ちびまる主婦日記

30代専業主婦です。小学4年生と1年生の息子の育児、趣味の吹奏楽、料理、手作りことなど・・スローペースに更新中♪

山あり谷あり入院生活

2012年12月31日 22時20分08秒 | 妊婦日記
さぁて入院の話もこれで最後にしたいと思います。

新しい病院では、マグセントとウテメリンという薬を24時間点滴していました。
このマグセントという薬がくせ者で、
全身の筋肉の動きを鈍くする薬です。
最初はこの薬に慣れず、フラフラしたり、視界が朦朧としたりしていました。
でも私は副作用が軽かった方みたいで、中には吐く人もいるそうです

でも点滴のお陰で、一日一日と生き長らえてる・・って感じがしていました。

「病院は綺麗」と前の病院の先生が仰っていた通り、
本当に綺麗で広い病院でした
最初は集中治療室(ちょっと名前は大袈裟)にいたんですが、
そこは横のベッドと壁で区切られているのが良かったです。

でも私よりも大変な妊婦さんが次々入ってくるので、
集中治療室に5日程いた後、(大部屋が空いていなかったので)
個室に移動となりました。
個室はもう快適
ここで一人暮らしできるなってくらいの広さでした。
ま、いずれにせよベッドで寝ているだけだったんですけど。

その後、個室にも私より大変な妊婦さんが入ってくるとのことで
数日間いた後、大部屋に移動になりました。
結構引っ越しの多い病院です

大部屋はベッドとの間をカーテンで区切られているだけ、
しかも日中は看護婦さんの意図かカーテンを開けられてしまう
というあまりプライバシーのない環境でしたが、
部屋の妊婦さんとお話することが出来て良かったです

驚くのが、4人部屋の4人のうち2人は双子の妊婦さん
本当に双子の出産が多い病院なので、検査の時に、
「ちびまるさんはお子さん1人でしたよね?」と確認される程でした

転院した病院は、ご飯も美味しい病院でした
私は最初「自分にできることは食べて寝て赤ちゃんを育てるしかない
と思って、残さず食べる、苦しくても食べる・・ってことをやっていたら
なんとっ一週間に2.6キロ太ってしまいました
驚愕の数字・・でも看護婦さんは気に留める様子もなく
「でもご飯は食べた方がいいからね~」って感じで
翌週は無理しない程度に食べていたら体重増加はありませんでした

入院生活はとにかく横になってれば良かったんですが、
最初のうちはのんびりできて良いな~なんて思って、
本は7~8冊読んだかな~。雑誌もママ友が差し入れてくれたり、
主人や主人のお母さんが買ってきてくれ、読みました
・・でも、本を読むのにもテレビにも飽き、入院して二週間も過ぎてくると
いよいよ帰りたい気持ちになってきました。

そんな折、12月28日になって
突然退院してみる??という言葉を先生から聞きました
数日前から点滴の1つ、マグセントが外されていたんですが、
ウテメリンの点滴を外してウテメリンは服薬し、
お腹が張らなければ退院できるとのことでした。

・・結局、子宮から出口までの長さは入院当初から変わりはなく、
点滴さえ外れれば、家で寝てても同じってことだったんですよね。
(しかも病院は満床状態でベッドが足りないみたいで、
 どうやら軽い人は自宅でって感じもあったみたいです

退院しても絶対安静なので、廉と暮らすことは叶わないんですが、
てんかんの発作がいつ起きるかわからないので、主人が夜勤の日は
両親に泊まりに来てもらわないといけません。
そう思うと、廉をみてもらってる上に、
両親のどちらかに泊まりに来てもらったり・・
主人には私の食事まで用意してもらわねばならず、
入院していたら安全な環境なので、
必要以上の心配を掛けないで済んだのに
家にいれば主人も心配するだろうし。。

退院は嬉しいとばかり思っていたんですが、
問題も多々あるんですね・・

結局は、点滴も外れ、ベッドも足りないし・・って感じで
30日に退院となりました。

これから家族に掛ける負担や陣痛がきた時の不安を思うと
思ったより喜ばしくない退院ですが、
やっぱり家に帰って来てホッとしています

廉が産まれて1年経った時にてんかんを発症し、
今回の妊娠では切迫早産での入院で、もうどうしようもないくらい
家族に迷惑を掛け・・
本当に自分の体って大切だなと痛感しています

来年の目標は「無理しない、頑張らない」にしようかな

皆さん、今年も「ちびまる主婦日記」を読んで頂き、有難うございました。
どうぞ良いお年をお迎え下さい

12月10日転院

2012年12月31日 15時31分15秒 | 妊婦日記
大晦日ですね。
全然そんな感じしないですけど・・家にいられるのがただただ奇跡
病院にいる時と同じように、寝ながらテレビ見てるだけなんですが、
それでもすっごく幸せ
病院は、同室の妊婦さんも看護婦さんも先生もいるのに・・
どういうわけか孤独を感じる場所でした
遅くきたマタニティブルーだったんでしょうか

さた、今日は転院の話から書こうと思います。
ずっと入院していたんですが、一度転院をしました。

妊婦健診で通っていて当然そこで産むだろうと思っていた病院には
新生児治療室(NICU)がないので、入院当初から
「産まれたら大変」「早く転院を・・」という雰囲気が
先生や看護婦さんの中でありました。

トイレもNG(汚い話ですが排便だけ車椅子で連れて行ってもらってました)
お風呂も入れず、当然髪の毛も洗えず・・
切迫早産の人はずっとお風呂に入れないんだろうか??と疑問に思ってました。

そんな中、入院してから5日目の10日月曜日、
NICUのある病院に転院することが決まりました。
本当は私の住む千葉県松戸市にある病院が
家からも徒歩15分くらいで行けて近くて良かったのですが、
受け入れてもらえず、隣の隣くらいの市・・船橋市にある病院に
転院させてもらうことになりました。
縁もゆかりもない土地で赤ちゃん産むのか・・と思ったら
不安でしたが、先生が「とってもしっかりした綺麗な病院ですよ」
と仰っていたのでその言葉を頼りに転院の日を迎えました。

転院は救急車に乗って救急搬送とは聞いていたんですが、
も~とにかく大袈裟な事態になってしまいました
自分自身はそんなに緊急性を感じる状態ではないのに、
めちゃめちゃ大きなストレッチャーに乗せられ、
救急隊員の方が2~3名、更には病院の先生までついて来て下さいました。
しかもピーポーピーポーとサイレンを鳴らして移動

子宮口が開いてるとか、出血してるとか・・
そういう緊迫した状態では全くなかったので、
もう本当に救急車に乗ってることが申し訳なくて
「そんなに急がなくて良いですよ・・
 あぁ、松戸市~船橋市のドライバーの皆さんにまで迷惑掛けて
 本当申し訳ない」って心境でした

そんなこんなで30分くらいして船橋市にある病院に着きました。
ストレッチャーに乗せられたまま辿り着いたのは、
そこで3人くらいは手術で切るんじゃないかって程大きな手術室。
とにかくだだっ広い手術室の真ん中で、色々な検査が行われました。
びっくりすることにレントゲン検査まで

新しく主治医になって下さった先生は優しく、看護婦さんも優しく、
尿に入ってるチューブもすぐに取り外してもらえました
トイレも自分で行っていいし、シャワーも2日に1度入って良いと言われ
もうここは天国かと思いました
お風呂・・5日間入ってなかったんですもん

因みに、子宮から出口までの長さは3~6mmと言われていたのが
1cmになっていたので、少し伸びていたことになります。

さて、新しい病院で、入院生活が始まりました。

長くなりましたので、次回に続きます・・