リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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障がい者総合福祉法の行方(福岡寿氏の講演)

2010年03月17日 | Weblog
先日、松本市の美ヶ原温泉で開催された長野県せいしんれん精神保健福祉セミナーに初めて参加した。

精神障害(主に統合失調症)の当事者が主体で運営しているセミナーで今年で17回目となるそうだ。
当事者や家族の交流と情報交換が中心のセミナーで支援者はおまけのようだ。
声をかけた患者さんも何人も参加してくれ、また自分の関わっているNPOも分科会などの運営に参加していた。

患者さんや、患者さん家族、患者さんを通じて知り合った他地域の支援者などに出会え、交流会などはべてる的?な雰囲気で楽しかったのだが・・・。



実は私の参加の一番の目的は福岡寿(ひさし)氏の「障害者総合福祉法の行方」という分科会であった。
福岡寿氏の本は何年か前に読んだことがあるのだがお会いするのは初めて。
「福祉界のヨシモト興業」と異名をとるらしい。
自分の身の上話からはじまった講談調の講演だが、評判通りめちゃくちゃ面白かった。



福岡寿先生は金八先生に憧れてツッパリ中学の教師になったが、4年で力つきてやめ、土方をした後飯山の知的障害(ゆっくりな方)者施設で働き、以後ずっと福祉の世界で活躍されているそうだ。

話はあちこちに脱線したが、本論としては障害者福祉の歴史から・・。

障害者はたった8年前までは施設に措置(行政処分、体よく始末する)されていたそうだ。
ハコに入ってもらって手厚く面倒をみるのが福祉と思われていた時代であった。
それは一部の方たちの行政処分であり、定数も予算も決まっていた。
施設で暮らすのに自己負担金はなく「裸で来てもらっていい。」と言っていたそうだ。

それがいつしか「地域で暮らすんだ」という流れになった。
国としてもどれだけのものを用意すれば良いか検討もつかなかったがとりあえずやってみたというのが本当のところである。
平成15年から支援費制度というのが出来、「ついては契約です、対等です、サービスです。」などという。
(その時は精神障害方は措置ではなく補助金だったので制度にはのらず。)
しかし、突然そんなことを言われても障害者当事者はどう利用していいか分からず、希望はあまりでなかった。
どうぞどうぞ使って下さいというほど余っていた。
しかし常時介護を必要とする重度の方がホームヘルプを24時間365日の利用を求めるなどのこともあり利用に地域ごと、個人ごとの格差が生じるようになった。

そんなこともあって、これじゃいかんということで障害者自立支援法が制定された。
障害者自立支援法であるが「昼と夜の場所を分ける」だとか「できるだけ地域で」などという理念は悪いものではなく、それまでの補助金とは違い費用がいくらかかっても国は負担する義務があるという意味ではかなりお前進であった。

その障害者自立支援法は、平成12年にはじまった高齢者対象の介護保険に似せてつくられた。
まず介護保険の79項目の調査事項に26項目を付け足して3障害に対応するという苦しい障害程度区分の認定・・。
コンピュータの判定と主治医の意見書にもとづき審査会を経て区分を決定。
自己負担は1割。公費負担は市町村と都道府県が4分の1ずつ、国が半分を負担する。

このように介護保険に似せてつくったのは将来的に障害者自立支援法(利用対象者45万人、約1兆)は初めはより大きな船(プラットホーム)である介護保険(350万人、約7兆円)に嫁入りしようという狙いがあったたためだ。

しかし1割の応益負担という点で障害者自立支援法の評判は散々で「自立阻害法」だの「自立し得ん法」だの、生存権の侵害で違憲だの散々批判された。
「別に利益を得ているわけではない、健康で文化的な最低限度の生活をおこなうために必要なことを益とは何だ。」
「かつかつの障害年金で生活しているのにその中から自己負担分を払わなければならなず生活できない。」
「わずかな励みの工賃を自己負担金が上回ってしまう。これまで利用していた作業所を利用できなくなる。」
など問題が続出した。
自民党議員もいいと思って通した法律が地元に帰れば評判が悪かったので何度かの改訂を経て、今は多くの方が1500円、どんなに多くても4600円程度と自己負担はほぼなくなっている。

さて、そうこうしているうちに民主党へと政権交代が起きてしまった。
民主党は評判のわるかった障害者自立支援法にかわるものとして、マニフェストで「障害者総合福祉法」というのをうたっていた。
ところが民主党にはあまり障害者福祉に詳しい議員はいないらしい。それでも、できるだけ当事者たちの声を聞こうということで声をあつめ特に身体障害者の当事者団体などから盛んにレクチャーをうけてつくった「障がい者総合福祉法」の骨子は以下のようなものである。

1.応益負担は差別だから応能負担に変えよう。

障害者自立支援法の応益負担を違憲立法審査に持ち込む手もあったが、何度かの改正で自己負担は実質ほとんどなくなったし、長妻厚生労働大臣が「心から反省の意」を表明した。
というわけで新法に期待ということになった。  

2.障害程度区分はやめてしまおう。

これも多種多様な障害の程度を区分するなんてそもそも不可能。
コンピュータによる判定ソフトも医師の診断書も不要になる。 
 
3.どんな生活をしたいかに応じてサービスを検討(相談支援が重要)
 
税金を使う以上平等でなくては生けない。
では平等とは?これまでは同じような障害の方は同じようなサービスを受けられるのがこれまでの平等であった。
しかしそれぞれの希望を聞きサービスに不満が無いのを平等といおうというのがこれからの考え方。
そのためにご本人のことをしっかりきく(聞く、聴く、訊く)力が要となる。
つまり相談支援が鍵となる。その方法論などの研究が進んでいるようだ。


