想社会にするために、死刑制度は廃止されなければならないと信じているのである。



 死刑制度の本質を一言でいえば、「復讐」あるいは報復、制裁という感情がふさわしいだろう。

 4000年前に中東で生み出された旧約聖書には、レビ記のなかに、たくさんの死刑が描かれていて、旧約聖書こそ報復制裁思想の根元であることがよくわかる。

 こんな旧約(トーラー)を人生や社会の規範として用いるなら、当然、社会は報復制裁を原理とする社会になり、まさに、たった今起きている中東の残酷な殺戮社会になってしまうのである。



 人類は、旧約聖書の報復思想を克服しない限り、決して前には進めず、殺戮社会が消えることもない。この旧約聖書を信奉している地球人口は、約半分の30億人以上である。

 旧約に影響を受けた儒教や神道を含めれば、優に50億人を超すだろう。

 死刑制度との戦いは、実は旧約聖書思想との戦いなのである。



 死刑制度の本質は、「権力に従わない者に死を」であり、人々を、死の恐怖で恫喝して、無理矢理、同調圧力を加えることである。

 社会全体に、権力に都合のよいスタンダード人生を設けて、外れた者を「異端者」と決めつけ、社会から排除、すなわち死刑に処するという発想こそが、死刑の正体であり、これは、社会のために行われるのではなく、権力者の統治のために行われるのである。



 この理屈を正当化するため、権力者たちは、庶民の憎悪感情を利用するのが普通である。

 権力者の本当の狙いは、政権あるいは国家権力に対する脅威を、死刑制度で恫喝し、犯権力的立場の者を、さまざまな名目で死刑に処して社会から追放することである。

 しかし、反権力側が正義の立場に立っていると、処刑弾圧に対し民衆が怒るので、普段から、民衆に不利益をもたらす者、殺人事件なんかを犯した者を、「権力が庶民に代わって裁き、殺害する仕組み」として宣伝する死刑制度を作り出しているのだ。



 あたかも死刑制度が民衆の味方であるかのようなデマを作って正当化するわけだ。

 こんな仕組みにコロッと騙されて、死刑制度が民衆生活に必要であるかのように騙されてしまっている者が、世界の自称先進国のなかで、日本に際立って多い。これは、私は、神道が旧約の思想から影響を受けているせいだと考えている。



 世界の死刑廃止国は、約200ヶ国中、140カ国を超え、先進国で、死刑制度を完全に残しているのは日本だけといってもよい。存置国といわれるアメリカでも多くの州が廃止している。



 https://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/death_penalty/



 日本は、世界に恥ずべき非人道国家である。他の大国では、中国くらいで、世界の独裁国家、アフリカの独裁諸国や北朝鮮などと同列の、愚かな国なのである。

 死刑大好きな日本政府に、中国や北朝鮮を人道問題に非難する資格など、どこにあるのだ!



 先進国の多くが死刑廃止を実現している理由は何か?



 それは、人道上という曖昧な概念では実はない。死刑という制度が、人々の復讐心の上に作られることは、すでに書いた。

 「悪いことをすれば殺される」

 これを社会の規範にすることは、人々を死の恐怖で恫喝する社会を作ることであり、子供たちの精神衛生にとって、この上ない悪影響をもたらす思想なのである。



 すなわち、ほとんどの先進国が、短絡的な復讐制裁感情の上に作られる報復死刑という発想が、未来を論理的に作り出す、「理性の思想」と相容れない、愚かな劣った発想であることを理解しているからなのである。

 これが理解できないのは、日本と、アメリカの一部、そして地球上の独裁国家だけなのだ。



 つまり、日本という国は、理性の国家ではない。子供のような感情の国家であると世界に示しているのである。

 国家は感情ではなく、理性に従って定められなければならない。これは、世界の先進国の常識といってよい。

 だから「被害者の感情」なんて、馬鹿げた、自分でさえ理解できない理屈を持ち出す者たちは、理性の存在しない、感情だけの愚か者なのである。



 国家の未来を、理性に委ねるのか、それとも感情に委ねるのか?

