戦後医療が、凄まじい残酷な人体実験、人権侵害を繰り返した731部隊の帰還兵によって始まり、現在に至っている事実については、何度も書いてきた。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1753.html
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1412.html
731部隊は、安倍晋三の祖父、岸信介の指令によって、軍医だった石井四郎が同郷の芝山加茂部落や出身の京大医学部の若者を集めて結成され、後に、当時のトップエリートだった帝大医学生の多くが加わった。
ちなみに、岸信介は、「上海麻薬王」と呼ばれた里見甫や、関東軍、石原莞爾らとも兄弟のように懇意で、満州・朝鮮における日本軍の残虐行為のほとんどの指令責任があって、敗戦後、最悪のA級戦犯として逮捕されたが、昭和通商を使って麻薬(ヘロイン)売買で得た超巨額資金を米軍に提供することで取引し、自分や正力松太郎、笹川良一、児玉誉士夫、里見甫らのA級戦犯離脱を得た。
帰還した731部隊員らは、当時、医師不足のなかで、厚生省医局や国立六大学医学部に招かれ、戦後医療体制の中核的人材になった。
そのなかには、ロボトミー手術で有名な東大医学部教授、臺弘やエイズ血漿禍事件の安部英教授らもいた。
そして、731部隊副指令官だった内藤良一中佐は、戦後、数々の薬害犯罪を行った「ミドリ十字社」を設立、前身の日本ブラッドバンクは、日本全国に売血による肝炎の伝播を招き、下部機関だった放射線検診協会は、現在の乳癌・肺癌激発の原因となったと指摘される、小学生への結核集団X線検診の主体となった。
現在は、田辺製薬から三菱ウェルファーマに吸収され、おぞましい名前を隠蔽した。
これは、1990年代まで続いた航空機による農薬無差別散布と並んで、日本人の健康被害、致死率上昇に多大な貢献をした。
なお、内藤良一が最高責任者=教官だった、新宿区戸山の陸軍防疫研究所では、戦後、由来の分からない数百名分の拷問や人体実験を受けた人骨が発見され、これは朝鮮人・中国人捕虜が人体実験で虐殺された痕跡だと指摘された。
https://hzrd97.info/archives/6087
1950年代、全国の国立大学医学部教授は、「731部隊出身者でなければなれない」とまで言われ、独特の人脈によって戦後医学界に巨大な牙城を築いてきた。
彼らは、731部隊による人体実験が、ナチス医学と同じように医学に多大な貢献をしたと嘯いている。
https://0ccult.online/%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E7%8B%82%E6%B0%97%E3%81%8C%E3%82%82%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%9F%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E3%81%B8%E3%81%AE/
上にリンクしたナチスによる「ドイツ医学」は、明治維新政府が、幕末に蘭学を導入し普及させたシーボルトらがドイツ人であったことから、正式にドイツ医学が採用され、日本医学の骨格がドイツ医学思想によって担われることになった。
https://juken.y-sapix.com/articles/4483.html
これは「ドイツ哲学、論理学」を基底とした理論的体系の上に築かれた「巨大な思想の城」ともいえるもので、日本の医学教育もまた、ドイツ式論理学の上に構築され、すべての真偽、判別がドイツ式論理によって検証されなければ承認されないことになった。
今から半世紀以上前、我々の子供時代は、地域の開業医に至るまで、カルテがドイツ語で書かれ、「ドイツ語を学んでいなければ医師に非ず」とまでいわれた。
このようなドイツ式論理学一辺倒の発想によって、森田療法や千島学説は、「非論理」と決めつけられ、医学界から圧力を加えられ、排除された。
それは漢方医学も同じで、明治新政府による国定ドイツ医学からアメリカ医学に向かう1976年、武見太郎が積極的に漢方の保険適用に動くまで、漢方もまた「非論理」として排除圧力を受け続けた。
武見太郎の死後(1983年)、厚生省の吉村仁課長が、再び漢方を排除しようとしたが、全国の漢方療法支持医師らが阻止した。