4.谷間の障害(発達障害、難病、高次脳機能障害)も含める。

まず発達障害。福岡氏のいる中野市では多職種7人(14の目)一組で保育園をまわり発達障害の相談をおこなっているそうだが、なんと約10人に一人は何らかの発達障害(特別支援が必要)だという。
これからは避けては通れない分野ではあるが、そうなってくると1200万人が発達障害ということになる。
ここまで多くなってくると障害ということ自体特別な方たちではなくなる。
みんな困っているんです。それで良いんですと言うことになる。
そして難病の方も含めましょうということになった。
いわゆる難病といわれる130種類の疾患方はあわせて70万人いる。
これも仲間に入れてしまう。
そして高次脳機能障害の方。頭部外傷などの後遺症の見えない障害である。

5.障害者手帳をやめて社会参加カードに。

 障害者の定義じたいも支援の必要な方という風に変わった。

6.「障害者の権利条約」の批准

これが障がい者総合福祉法をめぐる運動の中での本丸だそうだ。
条約は国と国との約束であり憲法と法律の間に位置づけられるものだという。
つまり条約を批准したらその下の法律は全部替えなければならないほど拘束力が強い。
障害者権利条約の内容をかいつまんで言うと「合理的配慮の無いものはダメという」ことで、障害者の差別を禁止し雇用など関しても合理的な理由が無いと拒否できないという。
千葉県や北海道など地方自治体レベルで障害者の差別禁止する法律をつくったところはあるが、そのずっと上のレベルで障害者差別を規定することになる。

条約が批准されたことで法整備がすすんだ例としては男女共同参画がある。
性によって区別してはいけないということが徹底され国内の法や制度がガラリとかわった。
これと同じような現象を障害についてもおこすということが最大の狙いである。

さてこのたたき台としてのマニフェストの隙間を埋めていく作業である。
当事者が「われわれ障害者は」というときはどこまではいるのか怪しいことが多い。
当事者団体的でない施設協会などの団体ははずされた。
今後はそれぞれの団体ごとのタコツボから要請していくのではなく地域ごとの自立支援協議会を通じて意見を集約し立法府に届ける仕組みを機能させていくという。
すでに月に2回のペースで話し合いが始まっており夏頃からはいろんな部会にわかれて検討して、2~4年かけてしっかり話し合い法律の制定を目指すそうだ。

障がい者総合福祉法ができると理念においても実際においても高齢者の介護保険のはるか先を行くものとなる。
本人のせいではなく社会の構造の中で困ってしまった人は基本的に合理的配慮されるべき、目指すはそんな社会だ。
障がい者総合福祉法をめぐる最近の動きがすっきりと整理できた。

政府、障害者の定義を見直しへ

障害者管理法?

日本国憲法入門

ACT-K 専門性の時代。

2010年03月17日 | Weblog
ACT-Kの高木先生は毒舌であった。

どんな職種も2、3割はダメだという。
そして精神科医は5割はダメだと・・・。
しかし薮にもなれない土手医者は仕方ないので放っておいて薮に近づきかかっているスズメ医者を患者や家族で育ててほしいとエールを送る。
(薮、土手、というのは先を見通すことの出来ないダメな医者のこと)

精神保健福祉を担うと期待されて誕生した専門職であるPSWはPoor Secretary Workerになっていないか?

 精神障害者が安心して居ることの出来る場を地域につくる、主体的な活動ができているだろうか。

就労や生活再建の主役であるはずのOTはFitness club OTになっていないか?

 バイクマシンの自転車こぎと同じでこげどもこげども一つも前へ進まない。
 ちっとも退院に結びついていない。
 そんな作業療法ではなくOccupational Therapyの名の通り、社会に障害者の居場所をどんどんつくっていくべし。

看護師は、「薬飲んでますか?」としか聞かないアリナミン看護になっていないだろうか?
 
 病院に入院できなかったかわいそうな人だからせめてこれだけはというものではない。
 小さなニーズを大切にしてそこに関わる。
 チームでの動きと生活支援こそ看護の本領。
 やはり精神医療の主役だ。


臨床心理士は統合失調症においても心理教育や家族支援、SSTなどにまだまだ活躍できるはず。
またチームにいることでそのチームの雰囲気がよくなるという役割も期待できる。

19世紀のイギリスの労働者は指示され与えられた仕事をこなす肉体労働のモデルであった。
その日の稼ぎでギャンブルとメシにお金を使いまた次の日に働ければそれで良かった。

しかし今の時代は自分の専門性でお金をもらう時代。
仕事で得たお金の一部は自分の勉強につかい専門性を磨くべし。
そして忠誠を誓うのは病院ではなく、当事者、利用者であるべきなのだ。

精神障害者への訪問は、まず支援を受け入れてもらうところから始まる。
関係づくりに1年かかることもある。
支援をできる関係があること自体が支援であり、そこが専門性である。
薬を飲んでもらうことがだけ治療ではない。
日常生活支援は立派な治療である。
そして生活支援で病気はよくなるのだ。

「ビューティフルマインド」に描かれている天才数学者のジョン、ナッシュは重い精神の病(統合失調症)を患ったが、大学という場で立派な仕事をした人として尊重され安全と自由を保障され、そして妻がずっとみまもっていたという絆があった。
そして病気から回復し後にノーベル経済学賞を授賞した。
人は人によって傷つき、人によって癒される。

安心して病気になれる世の中にするために活動していきたい。

ACT-K 精神障害者の地域移行は必然

ACT-Kこころの医療宅配便

ACT-K 専門性の時代