 これが、日本社会に問われているのだが、今の日本国民の回答は、9割が感情に委ねる、つまり被害者の復讐感情を大切にし、これによって子供たちの未来が汚れても構わないと言っているのである。

 

 もう一度言う! 国家は理性に委ねられなければならない。子供たちの未来を復讐のような愚かな感情で汚してはならないのだ。  



ネトウヨたちの恐ろしい運命  こそこそと身元を隠して、他人を嘲笑、批判することが何をもたらすか?

2018年12月26日 | 未分類
 若者たちのネトウヨ化が指摘されて久しいが、この傾向が現れたのは、私の記憶によれば、2000年前後で、パソコンが子供たちに普及し、ネットゲームが隆盛を極めてからのことで、どうみても、若者たちは、ネットゲームで、哲学もなく他人を無意味に攻撃する面白さだけに洗脳されたせいで、物事の連関や哲学を考えられない若者たちを大量に出現させたのだと私は思う。



 「人を攻撃すること」

 ゲームの世界では、人を攻撃するのに、いちいち理由を考えない。ただ、定められた敵を倒して、一定の果実を得ることがゲームの勝者なのであり、そこには、「何のために」という行動の前提になる哲学が存在しない。



 また、攻撃主体としての自分も匿名化され、一切の前提が排除され、関連する、あらゆる現象と切り離された特定のミッションだけに対すればいいように設計されている。

 つまり、面倒なことは何も考えず、相手を殺す技能だけに特化すればいい仕組みであり、自分なすこと、なしたことが何をもたらすのか? もたらしたのか? を考える機会は存在しない。



 自分は匿名であり架空の存在なので、一切の責任を負う必要はなく、やりたい放題、人殺しをして、社会を破壊できる。

 殺人も強姦も、人権侵害も、ゲームのなかでは自由であり、やがてゲームの世界と現実を勘違いしてしまう若者たちを大量に生みださざるをえない。

 こんな、恐ろしく誤った、極度に底の浅い、軽薄さをもたらす思考様式だけを訓練された若者が、もの凄い数、ゲームによって洗脳されてしまったことに気づく必要がある。

 これは、とてつもない恐ろしい結果なのだ。



 パソコンゲームは、「匿名で他人を攻撃する喜び」だけを訓練された異常者を大量に作り出した。

 彼らは、攻撃がもたらす、一切の関連現象に責任を負わず、自分が倒した相手に家族がいて友人がいて、苦悩が待ち構えていることなど、何の興味もない。

 また、戦争や戦闘が、どのような理由で始まるのかも考えないから、それが持っている社会学的、哲学的意味にも何の興味も持てない。

 自分が、反撃を受けない安全地帯に立って、相手に苦しみを与えることだけが許されているのである。



 私たちの子供のころは、ものごとの発生から顛末まで、すべての経過を自分の目や体で感じながら眺めることができたので、さまざまなことを考え、思い知らされる機会があった。

 また、あらゆる行動に、安全地帯など存在せず、なしたことの反作用が自分にまともに返ってくる世界だったし、自分のやったことは、自分で責任を取らねばならなかったし、匿名も許されず、自分の名前に自分の人生の責任がかかってきた。

 これがバーチャルとは無縁の、本当の世界の法則だったのだ。



 だが、ゲーム世界は、まるで違う。現実の存在から、いきなり夢の世界に逃避することができて、一定のリアリズムを味わって、非現実的な経験を積んでゆくのだ。

 考えてみれば、これはとてつもなく恐ろしいことである。なぜなら、非現実空間ではあっても、制限されたリアリズムのかで、自分は自由に行動し、バーチャルな世界での実在経験が積み重なることで、ゲーム世界と、現実世界の境界が不鮮明になってゆき、取り違えてしまう若者たちが大量に出現することを意味しているからだ。



 そうして、現実とバーチャルを取り違えて錯覚させられた若者たちが、「国を守る」なんて虚構の命題を与えられて、「平和憲法なんて無用の長物であり、敵国である中国、北朝鮮を攻撃できる武力を持つのは当然のことだ」なんて、ゲームのなかで体験した論理を、現実世界のなかでも適用できると勘違いさせられて、自民党を支持するようになる。



 また、ゲームのなかでは、自分は、いつでも無責任な匿名の存在であり、それが当然と思い込んだ若者たちが、こそこそ身元を隠して、匿名で、ネット情報のなかで、悪意に満ちた軽薄な攻撃を繰り返すようになるのである。