当時の厚生省医官の大半が731部隊出身者だったともいわれている。
ドイツ論理学というのは、ヘーゲル弁証法の土台の上に組み立てられ、「一つの事象の背後には、必ず定まった原因があり、定まった方法により、変化を起こし、それが再現されることで検証される」といった一種の形而上学である。
だから、「病気」という現象にも、必ず定まった理由と道筋、結果があって、何よりも現象を起こしている理由=根拠が科学的に明らかにされなければ医学ではない、といった思考法が要求される。
だから、ドイツ医学の骨格では、最初に「検査と原因の特定」がなければ一歩も前に進むことが許されない。
日本の医療で、治療の半分以上の労力と資金が「検査」に費やされる事情は、こうした硬直したドイツ医学の思想から来ている。
反対に、東洋医学では、まずは患者の訴え、現象を捉え、その背後に潜む病理を分析するよりも、患者が生活に障害となる苦痛を取り除くことを優先的に考える。
ドイツ式の思想では、患者の訴えよりも病理の解析を優先させるので、何よりも検査が大切という発想になる。検査をしなければ「診断」を下すことはできないし、「診断」しなければ「治療」することも許されないのだ。
そして、ドイツ医学、論理学では、「体系」という哲学が最大の骨格になっているので、病理と現象が、一つの連鎖の体系に組み込まれていなければならない。
患者が、どれほど苦痛を訴えていようと、病理が解析され、診断が下され、一つの体系として認識されなければ治療を進めることはできない。または、激痛に対しては緩和薬を投与することしか許されない。それは、定まった理論の上でしか対応することが許されない。
私が2014年に、激しい苦痛を伴う猛烈な喘息発作を起こし、やがて呼吸音にブツブツバリバリといった異音が生じるようになり、その後、呼吸力そのものが著しく衰えたことで、自分で症状を調べ、それが間質性肺炎であると自家診断したのだが、私は、上に述べたような医学界の事情を知っていたし、また間質性肺炎を特定するためのプロトコルとして、穿刺細胞診やX線CTが含まれていて、20~50ミリシーベルトもの被曝が強要されることを知り、「医療に頼れば殺される」と判断し、自家治療を行うことにした。
私は、1980年頃から放射線生物学・医学を深く研究していて、数十ミリシーベルトのCT被曝が、壊れた肺胞細胞にどんな影響を及ぼすのか容易に想像がついた。まして、背中から太い針を肺に打ち込んで細胞を取り出す穿刺細胞診が、患者を治すことには一切役立たず、サイトカインストームを引き起こして殺してしまう場合が多いことを理解していた。
穿刺細胞診は、8種類に弁別された間質性肺炎の種類を定め、ステロイド用法を決定するのに必要という説明だったが、それで患者を治療できるかというと、IPFと診断されたほぼ100%の患者が、平均5年程度で死亡していた。
つまり、穿刺細胞診やCTは、患者を救命する目的ではなく、医師が病理分析し、診断を確定させ、治療によって自分の名誉を確保するためのプロトコルだったのだ。
数十年前まで、呼吸音にバリバリ音(ベルクロラ音)が出れば、肺線維症=蜂巣肺を意味していて、余命は5年程度であり、救命は不可能と判断されていた。
私は、その死の最大の理由が、医療プロトコルそのものにあると確信したので、絶対に医者にかからないことを決意した。自家治療で死んだ方がはるかにマシだと思えたのだ。
さまざまな文献を調べるうちに、間質性肺炎全般における、もっとも効果の高い救命方法は、「呼吸トレーニング」であることを知った。
それは、私の医学の基本摂理として確信していた、「すべての病気は、体液の循環によって回復する」という考えと完全に一致していたのだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1614.html
「体液の循環」とは、どういうことかというと、簡単に言えば「歩くこと」である。
人は立位動物なので、下半身に血液が溜まり停滞する。これを歩くことで、ふくらはぎを収縮させ、心臓に血液を押し戻す。これが血液やリンパの循環ということだ。
もちろん、足が動かせない人は、手を振るような動作でも同じ結果が出る。
体液が問題を起こしている患部に達すると、そこで細胞修復のための栄養素と酸素を補給し、壊れた細胞を修復するのだ。
幸い私は、自然環境に恵まれた中津川市に住んでいたので、毎朝、里山を必死になって歩き回ることにした。おおむね7000~12000歩程度(5~8Km)を歩く。アップダウンの標高差は150~200メートル程度だ。
