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なぜ、長いものに巻かれるのか?

2019年01月03日 | 未分類
 
 私のブログに対して、人間性のドロドロに腐敗した連中から、毎日十数通の長文嫌がらせコメントが書き込まれていることは何度も書いた。

 もちろん、読まずに削除するだけなので、何が書いてあるのかわからないが、たまに目に触れたまま入ってくる文字は、 大半が、私が子供を殺害したとか、中卒のくせにとか、私の保有している放管ライセンスが、講習だけで幼児でも取得できるものだとか、ニートのくせにだとか、たぶん、私を貶めてるつもりなんだろうと思うしかない、罵詈雑言、誹謗中傷、下劣の極致というべき嘲笑蔑視に満ちたものである。

 いずれ必ず起こす名誉毀損訴訟の証拠として念のため保管しているのだが、あまりに陳腐、幼稚、無内容ぶりから、読めば腐った生ゴミのように吐き気を催すだけの内容なので、馬鹿馬鹿しすぎて紹介する気にもなれない。
 とにかく、知ったかぶりばかりで、自分の能力に誇大妄想を抱く自己顕示欲の塊、本人は、学者にでもなったつもりで、私の科学知識を批判してみせるのだが、内容は幼稚園児以下の思いつきだけで、読むに値するものは皆無である。
 私を中卒と侮蔑したがるのだから、せめて、中学生程度の科学知識くらい身につけろよといいたい。

 しかし、安倍晋三と自民党支持者の基本的な価値観と知的レベルを知るには、一定の資料となるだろう。民俗学的研究のネタとしても面白い。
 よくも、ここまで馬鹿になれるもんだと感嘆するしかなく、この世の馬鹿の見本としての資料価値はあるかもしれない。

 私が、若い頃から自民党シンパと付き合ってみたとき、感じたことは、権力欲と、競争意識、他人を嘲笑し、自分を持ち上げられたいという猛烈な自尊心ばかりで、人間的な謙虚さを持っているような人材は、そもそも自民党を支持しないものである。
 総じて、全員が、他人を小馬鹿にしたがる人ばかりで、人をリスペクトするという姿勢がなく、強者には恐れ入って小さくなるが、弱者には、尊大、夜郎自大になってパワハラをしたがる者が多く、一人の人間として尊敬に値する人間性は、ほとんど見かけない。
 
 自民党支持者に限らず、安倍晋三自民党政権に対して批判もせず、「長いものに巻かれる」飼犬的立場を崩そうとしない人生観を持っている小心な人物は非常に多い。
 そもそも、競争と学歴社会というシステムに完全に依存しているから、学歴社会に威圧を受けて、「学歴の高い人間イコール追従すべき権威」であるかのような勘違いをしてる人間は実に多い。
 だから、私にまとわりつく自民党支持者の五毛党(はした金をもらって反自民勢力を攻撃する者のこと)の連中は、私への批判として「中卒のくせに」をやたらと強調したがるのだ。

 別に私が本当に中卒かどうかなど、どうでもいいことで、人間の値打ちが学歴で定まるならば、こんなに便利なことはないのだが、残念ながら、人生の経験則からいえば、学歴と人間性は反比例することが多い。
 どんなに高い学歴があって、それを無知な人たちに畏敬されたとしても、人間的実力というものは、学歴によって高まることはないのだ。
 むしろ、実力がない分、学歴に依存してデカイ顔をしたがると、本当に実力を求める人たちから、迷惑者として扱われ、誰からも信用されなくなるのが世間の常識というものだ。

 それでも、人々が、学歴に依存したがるのは、この社会が、「親方日の丸」の組織に依存した人生を送ろうとしている人たちが多いためで、彼らにとって、依存する組織が、実力ではなく学歴によって評価されるような目出度い風潮に支配されているからなのである。

 本当に、東大や京大を出た人たちは「すごい人」なのか?
 実は、彼らが、全然ひどいカスばかりだったことを、我々はフクイチ事故後、嫌というほど思い知らされたのだが、世間では、未だに学歴信仰が徘徊していて、例えば、テレ朝の玉川君が大東文化大あたりの出身だったなら、そもそも総研も存在しなかった。

 私は、事故後、国立大のエラーイ先生方と、ツイッター上でも、たくさんの論争をしたのだが、尊敬に値する科学的知見どころか、福島甲状腺癌評価に見られるような矮小化と隠蔽、自分たちの補助金利権を守ろうとする陳腐な姿勢ばかりで、とてもじゃないが、その知性を軽蔑こそすれ、尊敬できたことは皆無だった。