 そこには、個人名の上に批判に晒されて琢磨され淘汰された自分の哲学など必要ない。ただ面白ければいいのであり、一時的に快楽を得られれば、それで十分であり、後に批判に晒されることがないのだから、どんなメチャクチャな屁理屈を展開しても、批判されることもないし、後悔することもない。



 ネトウヨという集団は、このようにして生まれてきたと考えるのが自然であろう。

 だから、ネトウヨの身元が隠せずに個人名が明らかになれば、たちまち、彼らは自分の論理の薄っぺらさに自家中毒を起こして精神的に破綻を来す以外にない。

 このブログにも、毎日大量の嫌がらせコメントが書き込まれるが、これも、身元=氏名住所が明らかになれば、彼らは、あわてふためいて臆病に逃げ回ることしかできないのである。



 もちろん、身元が明らかになれば、私は大喜びして、個人名で激しく報復的に批判を始めるのが当然のことで、個人の身元など、実は隠しきれない、必ず暴かれる日がやってくる。

 今でも、彼らのIPから身元を割り出すのは簡単だが、名誉毀損などの賠償額が100~200万円程度に比べて、IP検索専門の弁護士に支払う70万円を相殺すると、儲けが少ないのでやめているだけだ。



 私は、自分の論理的正当性に自身があるから、どんな批判にも真正面から受け答える。もちろん、相手がこそこそ身元を隠していない限りという条件付きであるが。

 ネトウヨ諸君は、どうだろうか? 本当に自分の哲学的立場から、私を批判してきたものなど絶無だろう。自民党青年部あたりが、反原発スピーカを批判すれば中国の五毛党のよに、なにがしの金を出しているので、はした金のアルバイトをしているあたりが関の山であろう。



 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-18347.html



 私を攻撃してくるネトウヨの大半もまた、おそらくパソコンゲームに洗脳されて、バーチャルと現実の世界を混同している連中だろう。

 しかし、こんなことをやっていると、必ず癖が身について、周囲にいるすべての人を嘲笑し、小馬鹿にし、攻撃するようになるのである。

 ゆえに、他人を攻撃する癖をつけてしまった者たちは不幸だ。生涯、誰からも蛇蝎のように嫌悪され、他人に対する優しさを見失い、人を愛せなくなってしまう。



 だから、釈迦が指摘したように、「人生とは与えたものが還ってくるプロセス」すなわち「因果応報」という法則を死ぬまで理解できず、自分は他人に秀でた存在で、他人に対して、理不尽な攻撃をしても許されると勘違いしたまま、周囲から激しく疎外される気の毒な人生を送らねばならなくなってしまうのだ。



 もう一度書いておくが、本当の人生は、ゲームの世界ではない。それは、あらゆる現象が、別の現象を生み出していて、すべての事象が、関連を持っているのであり、自分が行ったイベント、例えば「他人を嘲笑する」という行為を行ってしまったら、その結果は、自分がすべての責任を負わねばならない。



 ネットの世界では、こそこそ身元を隠せるかもしれないが、それも一時的なもので、やがて、いつかは身元がばれるし、何よりも恐ろしい問題は、「癖がつく」ということである。

 どんなに、自分が責任を負わなくてすむように、こそこそと身元を隠して逃げて回っていても、直接攻撃した相手ではなく。「癖がつく」ことで、別の他人にも同じように攻撃してしまい、いつかは、あらゆる責任を自分の人生すべてで負わされるときがくるのである。

 

 米軍は、ゲームの得意な若者を総動員して、バーチャル兵士に仕立て、ディスプレイの画面上で、敵を攻撃するような戦争を行っている。

 兵士たちは、直接、自分の手で人殺しをするわけではないから、ゲームと何一つ変わらないし、罪の意識は生まれない。

 おまけにディスプレイの置かれた空間は戦場から遠い安全地帯だ。



 しかし、バーチャルな戦争のように見えながら、これは現実の戦争であり、兵士の行為によって、本当に人が死に、恐ろしい苦悩が再生産され、憎悪が世界を支配してゆくのだ。

 これで、バーチャル兵士たちは、本当に責任を問われず、攻撃もされない安全地帯に居続けることができるだろうか?