最初は地獄のように苦しかった。2015年あたりは、わずか2メートルの玄関の階段を一気に登れなかったのだから、傾斜のある歩道は、10歩歩いては回復呼吸したり、蒸気機関車のように呼吸したりして、苦痛に満ちていた。
しかし、これを3年以上も続けて、少しずつ苦痛を感じずに歩けるようになった。逆に、歩かないと、夜中に布団のなかで息苦しさのあまり眠れなくなったりしたので、眠るために否応なしに歩くしかなかった。
私は1990年に百名山を完登し、富士山を五合目から2時間で登れる体力があった。もし、若い頃、山に凝っていなかったなら、まず歩き続けることは不可能だったし、もし家族があったなら、病院の医療に頼って、X線や細胞診で殺されていたことだろう。
この場合、私に家族がいなかったことが幸いしたと思う。
間質性肺炎で低山を歩き回ることは、たぶんヒマラヤの高峰を無酸素で登ることと同等だと思う。
5年もすると、はっきりと効果が現れ、家の2メートルの階段を一気に上がれるようになり、夜も息苦しさで目覚めることはなくなった。
しかし、当初期待した肺胞細胞の再生に関しては、あまり明瞭な結果が出ていない。それでも一割くらいは再生していると信じている。
それよりも、血液ヘモグロビン濃度の上昇や、血液循環など酸素循環を補うホメオステーシスが大きくなったことを実感し、ダントツに生活が楽になっている。
私が思ったとおり、間質性肺炎の治療には、呼吸トレーニング=低山徘徊が、最大で唯一の効果を上げる方法であると確信を持った。
そして生き延びたいなら、決して医者に頼らないことだ。日本の医療は、731部隊の恐ろしい人体実験の上に構築された、医者の名誉と金儲けのための医療である。
病気になったなら、医者を信用してはいけない。彼らの発想は、検査と投薬しかない、多少マシな医師はリハビリを重視するが、そんなことより一歩でも歩いた方が勝ちだ。
今回の新型コロナ禍においても、日本の医療体制は、検査と投薬・ワクチンだけしか視野になく、人間にとってもっとも大切な免疫力を大切にする発想はほとんど見かけない。
本当に優れた医者なら、何よりも免疫力の向上、つまり、歩くこと、汗をかくこと、体温を上げること、ビタミンD食品を摂取すること、森林浴を行うことを推奨しているはずだが、そんなホメオステーシスを第一義に考える医師は非常に少ない。
何よりも大切なことは、「自分の体は自分で守る」という決意である。誰にも影響されないで、自分の信念に基づいて、自分の健康を自分で確保しなければならない。
医療は信用するな! 他人に自分の命を左右されるな!
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ちなみに、岸信介は、「上海麻薬王」と呼ばれた里見甫や、関東軍、石原莞爾らとも兄弟のように懇意で、満州・朝鮮における日本軍の残虐行為のほとんどの指令責任があって、敗戦後、最悪のA級戦犯として逮捕されたが、昭和通商を使って麻薬(ヘロイン)売買で得た超巨額資金を米軍に提供することで取引し、自分や正力松太郎、笹川良一、児玉誉士夫、里見甫らのA級戦犯離脱を得た。
帰還した731部隊員らは、当時、医師不足のなかで、厚生省医局や国立六大学医学部に招かれ、戦後医療体制の中核的人材になった。
そのなかには、ロボトミー手術で有名な東大医学部教授、臺弘やエイズ血漿禍事件の安部英教授らもいた。
そして、731部隊副指令官だった内藤良一中佐は、戦後、数々の薬害犯罪を行った「ミドリ十字社」を設立、前身の日本ブラッドバンクは、日本全国に売血による肝炎の伝播を招き、下部機関だった放射線検診協会は、現在の乳癌・肺癌激発の原因となったと指摘される、小学生への結核集団X線検診の主体となった。
現在は、田辺製薬から三菱ウェルファーマに吸収され、おぞましい名前を隠蔽した。
これは、1990年代まで続いた航空機による農薬無差別散布と並んで、日本人の健康被害、致死率上昇に多大な貢献をした。
なお、内藤良一が最高責任者=教官だった、新宿区戸山の陸軍防疫研究所では、戦後、由来の分からない数百名分の拷問や人体実験を受けた人骨が発見され、これは朝鮮人・中国人捕虜が人体実験で虐殺された痕跡だと指摘された。