 そもそも、エラーイ先生方ばかりでなく、2011年3月11日の、あの巨大震災によって、人類史上最悪の放射能汚染を受けた日本社会にあって、あれほど放射能の恐ろしさを知識として知っていながら、実際に自分たちが被害者になったとき、誰もが、放射能について口を閉ざし、あたかも被害が存在しないようなフリをして、「食べて応援」などと、愚かなおせっかいをした人がたくさん出てきた理由について考えていただきたい。

 一言でいえば、「真実を語ることを怖がっている」
 というのが、私の印象である。もし、真実を言ってしまえば、「臭いものにフタ」をしたがる同調勢力と真正面から敵対することになり、厄介な体験を強いられることになる。
 面倒を避けて、声の大きい同調勢力に従っていれば、批判されることもなく、多数派でぬくぬくとしていられるだろうという気分が充満していたように思う。

 放射能汚染は、なかったことにしよう。被曝による被害も起きないと思いこもう。東電は立派な会社、フクイチ事故は、誰も想定できない自然災害にすぎない。政府は、立派に、住民を守った。
 野田佳彦首相が、「冷温停止」したと宣言したのだから、そこで放射能事故は終わった。本当は、冷温停止まで500年かかるけど、そんな事実は見ないことにしておこう。

 そんなことより、被曝がなかったのだから、福島の「風評被害」を防ぎ、これまで通りの福島での生活を応援してあげよう……。
 セシウム・ストロンチウムが無害になるのは300年後だけど、もう被曝はありえないことにしておこう。
 福島は、事故前と同じ元通りなんだ! 放射能は危険だと騙されて避難した人から補助金を取り上げて、元の家に帰還させるのは当然なんだ!

 というのが、自民党(公明党や維新も同じ)の公式見解である。
本当にたくさんの若者が、このインチキ屁理屈に騙され、福島の汚染地帯が、日本社会に何をもたらそうとしているのか、理解しようとしていない。
 なぜ、こうなるのかといえば、結局、この社会が巨大企業の定めた価値観のレールに乗った人間だけを優遇し、外れた人間を冷遇して、異論を作らせないようにしようとする力が働いているからに他ならない。

 もしも、福島の放射能汚染について、危険性の真実を述べたなら、そこで、大企業のぬくぬく生活を保障するレールから足を踏み外すことになる。
 それは、若者たちだけではない。大学の研究者、教授たちも同じで、東京大学に年間二十数億の補助金を出し続けてきた東電様の都合の悪いことを述べたなら、研究費が削られる恐怖におびえ、忖度して、絶対に東電の都合の悪いことは言わないし、書かないのが東大の基本的なモラルなのである。

 同じように、年間数百億円の広告費を出している東電や自動車産業の巨大企業に忖度して、彼らを批判するような記事は絶対に出さないのが、日本メディアである。
 これは、ゴミ売り新聞や産経だけでなく、ツイッターやグーグルなども同じで、反原発の口封じに全面協力している。

 「長いものに巻かれる」 雰囲気というか、空気感というか、忖度というか、金儲けの体制を守ることは、真実を明らかにすることよりも、桁違いに高い価値になってしまっていて、この空気を読まない私のような人間のツイートは、たちまち不可解な理由でアカウントを永久凍結され、ブログに対しては、冒頭に書いたような、蛇蝎か毒毛虫のように悪意に満ちた嫌がらせコメントが延々と書き込まれ、私が中卒で、価値のない人間であるかのような評判が、あらゆるメディアで拡散されてゆくのである。

 今の日本には正義がない、真実もない、ただ、利権と屁理屈と嫌がらせだけがある。
 私は、自分が、どれほど貶められても苦にするような立場ではないのだが、大学教授あたりが、私と同じ目に遭ったなら、確かに沽券にかかわるほどプライドを傷つけられ、怒りを感じるだろう。
 私でさえ、彼らの身元がわかったなら、必ず復讐しようと考えているほどだ。

 すでに何度も書いているのだが、現代は、私が若い頃は想像さえできなかった「知の崩壊」に見舞われている。
 半世紀前は、社会の規範は、知性だったのだ。いずれ、我々は知性に戻らなければならない必然性がある。そのとき、反知性活動をした者たちは、恐ろしい報いを受けることになる。