 私は、そうは思わない。

 人の死という取り返しのつかない行為に、自らの手を汚したという意味では、エノラゲイの乗員が広島に原爆を落とした犯罪と何一つ変わらない。

 その蒔かれた種から生み出された、膨大な悪魔たちを刈り取る責任は、必ず還ってくる。

 これが「因果応報」という、人生と社会、宇宙の最大法則である。



 



双葉町、2011年3月11日のこと

2018年12月25日 | 未分類
 もう、これは、全文引用するしかない。

http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/692.html



11日の夜は避難所支援などに徹夜で対応する。そして翌早朝、政府からの避難指示が出る。井戸川さんが防災無線のマイクの前に立ったのは12日午前5時44分のことだ。



「第一声は、“町民の皆さん、ただ今、福島第1原発で地震による事故が発生しました”でした。官邸から海岸から半径10キロ以内に避難指示が出されたので、町民に“急いで避難してください。避難先は川俣町です”と呼びかけた。ですが、絶望感と悔しさで涙が出てきて声が詰まってしまった。双葉町のほぼ全域が10キロ圏でしたから……。



 実は、後で分かったことですが、11日の夜9時すぎには、東電の社員も家族もだれ一人双葉町に残っていなかった。いち早く社宅を出て、役場にいた社員も黙って消え去りました。そういう会社ですよ、東電は。現在、どこかで何食わぬ顔をして生きているんでしょうけど、ひどい話ですッ」



 3月12日の昼。役場の南側の窓に設置していた線量計の針が振り切れたという。1号機のベント放出があった時刻だ。



「役場に頭から足まで隠した真っ白のフル装備の警察官が近寄ってきて、私に耳打ちしました。“町長、限界ですよ”と。官邸や東電からは断片的な情報しか入らず、唯一警察官からもたらされたひと言が命を守る情報でした。私は6人の職員と一緒に、12日午後2時をもって最終退避命令を出したんです。そして、午後3時36分。私は双葉町福祉施設がある現場で、忌まわしい光景を目にしたんです。



まず、ド~ンという地響きのような音。1号機の爆発音でした。その4、5分後に空からぼたん雪のようなフワフワした断熱材が静かに駐車場に舞い降りた。警察官や自衛隊員、バスの運転手ら約300人が見たんですよ。あの時、“これで死ぬな”って思いました」



 この情報は政府も県も無視。官邸は原発事故後、「ただちに影響はない」とも発表。井戸川さんたちの声はかき消された。



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 私は、このことを思い出すたびに、東電と民主党政府に対する怒りが全身にこみ上げてくる。

 当時の民主党菅直人政権は、4基もの原発が放射能を放出するという人類史上最悪の放射能環境汚染事故に対して、ソ連が講じたような強制避難措置を一切行わなかったばかりか、総理補佐官として、枝野官房長とともに事故対応にあたった細野豪志は、佐藤雄平福島県知事と共謀して、SPEEDIのデータを隠蔽したことで、もっとも深刻な汚染方向であった飯舘村方面に逃げていった人々をひどく被曝させた。



 https://blog.goo.ne.jp/chiba20110507/e/8eb04815333f1029ad41a7cf376d159c



 このとき、東電の幹部職員たちは、所長や現場作業員だけを残して、福島第一原発から真っ先に逃げ出していた。

 「東電一家」といわれるメンバーと家族だけが、住民にも一切知らせずに真っ先に安全地帯である新潟県や山形県に向かって逃げ出していたのだ。



 福島医大の事情を知る医師たちや、佐藤雄平ら福島県幹部職員の家族も逃げた。

 だが住民には、放射能被曝による凄まじい危険性さえ伝えられず、双葉病院の患者など、50名が介護放棄や放射能で殺害された。

 一ヶ月後には、大熊町で、千に迫る非震災死の放射能汚染された未回収の遺体が報道された。

 https://www.j-cast.com/tv/2011/12/02115102.html?p=all



http://www.asyura2.com/11/genpatu8/msg/286.html



 民主党政権を信じて、飯舘村方面に避難した者たちは、今、心筋梗塞による突然死や被曝誘発癌に苦しんでいる。

 2014年以降、福島県の心不全死発症率は日本一を続けている。



http://www.asyura2.com/14/genpatu39/msg/898.html



 私は、なぜ、当時の菅政権が、汚染地の住民を避難させなかったか、いろいろ調べてゆくうちに、当時の民主党政権に対して、東電や東電労組=原子力村が莫大な資金を提供していたこと。