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1950年代、全国の国立大学医学部教授は、「731部隊出身者でなければなれない」とまで言われ、独特の人脈によって戦後医学界に巨大な牙城を築いてきた。
彼らは、731部隊による人体実験が、ナチス医学と同じように医学に多大な貢献をしたと嘯いている。
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上にリンクしたナチスによる「ドイツ医学」は、明治維新政府が、幕末に蘭学を導入し普及させたシーボルトらがドイツ人であったことから、正式にドイツ医学が採用され、日本医学の骨格がドイツ医学思想によって担われることになった。
https://juken.y-sapix.com/articles/4483.html
これは「ドイツ哲学、論理学」を基底とした理論的体系の上に築かれた「巨大な思想の城」ともいえるもので、日本の医学教育もまた、ドイツ式論理学の上に構築され、すべての真偽、判別がドイツ式論理によって検証されなければ承認されないことになった。
今から半世紀以上前、我々の子供時代は、地域の開業医に至るまで、カルテがドイツ語で書かれ、「ドイツ語を学んでいなければ医師に非ず」とまでいわれた。
このようなドイツ式論理学一辺倒の発想によって、森田療法や千島学説は、「非論理」と決めつけられ、医学界から圧力を加えられ、排除された。
それは漢方医学も同じで、明治新政府による国定ドイツ医学からアメリカ医学に向かう1976年、武見太郎が積極的に漢方の保険適用に動くまで、漢方もまた「非論理」として排除圧力を受け続けた。
武見太郎の死後(1983年)、厚生省の吉村仁課長が、再び漢方を排除しようとしたが、全国の漢方療法支持医師らが阻止した。
当時の厚生省医官の大半が731部隊出身者だったともいわれている。
ドイツ論理学というのは、ヘーゲル弁証法の土台の上に組み立てられ、「一つの事象の背後には、必ず定まった原因があり、定まった方法により、変化を起こし、それが再現されることで検証される」といった一種の形而上学である。
だから、「病気」という現象にも、必ず定まった理由と道筋、結果があって、何よりも現象を起こしている理由=根拠が科学的に明らかにされなければ医学ではない、といった思考法が要求される。
だから、ドイツ医学の骨格では、最初に「検査と原因の特定」がなければ一歩も前に進むことが許されない。
日本の医療で、治療の半分以上の労力と資金が「検査」に費やされる事情は、こうした硬直したドイツ医学の思想から来ている。
反対に、東洋医学では、まずは患者の訴え、現象を捉え、その背後に潜む病理を分析するよりも、患者が生活に障害となる苦痛を取り除くことを優先的に考える。
ドイツ式の思想では、患者の訴えよりも病理の解析を優先させるので、何よりも検査が大切という発想になる。検査をしなければ「診断」を下すことはできないし、「診断」しなければ「治療」することも許されないのだ。
そして、ドイツ医学、論理学では、「体系」という哲学が最大の骨格になっているので、病理と現象が、一つの連鎖の体系に組み込まれていなければならない。
患者が、どれほど苦痛を訴えていようと、病理が解析され、診断が下され、一つの体系として認識されなければ治療を進めることはできない。または、激痛に対しては緩和薬を投与することしか許されない。それは、定まった理論の上でしか対応することが許されない。
私が2014年に、激しい苦痛を伴う猛烈な喘息発作を起こし、やがて呼吸音にブツブツバリバリといった異音が生じるようになり、その後、呼吸力そのものが著しく衰えたことで、自分で症状を調べ、それが間質性肺炎であると自家診断したのだが、私は、上に述べたような医学界の事情を知っていたし、また間質性肺炎を特定するためのプロトコルとして、穿刺細胞診やX線CTが含まれていて、20~50ミリシーベルトもの被曝が強要されることを知り、「医療に頼れば殺される」と判断し、自家治療を行うことにした。
私は、1980年頃から放射線生物学・医学を深く研究していて、数十ミリシーベルトのCT被曝が、壊れた肺胞細胞にどんな影響を及ぼすのか容易に想像がついた。まして、背中から太い針を肺に打ち込んで細胞を取り出す穿刺細胞診が、患者を治すことには一切役立たず、サイトカインストームを引き起こして殺してしまう場合が多いことを理解していた。