 それに菅直人首相が、原子力村の代理人として、ベトナムとトルコへの原発輸出活動を行っていたこと、など、日本政府と民主党政権が、原子力村への依存を極めて強く持っていた事実に行き当たった。



http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201110270777.html

(この記事が、2011年10月末であることに注目してほしい。菅直人は、フクイチ事故を反省していないのだ。)



 もちろん、自民党が政権を運営していれば、もっと、桁違いに悪質な被曝隠蔽工作を行って莫大な死者を出していたことは確実だろうし、東電への賠償要求を税金で肩代わりさせる露骨な東電優遇政策を行ったことは間違いないことで、それに比べれば、民主党政権がマシだったといえないこともないのだが、問題は、事故から半年も経たないうちに、当時の枝野幹事長が、これ以上原発推進政策を続けることにビビリはじめた菅直人に対して、原発輸出と推進を続けるよう圧力をかけていた事実である。



 以下のニュースは2011年7月の報道である。



 https://getnews.jp/archives/129939/gate



 つまり、枝野は、フクイチ事故後も、自身の原発推進政策を反省したそぶりがまったくない。以降、枝野が党首となって、立憲君主党が結成された2017年に至るまで、枝野が、原子力村との癒着、原発推進政策を自己批判した経緯は、まったく存在しなかった。

 このことで、2011年、枝野民主党幹事長が、福島に出かけて「原発事故は、ただちに危険はない」と吹聴しまくり、住民を緊急避難させなかった事情の意味が強く浮き彫りになるのである。



 つまり、立憲民主党は、今でも原発推進派であると推認することができる。そもそも、民主党が強力に原発輸出を推進したのは、支持母体の東電労組などに財布を依存していたからで、日本の原子力村は、野党勢力である民主党や維新など他の政党も含めて資金面から取り込んでいた。



 社民党も、1990年代の村山内閣における原発容認の大転換を、まったく反省せず、批判もしていないことから、必ずしも強力な原発阻止勢力にはなりえない。

 また、日本共産党もエートスを容認していて、50年代、六全協時代の「社会主義国の核兵器や原発は正しい核」という方針を、いまだに自己否定していない。



 これらは、いまだに日本国内に、本当の反原発勢力が育っていないことを意味していて、私だって立憲民主党が野党として、断固として、民主主義=子供たちの未来=持続可能な未来を生み出す勢力になってほしいのだが、上に述べた事実があって、原発推進を自己批判していない事情から、彼らに期待するのは不可能であると結論するしかない。



 昨日書いたブログで、私は「知の放棄」という問題提起をしたのだが、上に述べたように、日本の野党も、すべて原発に関しては「知の放棄」を行ったままである。

 こうして、私が「みんなの希望の星」である立憲民主党をも批判していることから、実は、左寄りの市民勢力からも胡散臭がられていることを知っている。

 だが、私は自分を曲げるつもりはない。フクイチ原発事故は、日本社会の未来を地獄に貶めるのであり、子供たちの未来を正しく保全しよう、限りある資源と限りある環境のなかで、ギリギリの綱渡りのような人生を強いられるにちがいない、子供たちの未来を安全に確保しようとする者たちだけが、原発=核兵器=核汚染を否定し、拒否し、核のない未来を作ろうとする者たちだけが、正しい道標なのである。



 残念ながら、この意味で、立憲民主党も社民党も、小沢党も共産党も信じることはできない。もちろん右派系の維新や希望などは、もってのほかである。

 これまでの反原発市民団体でさえ、信用できない。

 高木氏亡き後の原子力情報資料室など、本当にひどいものだ。前世紀おける反原発市民運動をリードしてきたグループも、今ではエートスを容認する人々が続出している。



 こうなってくると、本当に放射能被曝の危険性を共有できる人たちは、数えるほどしかいない。たとえば、ペトカウ効果を本当に理解できているのは、矢ヶ崎克馬教授くらいしかいないのではないかと思える。

 反戦平和運動に参加してきた医師たちですら、放射線治療やゲノム研究などを容認する立場から、低線量被曝やエートスを容認する人たちが増えていて、信用できる者は極めて少ない。



 もし、本当に被曝の恐ろしさを理解しているなら、今、バンダジェフスキー報告を、繰り返し世に拡散し、警鐘を鳴らす必要があるのに、ほとんど誰もやっていない。

 これから、膨大な知的障害が発生するのが確実なのに、誰も声を上げない。

 みんな、自分の地位や利権を守るのに必死で、このまま放置すれば、日本が滅亡しかねないほどの危機的状況である現実から、誰もが目を背けているのだ。



 これでいいのか! 私が書いていることは、すべて、チェルノブイリ事故や、広島長崎の統計調査、ラアーグやセラフィールドなどの経験から、これまで声高く叫ばれてきた事実ばかりなのだ。

 嘘など書いていない。データ捏造改竄で有名な、日本政府の統計データに表れないからと発言しないでいいのか!

あなた方は、子供たちの未来を確保しようとしないのか?

 自分の人生さえよければいいのか?

 



2018年12月25日

2018年12月25日 | 未分類
 本日、昼前、普段見えないTVChが見えていて、大地震直前の電磁波状態 

 震源地は不明、外国の可能性もある



 大地震前になると、至る所から電離粒子が地上に噴き出して電離層の壁を作るため、これが電波の反射壁となって、普段見えないChが見えるようになる



 先週書いた、パソコン暴走などの前兆現象は、その後、口永良部島の火砕流噴火とカムチャッカM7.3が起きている。

現在、南海トラフが活動を起こしていて、三重沖~和歌山沖~高知沖は危険な状態



http://www.jma.go.jp/jp/quake/20181223192544395-24042236.html



 満月トリガーは22日だったが、本日のように三日後も危険領域である



知の放棄   (トランプがグローバリズムの権益に寄り添っているのは常識と決めつけていたので、説明がおかしかった最後に弁明を書いた)

2018年12月24日 | 未分類
 昨日、ラジオを聞いていたら、「私はサンタクロースの実在を今でも信じている」と語る女性作家がいた。



 そのとき、私は井上陽水の「夢の中へ」を思い出した。



 https://www.youtube.com/watch?v=d2sfQ6PnbJs



 「ああ、彼女は、現実世界に生きることを放棄して、夢の世界に生きたいのだ」

 と。



 まあ、世の中が、科学や論理にがんじがらめに束縛されて、自由な想像力を封じ込める社会は、実につまらない、愚かな社会だとは思うのだが、我々が共有する最低限度の常識がないと、この世は、一切意思疎通を拒否して、それぞれが自分の妄想に棲むことになってしまう。



 それでは、「最低限度の常識」とは何か? というと、これはもう認識論の基礎である、「見たもの、触れたもの、感じたものを言葉にして共有し、こうすれば、ああなるという法則を共有することである。」

 もう少し面倒くさくいうと、対象世界は、森羅万象カオスのなかにあるが、人の心は、対象世界のなかで共通するものを特定して言葉にし、これを法則として認識するということになるだろう。



 この世には、基本的な見解が大きく異なる存在が多数あって、代表的なものが宗教であり、「自分の所属する宗教だけが絶対的に正しい」と信じ込んで、世界中で殺し合いや戦争が続いている。

 寺社仏閣についても、霊を信じない人にとっては、この世の無駄の極みであり、こんな無用な長物は、ただちにこの世から廃棄すべきという意見になる。



 私は、高校生になって唯物論を学び、宗教施設のような非科学的な無用の長物は社会のゴミにすぎない、すぐに、すべてを燃してしまうべきだと、信じ、家にあった仏壇を壊そうとしたが、母親に泣いて止められたのでやめた。

 その後、私は、たくさんの霊現象に気づいて、逆に唯物論は嘘で、唯神論、つまり、意思によって存在が規程されるのではないかと思うようになり、今では、スピリチュアリストを自称するまでになっている。