穿刺細胞診は、8種類に弁別された間質性肺炎の種類を定め、ステロイド用法を決定するのに必要という説明だったが、それで患者を治療できるかというと、IPFと診断されたほぼ100%の患者が、平均5年程度で死亡していた。
つまり、穿刺細胞診やCTは、患者を救命する目的ではなく、医師が病理分析し、診断を確定させ、治療によって自分の名誉を確保するためのプロトコルだったのだ。
数十年前まで、呼吸音にバリバリ音(ベルクロラ音)が出れば、肺線維症=蜂巣肺を意味していて、余命は5年程度であり、救命は不可能と判断されていた。
私は、その死の最大の理由が、医療プロトコルそのものにあると確信したので、絶対に医者にかからないことを決意した。自家治療で死んだ方がはるかにマシだと思えたのだ。
さまざまな文献を調べるうちに、間質性肺炎全般における、もっとも効果の高い救命方法は、「呼吸トレーニング」であることを知った。
それは、私の医学の基本摂理として確信していた、「すべての病気は、体液の循環によって回復する」という考えと完全に一致していたのだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1614.html
「体液の循環」とは、どういうことかというと、簡単に言えば「歩くこと」である。
人は立位動物なので、下半身に血液が溜まり停滞する。これを歩くことで、ふくらはぎを収縮させ、心臓に血液を押し戻す。これが血液やリンパの循環ということだ。
もちろん、足が動かせない人は、手を振るような動作でも同じ結果が出る。
体液が問題を起こしている患部に達すると、そこで細胞修復のための栄養素と酸素を補給し、壊れた細胞を修復するのだ。
幸い私は、自然環境に恵まれた中津川市に住んでいたので、毎朝、里山を必死になって歩き回ることにした。おおむね7000~12000歩程度(5~8Km)を歩く。アップダウンの標高差は150~200メートル程度だ。
最初は地獄のように苦しかった。2015年あたりは、わずか2メートルの玄関の階段を一気に登れなかったのだから、傾斜のある歩道は、10歩歩いては回復呼吸したり、蒸気機関車のように呼吸したりして、苦痛に満ちていた。
しかし、これを3年以上も続けて、少しずつ苦痛を感じずに歩けるようになった。逆に、歩かないと、夜中に布団のなかで息苦しさのあまり眠れなくなったりしたので、眠るために否応なしに歩くしかなかった。
私は1990年に百名山を完登し、富士山を五合目から2時間で登れる体力があった。もし、若い頃、山に凝っていなかったなら、まず歩き続けることは不可能だったし、もし家族があったなら、病院の医療に頼って、X線や細胞診で殺されていたことだろう。
この場合、私に家族がいなかったことが幸いしたと思う。
間質性肺炎で低山を歩き回ることは、たぶんヒマラヤの高峰を無酸素で登ることと同等だと思う。
5年もすると、はっきりと効果が現れ、家の2メートルの階段を一気に上がれるようになり、夜も息苦しさで目覚めることはなくなった。
しかし、当初期待した肺胞細胞の再生に関しては、あまり明瞭な結果が出ていない。それでも一割くらいは再生していると信じている。
それよりも、血液ヘモグロビン濃度の上昇や、血液循環など酸素循環を補うホメオステーシスが大きくなったことを実感し、ダントツに生活が楽になっている。
私が思ったとおり、間質性肺炎の治療には、呼吸トレーニング=低山徘徊が、最大で唯一の効果を上げる方法であると確信を持った。
そして生き延びたいなら、決して医者に頼らないことだ。日本の医療は、731部隊の恐ろしい人体実験の上に構築された、医者の名誉と金儲けのための医療である。
病気になったなら、医者を信用してはいけない。彼らの発想は、検査と投薬しかない、多少マシな医師はリハビリを重視するが、そんなことより一歩でも歩いた方が勝ちだ。
今回の新型コロナ禍においても、日本の医療体制は、検査と投薬・ワクチンだけしか視野になく、人間にとってもっとも大切な免疫力を大切にする発想はほとんど見かけない。
本当に優れた医者なら、何よりも免疫力の向上、つまり、歩くこと、汗をかくこと、体温を上げること、ビタミンD食品を摂取すること、森林浴を行うことを推奨しているはずだが、そんなホメオステーシスを第一義に考える医師は非常に少ない。
何よりも大切なことは、「自分の体は自分で守る」という決意である。誰にも影響されないで、自分の信念に基づいて、自分の健康を自分で確保しなければならない。
医療は信用するな! 他人に自分の命を左右されるな!