 しかし、いゆわる「科学的方法論」まで放棄したわけではない。

 霊現象についても、私なりの科学的方法論によって解析した結論として論理的に実在を信じるようになったものであり、寺社仏閣霊現象を何も考えずに盲目的に受け入れているわけではないから、既存の宗教には一切興味がなく、自分で触れた世界だけを信じているのである。



 科学的方法論だけが、この世の真偽を定めるゲートかといえば、この社会には、ずいぶん、ひどい偽科学が蔓延していて、哲学の基礎のない科学なんてのは、矮小な欲望の上にだけ組み立てられた砂上の楼閣にすぎないと私は思う。

 自民党や政府官僚たちが引き合いにだす「科学的根拠」なるものは、欺瞞に満ちていて、科学なんてとんでもない。欲望と妄想でしかないものが多い。



 また、科学を引き合いに出すことが大好きな武田邦彦の言論をYouTubeで見ていて、それが天皇制の問題になると、とたんに科学ではなく宗教的妄想の決めつけにすぎなくなることには呆れる。

 大半の極右グループの思想も、「万世一系の天皇を戴き」なんて、宗教的妄想から出発していて、右翼言論というものが、実は科学とは無縁の国家主義宗教であることがよくわかる。



 それでは、現代日本の根底にある資本主義、それも竹中平蔵の提唱する「新自由主義」は科学なのか? といえば、これは強欲の上に組み立てられた妄想にすぎない。



 ケインズが、せっかく「不景気の原因は、社会を支える底辺の民衆への還元が不十分だからだよ」と教えてくれているのに、フリードマンが、ケインズを真っ向から全否定して、「不況の原因は肥大した政府による余計な規制にある」と決めつけ、資本主義社会における貧富の格差こそ、社会前進の原動力だとした奇っ怪な屁理屈を世間に広めた。



 結局、フリードマンの新自由主義の本質は、「金持ちに自由に金儲けさせろ」に尽きるのであり、アメリカ共和党の共有精神=リバタリアン思想の代弁であるが、金儲けだけが人類最高の価値であるという妄想は、利己主義と強欲の上にだけ存在するものであり、限りある資源、限りある環境のなかで、子供たちの未来をよきものにしようとする「持続可能な人類社会」への展望は皆無である。



 要するに、自分の人生のなかで、他人を蹴落として睥睨し、あらゆる富と権力を独り占めにするということが最大の価値であるという強欲妄想を社会全体で共有せよというわけだ。

 この愚かな思想こそ、実は非科学の極みという他はなく、人類の未来を保全しようとする利他主義の思想を激しく嫌悪し、敵視し、利己主義だけが唯一の価値観であると愚劣に主張しているわけだ。



 新自由主義を一言でいえば、利己主義から生まれ利己主義だけに帰する思想であり、この本質は、実は唯物論の本質でもある。

 そりゃ、この世に物質の必然しかないと考えるなら、人生の目標は、生きているうちに、あらゆる快楽を得ることだけであり、わけても最大の快楽こそ、他人を蹴落とし、見下して自分だけがいい目にあって死んでゆくことだという結論になるのは当然だろう。



 他人への思いやりや同情など一切必要ない。自分の地位と権力、蓄財だけを考えるのが正しい人生観であると考えるのが新自由主義であり、この思想は、自民党議員と支持者に広く共有されている。

 この思想を普及させたのは、中曽根康弘・竹中平蔵・小泉純一郎らだが、実は、小沢一郎や、細川護熙、社会党関係者でさえも、同調する者が現れ、1990年代に社会党などが政権をとったときのメンバーは、みな新自由主義に洗脳されていた。



 もちろん、こんな思想は、科学とは無縁な宗教的価値観である。これにこそ「独善」という形容詞を与えるべきであろう。

 私に言わせれば、冒頭に紹介した「サンタクロースの実在を信じています」とラジオで語った女性作家と、ほぼ同じレベルの妄想の共有にすぎない。



 本当の科学を語りたいなら、何よりも、人類の未来を保全することを前提にし、利己主義を排し、利他主義に生きる人生観の上に科学思想を構築しなければならない。

 人類の未来に役立たないような、思想は、すべて何の価値もない独善であり、非科学である。

 個人の利己主義的金儲けを人生の目標として憧れる資本主義=新自由主義という思想は、科学とは無縁であり、ちょうど、この思想の代表者のように登場した、トランプという人物がもたらした独善的世界観が、すべてを物語っている。



 アメリカは、新自由主義の権化ともいえるトランプを大統領に選び、社会全体が強欲と利己主義に染まろうとしている。

 この結果、何が起きるのか? 我々は、これから思い知らされることになる。

 世界の新自由主義者たち、自民党員たちは、強欲礼賛という価値観によって骨の髄まで恐怖に晒されることになり、何もかも失うことになるだろう。



 今回の表題は「知の放棄」である。

 なぜ、これを書こうと思ったかは、日本社会から、あらゆる知性が影を潜め、一種の独善妄想に浸ったような人々ばかりが表舞台に出てきているからである。

 もちろん、その代表は安倍晋三だ。

 安倍には、一切の科学や論理、知性という価値観は存在せず、ただ、自分の独善的思い込みと、その強要だけがあり、自分の思いが通用しなければ、怒りを爆発させ、数の論理で圧殺することだけを繰り返している。

 これこそ、まさに「知の放棄」であり、反知性主義であり、近代憲政史上で、こんな馬鹿げた非論理的首相が登場した例はない。

 唯一、東条という人物がいて、後に絞首されたが、それすらも、反知性という立場からは安倍の足下にも及ばない。



 また、「知の殿堂」と信じていた学問界や医学界、マスメディア界もまた、2011年フクイチ事故を境に、あらゆる知性を放棄して、「原発放射能は何の被害ももたらさない」という勝手な決めつけだけを絶対的に信奉し、あらゆる真実を排除するようになった。

 放射能の被害を語れば「おまんまの食い上げになる」という恐怖からか、原子力産業と政権への忖度を第一に優先し、真実を一切語らなくなった。

 これが「知の放棄」でなくて、なんであろうか?



 仕方なく、我々は、拙い知識ながらも、必死になって真実を探り、それを社会全体に知ってもらおうと事故後努力を重ねているが、最初の伝達手段であったSNS=ツイッターは、私が、原発の通常運転で膨大な被害が出ている事実をブログに書いたとたんに永久凍結となった。

 私のブログには、極めて程度の低い、愚かすぎるネトウヨが張り付き、連日、低俗下劣な個人攻撃の嫌がらせを送ってくる。

 また、グーグルの検索には、東海アマを入れない限り、どんなにアクセス数があっても絶対に上位にかからないよう設定されている。



 「知を拒否する強欲社会」

 これが、現在の日本に対する私の感想である。このままでいけば、日本社会にまともな未来は存在しない。必ず滅亡に向かうと断言してもよい。

 


 トランプは新自由主義でない、反グローバリストだというコメントがあったが、それは違う。

トランプの自国主義は、共和党リバタリアニズムの立場から言っていることで、その正体は、国際金融資本の代理人であり、間違いなく資本主義の新自由主義の代理人であり、「金持ちにもっと金儲けさせろ」という新自由主義の使者である。



 トランプが新自由主義の本当の正体である、国際金融資本=ユダヤグループの代理人であることは、米大使館をエルサレムに移転させたことで明らかだ。

 やがて、トランプはエルサレム第三神殿に着手し、第三次世界大戦の開始を告げるだろう。



 トランプが、誰の権益に奉仕する人物なのかという視点だけが問題であって、みせかけの反グローバリズムにもかかわらず、彼が奉仕しているのは国際金融資本の権益だけである。

アメリカという国が、誰のための国か? 知らないから、トランプの姿勢に欺される。



 トランプの正体は、ただの博徒であり、駆け引き=ディールが死ぬほど好きなだけで、国際政治のなかで駆け引きを楽しんでいるだけだ。

 その本質は、決して反グローバリストではない。もし本当に反グローバリズムなら、イスラエルの代理人として活動することなどありえない。

 彼は、世界の金融資本の総本山であるユダヤ人資本の権益に奉仕するために登場してきたグローバリストである。

 もしも本当にトランプが反グローバリストだったなら、人類最強の力を持っているグローバリストたちは、たちまちトランプを引きずり落とすだろう。

 だが、トランプが堕とされる気配はない。それは彼の思想と行動が、グローバリズムの権益に一致しているからである。